「平和と科学」の巨人
ライナス・ポーリング博士
26年3月19日
 
知性ある人は行動する
 「現代化学の父」と呼ばれる科学者ライナス・ポーリング博士。池田先生との語らいの折、「世界の青年は平和のために努力を。人類の得た富が、軍備のために流用されていくことを防ぐことほど重要なことはない」と語った。先生が博士についてつづったエッセーを抜粋して掲載する。〈『虹の調べ』第三文明社(『池田大作全集』第120巻所収)から〉


ライナス・ポーリング博士㊨と池田先生が会見(1990年2月21日、創価大学ロサンゼルス分校〈当時〉で)

 “現代化学の父”と言われるライナス・ポーリング博士。これまでノーベル化学賞と平和賞を受賞されている。異なった分野で、単独で二つのノーベル賞を受けたのは、博士だけである。
 一九九四年、九十三歳で逝去されるまで、平和のため、科学のため、探求と行動をたゆみなく続けられた。わが創価大学の名誉博士として、「創価教育」に全幅の信頼を寄せてくださった。アメリカ創価大学(ロサンゼルス)にも、サンフランシスコの自宅から、遠路をいとわず、何度も足を運んでくださった。「平和のため、教育のため、人類のためなら何でもします」――と。博士は、私との対談集の中で、ご自分の人生についても率直に語ってくださった。
 自身の生涯に決定的な影響を与えた四人の師匠を、博士は挙げておられたが、その一人は、博士の夫人であった。対談集の随所に、亡くなったエヴァ夫人への、深き「愛情」と「尊敬」の念がにじみ出ている。博士は、しみじみと語っておられる。
 「私へのおほめの言葉は、妻が受ける資格があるのです。なにしろ、長い間、世界平和のために私が働くよう、鼓舞し、励ましてくれたのは妻ですから」と。
 平和への“戦友”であり、“同志”であった博士と夫人との、美しくも尊き心の絆が伝わってくる一言である。
 ◇ ◇ ◇ 
 七十七歳で亡くなるまで、夫人は四人の子どもの良き母であり、十五人の孫の良きおばあちゃんであった。三人の曾孫にも、深い愛情を注がれていた。
 エヴァ夫人は、大学では栄養学を学んでおり、あまり丈夫でなかった博士のために、ずいぶん食べものの工夫を重ねて、博士の健康を支えたという。私が、ポーリング博士に「お好きな食べものは」とうかがったところ、博士は、真っ先に、奥さま手づくりのサワークリームのケーキを挙げておられた。

 そうした家庭的な側面とともに、夫人は、信念を貫く「強き人」「賢き人」、そして「負けない人」であった。ポーリング博士は、こんなエピソードを、淡々と語ってくださった。
 ――それは日本とアメリカの戦争中の話である。
 ある人からエヴァ夫人に、日系人の青年を庭師として雇ってほしいという依頼があった。戦時中で、失業も多かった時代のことである。「個人の人権」を何よりも大切に考えていた夫人は、青年が日系人であることに関係なく、依頼に快く応じた。
 ところが、その晩、ポーリング家のガレージには「アメリカ人が死んでいるのに、ポーリングは“日本人”を大切にしている」といった落書きが、ペンキで大きく書かれたのである。この事件は、新聞にも報じられ、博士夫妻には脅迫の手紙も何通か送られている。ずいぶん悪評も立てられたようである。しかし、それでも博士と夫人は、その日系人の青年を保護し続けたのである。「心配しなくていいんだよ」「人間には生き抜く権利があるのだから」と――。このように博士夫妻には、万事に一貫した、さわやかな信念の行動があった。

 戦時中、ポーリング博士夫妻は、長男を戦場に送っている。そうした経験をもつ母親としての思いもこめ、エヴァ夫人は、戦後、夫と共に平和への行動を開始する。「息子を苦しめた戦争を二度と起こしてはならない」「平和のために戦おう」と決意し、核兵器廃絶への活動に立ち上がる。
 「核の力」に対する「精神の力」の戦い――。夫妻は健気にも、二人三脚で新しい使命の道を歩み始めたのである。しかし、尊き無償の行動を続ける夫妻に、さまざまな理不尽な圧迫が加えられた。
 一九五〇年から数年間、アメリカでは、マッカーシー旋風(マッカーシー上院議員らによる、共産主義をはじめとする思想・言論への弾圧)が、暴風雨のように吹き荒れた。
 そのなかで、ポーリング博士は何回も取り調べを受け、外国にも行けないように、パスポートの発行も拒否された。また大学でも学科長の職を解任され、給与も減額。さらに、研究室を明け渡すよう迫られたのである。
 こうしたなかにあって、なぜ博士が正義の信念を貫き通すことができたのか。博士は言われた。「(核兵器反対の立場をとるという)決断をうながす決め手となったのは、妻から変わらぬ尊敬を受けたいという私の願いでした」と――。
 夫妻は、平和への強い“同志愛”で結ばれていたのである。

 博士の闘争には、悲壮感がなかった。こんなエピソードもある。
 ある日、博士はご夫妻で、核実験の再開に反対する婦人団体のデモに参加された。一九六二年のことである。デモで、ポーリング夫妻は、ケネディ大統領に「反核」を訴えるプラカードを掲げ、ホワイトハウスの前を行進した。
 デモが終わると、夫妻はタキシードとドレスに着替えて、そのホワイトハウスへ。全米のノーベル賞受賞者の晩餐会に、夫妻も招待されていたのである。
 もちろん、ケネディ大統領夫妻も、デモのことはよく知っていた。しかし、笑顔でポーリング博士夫妻を歓迎する。お互いに、大人であった。
 あいさつを交わしたさい、大統領夫人は、平和への主張を「これからも主張し続けてくださることを希望します」と語ったという。博士は大統領夫人とダンスも踊った。
 ポーリング博士の、この余裕、この度胸、この決意――。博士夫妻の正義の闘争は、どこまでも“楽しく”、どこまでも“愉快に”進められた。
 知性ある人は、何か行動する。運動する。社会のため、人類のため、未来のために。「行動なき知性」は本物ではない。真の知性の人は、信念の人であり、勇気の人である。
 博士が、私との対談の一つの結論として、「民衆は、政治家や権威者の虚偽の発言に惑わされてはならない。民衆には、彼らを本来の正しい軌道に乗せる力と責任がある」と言われていたことが、忘れられない。

ライナス・ポーリング 1901年~94年。アメリカのオレゴン州ポートランド生まれ。カリフォルニア工科大学やスタンフォード大学の教授を務め、アメリカ化学学会会長などを歴任。エバ夫人と共に平和運動に尽力した。54年度ノーベル化学賞、62年度ノーベル平和賞を受賞。単独で二つのノーベル賞を受賞したのは、世界でただ一人である。74年からはライナス・ポーリング科学・医学研究所所長となり、ビタミンCの研究に力を注ぐ。著書に『化学結合論』『ノーモアウォー』など。

交流の足跡
 アメリカ・イギリス・ソ連(当時)の3国間で締結された部分的核実験禁止条約。同条約が発効された1963年10月10日、ポーリング博士のノーベル平和賞受賞が発表された。博士は受賞講演で、こう述べた。
 ――世界には、核兵器や軍事力という悪の力よりも、さらに偉大な力があります。それは、人の心であり、精神力です。私は、人の精神の力を信じます――
 人間の「精神の力」を信じた博士が、池田先生のことを知ったのは、80年代前半のこと。米ソの核軍拡競争を阻止するため、行動を続けていた最中だった。
 初の出会いは87年2月24日、場所は創価大学ロサンゼルス分校(当時)だった。対談は博士の希望で実現。博士はサンフランシスコの自宅から800キロもの道のりを、先生に会うために駆けつけた。
 先生は博士を歓迎し、「5年前に逝去された博士の奥さまに、心から哀悼の意を捧げさせていただきます」と真っ先に伝えた。博士は喜色を浮かべて応じた。
 「私はうれしい! 世界平和を達成するために、大変な努力をしている方とお会いできたのを喜んでいます。その努力が実るよう、私にできることは、何でも喜んで協力させていただきます!」
 先生は語った。
 「私が平和を信条として立ったのは19歳の時でした。戦争で家を焼かれ、4人の兄をとられ、私は肺病。青春は滅茶苦茶です。戦争は絶対にさせてはならない! その怒りを胸に焼き付けました」
 語らいでは、不信と対立が続く世界の現状、平和への展望などについて意見が交わされた。その後も、両者は書簡を通して対談。3年後に再会し、語らいを続けた。
 2度の対談、そして往復書簡の内容がまとめられ、90年10月2日、対談集『「生命の世紀」への探求』が発刊。博士は「平和への大きな貢献ができた」と喜んだ。
 93年1月29日、先生は米クレアモント・マッケナ大学で記念講演。博士がコメンテーター(講評者)を務めた。博士は「この講演は私の主張を代弁してくださった」と述べ、先生が講演で言及した「十界論」に触れ、語った。
 「悩める人に真心をこめて救済の手を差し伸べる――その菩薩の行動にこそ人間としての美しき証しがあり、分断を超えて共感を結びゆくカギもあります。そして、悩める民衆を救済し、平和に寄与しゆくところに宗教本来の重要な役割があるべきであります」
 「そうした崇高なる使命とは裏腹に、宗教が常に戦争の因を築いてきたというのが、歴史の悲しい事実であります。しかし私たちには創価学会があります。そして宗教の本来の使命である平和の建設に献身される池田SGI会長がおられます」
 最後となる4回目の対談は同年3月16日、サンフランシスコ市内で行われた。席上、先生は博士の業績を紹介する展示の開催を提案。実現した「ライナス・ポーリングと20世紀」展は、世界で100万人以上の入場者を集めた。
 94年8月、93歳で生涯の幕を閉じた博士。『「生命の世紀」への探求』の「まえがき」には、こう書き残されている。
 「ここ数十年間にわたり池田大作氏と私は、軍縮と世界の相互理解と世界平和の目標を実現するために働いてきた」
 「私はあらゆる人々がこの対談集を読み、不戦と平和な世界の建設という目標を実現するために自ら立ち上がる決意をするよう促したい」