第10回 世界に羽ばたく諸君のために
25年2月23日
最も自由で、最も価値的な、最も楽しい集いが創価学会である

チャオプラヤー川の流れのごとく
空は夕日に赤く染まり、優しい風にチャオプラヤー川の水面は静かに揺れていた。
1992年2月1日、タイ訪問中の池田大作先生は、カメラを手に建物の外へ。時折、「よし!」とつぶやき、シャッターを切っては、一瞬の輝きを永遠にとどめた。
前日にタイに到着。先生は宿舎で出迎えた同志に、胸元で手を合わせ、一人一人に「サワディークラップ!(こんにちは!)」「ありがとう!」と声をかけた。
その姿を見た宿舎の従業員は驚き、メンバーに尋ねた。「この方はどなたですか? これほど慈悲に満ちた振る舞いをされた方は初めてです。誰一人、分け隔てなく、声をかけるなんて……」
タイの友と絆を結ぶため、先生は友の姿を見つけては励ましを送り、記念のカメラにも納まった。
2月5日に開催された記念総会。先生は、88年にもチャオプラヤー川のほとりで友と懇談したことを「忘れ得ぬ光景」と語った。そして、タイの詩人の言葉を紹介する。
「どこかに涼やかな河が流れていれば、旅人たちが必ず寄ってくる。彼らは河のほとりで水を浴びたり、飲んだり、安心してくつろぎ、楽しむ。誠実な良き人はこの川のようである」
先生はタイの同志こそ、“涼やかな河”とうたわれる誠実な一人一人であるとたたえた。また、一次元から言えば、釈尊が「良き人」であったがゆえに、仏教もあらゆる人々に広まっていったと述べ、こう望んだ。
「さらに『人格』を磨きつつ、チャオプラヤー川の流れのごとく、タイの人々に限りない安らぎと、潤いを贈りゆく“希望の大河”となっていただきたい」
この5度目のタイ訪問の折、先生と永遠の原点を刻んだ一人が、カズヒコ・バンノさん。昨年、タイの最高会議議長に就いた。バンコクを基点に、南のマレーシアとの国境や北部のラオスとの国境まで駆け巡っている。
今月9日、バンノさんは東北部のウドーンターニー県の集いへ。「伝統の2月」はタイにとっても師との原点を刻む重要な月。バンノさんは、池田先生の歩みを振り返り、友に世界広布への決意を語った。
先生がタイに第一歩をしるしたのは61年2月。翌62年2月11日にタイを再訪し、バンコク支部結成が発表された。この日は戸田城聖先生の誕生日。先生は恩師に思いをはせ、訴えた。
「戸田先生は『雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん』との和歌を詠まれましたが、タイは、そのアジアに幸の光を送る一大拠点であり、アジアの灯台となる使命の天地であります。また絶対にそうなっていただきたい」
バンノさんは静岡に生まれ、創価学園・創価大学に学んだ。学園時代、世界に羽ばたく使命を訴える創立者の激励に、いつかはと思いを募らせる。
創大在学中、タイからの留学生と知り合った。親しく交流し、タイへの興味が膨らんだ。卒業後、海を渡ることを決めた。

池田先生がチャオプラヤー川の岸辺でカメラを向けた。先生はタイの友へ贈った長編詩に「あなたたちもまた 平和と文化と友誼の 母なるチャオプラヤーとなって 友を 社会を潤してくれ給え」と(1992年2月1日)

力強い筆致で書かれた感動
1982年、バンノさんのタイでの生活が始まった。語学学校に学び、翌春、タマサート大学の大学院に入学。地元の法律事務所で研修を受けながら、学会活動にも励んだ。
タイ語はまだまだだったが、ともかく友のもとに足を運んだ。その地道な実践が実を結び、男子部部長の時、タイで全国一の結集を果たした。
88年、池田先生がタイを訪問。バンノさんは、役員として諸行事の運営を陰で支えた。通訳を担当することも。会う人会う人に心を尽くす先生の姿に、リーダーとしての“心”を学んだ。
当時、タイではまだ創価学会に誤解や偏見を持つ人もいた。先生とプーミポン国王との3度にわたる会見は、学会への認識を大きく変えた。
バンノさんは、タイで世界広布に生き抜くと決めた。創価の哲学を広げる中で、多くのドラマがあった。
2003年、タイの各地で行われた「自然との対話――池田大作写真展」。ある会場に、毎日、鑑賞に来る女子学生がいた。先生の写真に出あえた感動をつづり、役員に手紙を手渡した。
そこには、自ら命を絶とうと考えるほどの絶望の淵にあったが、先生の写真は友を励ますためであると知り、「これほどまでに他の人のことを考えてくれる方が、この世にいたのか」と感動したことが記されていた。そして、力強い筆致で「希望が湧いてきました」とあった。
“私たちからアジアに人間主義の希望の光を”とタイ創価学会は、良き市民として理解と共感を広げてきた。
13年、タマサート大学から池田先生へ名誉博士号が授与された。同大学の大学院で学んだバンノさんにとって、大きな喜びとなった。
バンノさんはタイの創価家族と共に、師への報恩の決意を燃やし、2030年に向けて30万の地涌の陣列拡大へと進んでいる。“2050年までにアジアをはじめ世界の平和の基盤を築きたい”との師の構想実現のため、タイ広布の伸展に尽くす。

第1回タイ総会で池田先生が友を激励。「大好きなタイの皆さまにお会いでき、うれしい。今日は家族の懇談会を」「一番、素晴らしい人生を生きるための原動力が信心である」と語った(1994年2月6日、タイ本部で)

師と不動の山を重ねて
東京の日大講堂(当時)に集まった高校生たちの瞳がひときわ輝いた。1969年8月15日の第2回高等部総会。池田先生の声が響いた。
「大空に羽ばたきゆく、可愛い諸君の未来のため、簡単に五つの所感を重ねてここで申し上げておきたい」
学問や健康の大切さを語った先生は、「諸君は語学、または技術を身につけ、平和大運動のために妙法をひろめる“使徒”として、世界のひのき舞台へ絶対に雄飛していっていただきたいのであります」と期待を寄せた。
チリSGIの理事長を務めるフミオ・イマイさんは当時、高校2年生。先生の言葉を指針とした。関西外国語大学でスペイン語を学び、海運会社に就職。28歳の時、南米で働く話が舞い込み、決断した。
81年11月からチリに居住する。キリスト教徒が大多数で、南北約4300キロに延びた細長い国土。そのチリに地区が結成されたのは74年のこと。前年に軍事クーデターが起こり、言論の自由、集会の自由が制限される中でのスタートだった。
事前に国防省と管轄する警察署に申請書を提出すれば、会館での会合だけは認められた。イマイさんがチリに渡った時も、まだ軍事政権下だった。
イマイさんは同志の輪に飛び込んだ。座談会は「センセイ! センセイ!」と師を求める熱気に満ちていた。
一方、仕事では営業成績が伸びず、悩みに悩んだ末、離職。新たな道を開こうと懸命に祈り、仏法対話に励む中で、再就職を果たした。
85年、チリ男子部長の任命を受けた。87年、研修会で来日した折、池田先生はイマイさんに声をかけた。
「どういう経路で来たんだい?」。質問に答えた後、イマイさんは自分が感じていたことを口にした。
「毎朝、仕事に出る時、アンデス山脈の雄姿を見ると、勇気が出ます!」
普段から池田先生と不動の山を重ねていた。「いいこと言うなあ!」と先生は笑顔でうなずいた。
2年後の来日でも、先生は「チリのみんなは元気かい?」「仕事はどう?」と。だが、イマイさんは言葉に詰まった。賃金は安く、生活は楽ではなかった。瞬時に察した先生は、「大変だろうな。大変だろうけど、同志をよろしくね」と励ました。
師の慈愛に涙し、イマイさんは一層の決意でチリの同志の励ましに奔走した。90年、軍事政権が崩壊し、民政に移行。3年後、待望の瞬間が訪れる。

「思えば、どの国も、一つ、また一つと、全精魂を注いで歴史の扉を開く、真剣勝負の広布旅であった」と池田先生はつづった。1993年2月23日、チリへ向かう飛行機の下にアンデス山脈が広がっていた(池田先生撮影)

君よ雄々しく 弟子と立ちゆけ
93年2月23日、先生を乗せた飛行機がパラグアイの空港を離陸し、チリへと向かっていた。眼下に、雪を冠したアンデス山脈が連なっている。
恩師から託された世界への平和旅が50カ国・地域になろうとしていた。サンティアゴが近づくと、三日月と金星が美しくきらめいた。先生は詠んだ。
「荘厳な 金色に包まれ 白雪の アンデス越えたり 我は勝ちたり」
午後9時、搭乗機が着陸した。迎えた友に、先生は「全部分かっています」と。宿舎の廊下で出会ったメンバーにも、「本当に長い間、辛抱強く待ってくださり、心から感謝します」と語り、握手を交わした。
翌24日、先生はチリ文化会館へ。少年・少女部が歓迎した。先生は笑顔で「出迎え、ありがとう」と語り、ユーモアを込めて、「ママに怒られない方法はね、何でも『はい!』って返事するんだよ」と。先生の言葉が訳されると、子どもたちの笑い声が響いた。
通路に白蓮グループのメンバーが立っていた。「さあ、一緒に行こう」と記念植樹のセレモニーへ。先生は歩きながら、家族のことを尋ねた。彼女は母を亡くしたばかりだった。
そのことを聞くと、先生は立ち止まり、彼女の両手を取って、「お母さんはいつもあなたと一緒にいるよ。私も、あなたの幸せを祈ります」と、深く頭を下げた。「いつまでも使命のために戦い続けるんだよ」。彼女のほおを涙がつたった。
歓喜に沸いた第1回チリSGI総会。先生は入場後、マイクを握ると、立ったまま語り始めた。「まず上着を取りましょう」。緊張が一気にほぐれていく様子をイマイさんは感じた。
先生は語った。
「最も自由で、最も価値的な、最も楽しい集いが創価学会である」
「『本物の道』が一つあれば何でもできる。それが『師弟の道』である」 「私は、戸田先生の道を歩み、戸田先生の道を広げながら、そこに、さまざまな花を咲かせ、実を結ばせてきた。五十カ国歴訪もその一つである。いよいよ、これからが本番である」
総会後、友好の集いに移った。舞踊や民謡が披露された。翌日、先生はエイルウィン大統領と会見を行った。
師がチリに降り立ち、ブラジルに発つまで約40時間。それは今、チリの友の魂の原点と光り輝く。
イマイさんは、その歴史を後継の青年に語りながら、青年の気概で広布拡大の先頭に立つ。胸にはいつも、先生から贈られた和歌がある。
「なつかしき 思い出多き チリにて 君よ雄々しく 弟子と立ちゆけ」

第1回チリSGI総会で友を励ます池田先生。「全世界に皆さまを紹介する意味を込めて呼びかけをさせていただきたい」と、支部の名前を一つ一つ読み上げた(1993年2月24日、チリ文化会館で)