| ジュロヴァ博士 25年4月24日 |
| 太陽のごとく希望と知恵を輝かせて、繁栄の春へ ヨーロッパ南東部に位置するブルガリア。古くからシルクロードを通じて東西を結び、文化と思想が交差する舞台であった。1981年5月、池田大作先生は同国を初訪問。建国1300年の佳節であった。この訪問の折、先生はソフィア大学から名誉教育学・社会学博士号を受け、「東西融合の緑野を求めて」と題して講演。講演を聴講していた一人が、アクシニア・ジュロヴァ博士だった。ソフィア大学教授を務め、東方キリスト教の文献学などで画期的な業績を残してきた芸術史家である。博士は先生と4度の対談を重ね、その内容は対談集『美しき獅子の魂』として結実した。今から35年前の1990年4月、旧・聖教新聞本社で行われた3度目の対談は、博士が歴史の転換点に直面し、試練の渦中にある中で実現したものだった。当時の出会いとともに、2人の交流の軌跡を紹介する。 ![]() 2006年3月、池田先生がブルガリアの芸術史家・ジュロヴァ博士と再会し、笑顔で語らう(東京・創価大学で)。博士は「将来にわたって、この交流が続いていくことを念願しています」と 【池田先生】 「博士は、人間としての 『勝利の旗』を魂に掲げた人」 【ジュロヴァ博士】 「嵐の中で人類のために戦う 池田先生こそが真の指導者」 「ようこそ! ようこそ! 待っていました」 1990年4月16日、池田先生はジュロヴァ博士を旧・聖教新聞本社に迎えた。 82年に両者は初めて語らい、翌83年に再会を果たす。以来、7年ぶり、3回目となる対談である。 「ブルガリアのシンボルは“獅子”です。今は大変でも“獅子の国”らしく生き抜いてください」 「人間を太陽になぞらえる貴国の民話も多くあります。“太陽”のごとく希望と知恵を輝かせて、繁栄の春へと進んでください」 池田先生の言葉を、ジュロヴァ博士は一語一語、真剣な眼差しで受け止めた。 当時、ブルガリアは歴史的激動の中にあった。89年の東西冷戦の終結を機に、ロシア、東欧諸国の共産主義体制は崩壊へと向かう。民主化の波はブルガリアにも押し寄せた。 為政者の処刑など、“流血”を伴う民主化もあった中、ブルガリアでは平和裏の移行が実現した。その立役者の一人が、ジュロヴァ博士の父であり、軍最高責任者を務めたドブリ・ジュロフ将軍であった。 将軍は、国家元首を粘り強く説得し、無血での政権移行を実現する。しかし、体制変化の混乱は激しく、物価は急騰。人々の不安と怒りが高まり、連日のようにデモが起こった。 批判の矛先は、民主化を実現させたジュロフ将軍や、家族であるジュロヴァ博士にも向けられた。90年の会見は、その極限状況の中で行われた。 池田先生は、博士の心を温めるかのように、真心の励ましを送った。 「他人がどう考えているか、時代がどう見ているかは、永遠から見れば、小さいものです」 「祖国の未来を思う博士は、人間としての『勝利の旗』を魂に掲げた人です。時代は変わり、人の心は移ろう。それらを超えて、私が見つめているのは『人間』です。人間の『魂』です。長い歴史の上から、また永遠性の上から見なければ、本当の『勝者』は分かりません」 先生の言葉は、博士の胸に響いた。博士は応じた。 「励まされます。お話をうかがって、私はかつて池田会長も引いてくださった10世紀のブルガリアの人、プレズビッテ・コズマの言葉を思い出しました。 『試練を受けねばならない。試練とか困難の時にこそ、民衆や神に祝福される指導者が現れるのだ』。嵐の中で人類のために戦っておられる池田会長こそ、この言葉通りの方と思っています」 先生は「御書を持ってきてほしい」と側にいたスタッフに頼んだ。御書を手にすると、「御義口伝」の一節を朗読した。 「善悪一如なれば、『一心福(一心の福)』とは云うなり。いわゆる、南無妙法蓮華経は『一心福』なり」(新1100・全790) そして、こう語った。 「善の行為をしている人間が、ある面で見れば、善でない場合がいっぱいある。悪の場合がある」 「キリスト教でいえばイエスも、私の信仰でいえば日蓮も、当時は悪人です。死刑であり、流罪です。しかし、そうであっても善である」 先生は御書を手に語り続けた。 ――父上の政治的な評価は、絶え間なく揺れ続け、批判され続けるでしょう。そんなものに左右されてはなりません。屈してはなりません―― ![]() 1981年5月、池田先生がブルガリアを初訪問した際、同国最高学府のソフィア大学で名誉博士号の授与式が行われた 最大の薬は励ましの声 ![]() ブルガリアで第2の規模を誇るプロブディフの街並み(池田先生撮影、1981年5月) 対談の終わり際、ジュロヴァ博士に賞が贈られた。池田先生が創立した東洋哲学研究所が、優れた学識者をたたえるために設けた「東洋哲学学術賞」である。 先生は「親子の勝利のしるしとして」「お父さまによろしく」と伝えた。博士は「私は今、感動してしまいまして、何と申し上げていいか分かりません……」と声を詰まらせた。 対談は1時間半に及んだ。博士が車に乗る瞬間まで、先生は声をかけた。 「お父さんを励ますのはあなたしかいません。最大の薬は娘の声です。声が愛情です」 博士は満面の笑みを浮かべて、車中から先生に「お元気で」と手を振った。対談開始時とは、表情は一変していた。 1999年、両者の対談集『美しき獅子の魂』が発刊された。翌2000年、ブルガリア語版が出版され、同国出版界最大のイベントで「最優秀出版物」に選出。国営テレビでも紹介されるなど、高い評価を得た。 その後、博士の提案で、往復書簡による語らいが再開される。新対談は17年、学術誌「東洋学術研究」に「大いなる人間復興への目覚め」と題して掲載。ブルガリア語版では20年、対談集『人間を守るために』として結実した。日本語版は今秋、東洋哲学研究所から発刊の予定だ。 博士は後にこう語った。 「池田先生との対談集の執筆作業は、あの長い困難な時代にあって、私の精神の支えとなりました。先生に心から感謝したい」 「私の人生史は、池田先生と出会った1982年以前と以後に分けられます。先生から多大な影響を受けられたことは、一生の誉れであり、感謝です」 ![]() 池田先生とジュロヴァ博士の対談集『美しき獅子の魂』の日本語版㊨とブルガリア語版 |