未来学者 ヘイゼル・ヘンダーソン博士
25年3月14日
 
人間を信じ、未来を信じる
 「創価学会の皆さまと一緒に、“民衆に奉仕するリーダーシップ”の道を歩めることが、とてもうれしい!」と語った世界的な未来学者のヘイゼル・ヘンダーソン博士。池田先生が博士との交流をつづったエッセーを掲載する。〈『新たなる世紀を拓く』読売新聞社から〉

ヘンダーソン博士と池田先生が会見し、和やかに語らう(2000年10月27日、東京・信濃町の旧・聖教新聞本社で)
 
 「未来学」。何と素晴らしい着想だろうか。
 人間だけが「未来」を考えられる。
 人間だけが、価値ある「未来」を描き出し、その緑野に向かって、「現在」の山坂を乗り越えていける。
 未来を信じることは、人間を信じることである。未来学。それは「希望」の学問である。
 行動する未来学者、ヘイゼル・ヘンダーソン博士は言う。
 「どんなに目の前の『壁』が厚く見えようとも、必ず、どこかに『ドア』は開いているものです。決して、あきらめてはいけません」
 博士自身の体験から得た確信である。彼女は、かつてニューヨークに住んでいた。学者でも何でもない、平凡な主婦だった。
 ある日、幼い娘さんの肌に付いた“すす”が、こすっても落ちなかった。彼女自身も、いつからか、咳が出るようになっていた。
 「何か、おかしい」。彼女は、さっそく市長に手紙で問い質した。しかし、返ってきたのは、いいかげんな答えだった。「それは海からの霧が原因でしょう。大したことはありません」
 とても納得できない彼女は、市当局が「大気汚染のデータ」を持っていることを突き止めた。皆に知らせなければ――しかし、何の立場も経験もない自分の言うことなど、だれが聞いてくれるだろう?
 それでも「母として」「一市民として」黙っていることはできなかった。ここに、彼女の行動の原点がある。世界的な学者となった今も、この一点が揺るがない。そこが素晴らしい。
 従来の学問の行き詰まりを超えた「人間として」の視点である。
 彼女は、知り合いの女性たちに実情を話した。そしてグループを作って、テレビ各局に手紙を書いた。「こんなデータがありますが、知ってますか?」。思いがけなく、早くも一カ月後に返事がきた。ABCテレビから「天気予報で『大気汚染指数』を入れることにします」と。全米の他局にも広がっていった。
 彼女は、勇気を得た。「じゃあ次は、こうしよう」。そしてまた勇気を得て、「では次は」。こうして次々と「壁」を乗り越えてきた。
 彼女の人生そのものが、「未来」への挑戦であったのだ。
 
「人間として」を抱きしめて
 通常の大学教育は受けていない。イギリスで生まれ、十六歳から故郷のホテルで働いた。
 二十五歳で渡米し、航空券を売る仕事をしていた。そして結婚。「子どもに、きれいな空気を吸わせたい」という素朴な願いから、今に続く戦いが始まったのである。
 九八年、お会いした時、こう言われた。「私は長年、孤独な戦いを続けてきました」と。
 政治家や専門家たちからは、いつも反論された。空気をきれいにしようと言うと「お金がかかるからできない」。こうだから、ああだからできない、と。「主婦なんかに経済の仕組みがわかるものか!」という態度であった。
 しかし彼女は、だまされなかった。「環境を破壊し、人間を苦しめるのが今の経済理論なら、理論自体がおかしいのでは? 皆を幸福にするために経済学があるのでは?」
 そう。「しろうと」の目から見て、おかしいものは、おかしいのである。政治家も、学者も、医師も、弁護士も、言論人も、聖職者も、すべて「しろうと」のためにいるはずである。それが、いつのまにか、「しろうとは、口出しするな!」という風潮になっていく。その傲慢から、一切の狂いが生まれる。
 彼女は発奮した。「私は、抑えつけられると、反対に『負けるもんか』と力を出していく人間なんです」
 独学で猛勉強を重ね、やがて世界的な学者をも論破するに至った。
 「GNP(国民総生産)とかGDP(国内総生産)だけを基準に『豊かさ』を決めるのは無意味では? それらには、汚染をもたらした経済活動も、その後で汚染を除去した活動まで加算されているのだから! それよりも現実に、どんな人間的暮らしをしているかという『生活の質』指数が大事なのでは?」
 「家事労働や、地域への無償の奉仕活動は、GNPの計算に入らないけれども、こうした『愛情経済』も算入すべきでは?」
 「膨大な軍事費を削減して、人類の福祉に使うべきでは?」「今の経済学は、政治家や企業の都合に合わせた『変装した政治』では?」
 「自分たちの目先の利益のために、長期的に人類に損害を与える経済学は、近視眼では?」「一部の人間が勝者となり、他の人が敗者になる経済ではなく、『だれもが勝者になる』社会は必ずできるはずです」
 今は受け入れる人が多くなった彼女の主張も、当初は大変であった。無視もされ、笑い物にもされた。ある時は、企業の幹部から「アメリカで最も危険な女性の一人」と、名指しされた。しかし「これは誇るべきことです」と彼女は、にっこり胸を張る。
 
民衆運動こそ「第三勢力」
 「世界を動かしているのは、国家と企業です。しかし、このどちらにも、モラルがありません。精神性がありません。『第三の勢力』である民衆運動が必要です。民衆が団結して、政治家と企業人に『モラルの圧力』を与えるべきです。
 しかし、『民衆が力をもつ』だけでは、運動は腐敗し、権力抗争に巻き込まれて崩壊してしまいます。力をもつとともに、ひとりひとりを高い精神性に目覚めさせていく民衆運動でなければならないのです」
 こうして博士は、わがSGIの運動に熱い賛同を寄せてくださっているのである。
 三十余年間の不屈の戦いから得た確信を、博士は、こう言い切っておられる。
 「専門家や政治家よりも、いつも大衆のほうが前を歩いているものです!」

ヘンダーソン博士が創価女子短期大学の学生と交流(2005年11月13日、東京・戸田記念国際会館で)
 
ヘイゼル・ヘンダーソン 1933年、イギリス生まれ。渡米後、子どもたちを大気汚染から守ろうと、近隣の女性たちと市民運動を展開した。独学で環境、経済、国際政治等を学び、行動する未来学者として世界的に活躍し、各国の有名紙誌にも寄稿。30カ国以上でNGO諸団体のコンサルタントを務め、多くの大衆運動を進めた。「国連基金のための地球委員会」創設に尽力するなど、幅広い国連支援も行った。2022年死去。
 
 
交流の足跡
 「私がお茶を飲む自宅のテーブルには、いつも池田会長のご著作が置いてあるのです」
 1998年(平成10年)9月19日、池田先生との初会見で、未来学者のヘンダーソン博士が語った。先生の思想と行動に、大きな関心を抱いた博士は、称賛を惜しまなかった。
 「池田SGI会長は、人間の本質を信じ、民衆を正しい方向へと教育されています。それによって、人々は互いに尊重しあう寛容の心をもつようになり、一人一人の市民が成長し、賢くなっている。素晴らしいことです」
 先生は感謝しつつ、応じた。
 「民衆の成長こそ、人類社会の進歩の『骨格』です。『土台』です。『根本』です。この『骨組み』がしっかりしてこそ、政治・経済その他の努力を、幸福の方向へ、平和の方向へと結び合わせていけるのです」
 「SGIは民衆による民衆のための運動です。人類史上の聖人・賢人たちが果たせなかった理想を、民衆が成長し、民衆の手で実現しようという、壮大な“実験”をしているのです」
 語らいの後、博士はSGI青年平和総会に出席。率直な思いを参加者に伝えた。
 「SGIの運動を知り、『人道的競争』を提唱した創立者の牧口会長、その展望を継承した戸田会長、そして現在の池田会長の優れたリーダーシップとビジョンに私は感銘を受けました」
 博士は、21世紀のビジョンとして「皆が勝者となる世界」を提唱していた。国際政治や世界経済において、犠牲となる国や人々を生み出すシステムの転換を訴えた。それは、「人道的競争」と響き合う理念であった。
  
 2000年(同12年)10月27日に二人は再会。先生は、少人数で語り合うことから始めた博士の運動について、「そこに、社会を変革しゆく、正しい軌道があると確信します」と述べ、悪意の中傷すら誇りに変えて、戦い続けた勇気をたたえた。
 “「草の根の運動」こそが全てを動かしていく”との信念で行動してきた博士は、こう応じた。
 「言うべきことは、声を大にして言っていく。これが私の存在意義だと思っていますので、だれも私をとめることなどできません!」
 2度の語らいを契機に、二人は書簡で対話を続けた。博士は「新しい『地球的文化』を創造していくための重要な挑戦」との確信で臨んだ。語らいは、対談集『地球対談 輝く女性の世紀へ』に結実。英語やフランス語などにも翻訳されている。
 対談は、市民運動の意義や愛情の経済、循環型社会など多岐にわたるテーマで行われた。その中で“地球革命は人間革命から”との見解で、二人は一致する。博士は述べている。
 「『人間革命』によってこそ、人間の自然観、生命観、価値観を根本から変革することができる。人類には自身の運命を変えゆく力がある――私自身も、心からそう思っています」
 「人間革命」の哲理に深く共感した博士は、2019年(同31年)2月、前年に完結した小説『新・人間革命』を通して語った。
 「池田会長が示す未来への人間主義の哲学とビジョンは、人類への最高の贈り物です」
 「SGIの女性の皆さんは、私にとっても大事な啓発の源です。平和と共生の未来を築くために、皆さんがグローバルな運動をリードしてくださることを、心から期待しています」