第51回 戸田先生
「書を読むの心がまえ」㊤
26年2月2日
 
世界の名著を学び人類のために行動を
図書館は21世紀の指導者を育む源泉

戸田先生 「書を読むの心がまえ」 (1955年2月)


 「眼光紙背に徹す」ということばがあるが、古人も、読書の心がまえにおいては、種々に警告を発している。相当の哲人、文士、評論家等の、世の指導階級が著した書物を読むに当たって、その人が何をいわんとし、何を説かんとしているかを、正確につかむことが大事である。(中略)
 されば、一人の人の思想をとらえんとするには、精読が、肝心である。乱読するときにおいては、うわすべりの学問はできても、深い思想点に達することはできない。ある一人の人の思想点に達することができれば、それから徐々に、他の人々の思想の表現を読んでも、それをつかむことができるようになる。そのときには、必ず、同等性と差別性に気をつけなければならない。この考え方で読書するならば、その人々の思想を正しく認識することができるであろう。
 ただ慎むべきは、一人の人の思想に止まってしまったとき、それ以上のものを、受け入れられない感情が生ずることが多い。これは、もっとも恐るべきことで、とくに、青年の注意すべきことである。
 また、相当の哲学者、文士、評論家等の人々が、その思想を表現するに当たっては、長い間の研さんがなされていることに、留意しなければならない。だから、自分の学力が、はなはだかけ離れている場合には、その意図の何分の一、あるいは何十分の一をもつかむことができない。この点に留意して、謙遜なる気持ちをもって読書しなければならぬ。一度読んだぐらいで、もう、その人の所説が、ことごとく、わがものになったとは、いいきれないのである。(中略)
 低い思想の人から、高い思想の人へと比較研究して学問するのが、当然のように思っているものが多いが、それは大きな誤りであり、また、もっとも時間の不経済なことである。
 しからば、いかになすべきか。吾人は、これに答えてかくいう、「もっとも高き思想のものに、最初から深く入れ」と。ここに指導者の必要があるのである。いかなる思想の人がもっとも高きかを、教えうる人が必要となってくるのである。
 (『戸田城聖全集』第1巻)


東京・氷川での野外研修(1954年9月)に続いて、55年6月に山梨で行われた水滸会の野外研修。

池田先生は2007年8月に行ったスピーチで、師から受けた薫陶を振り返り、「青年時代、私は戸田先生のもとで多くの古典や文学作品を学んだ」「本当に偉大な師匠であった。青年を育てる。青年を偉くしていく。それが本物の指導者である」と語った
 戸田先生が、世界の名著や学術書などを通して池田先生に一対一の個人教授を始めたのは、50歳になろうとしていた頃(1950年1月)だった。
 この“戸田大学”での薫陶で、池田先生が胸に刻んだ教えの一つが、「良き世界の文学を読むように! すべてが、一流の次元の論理であり、真理であり、重要な深遠な哲学であることを、忘れてはならない」との読書の心構えである。
 歳月を経て、池田先生が50歳になった年の春(1978年3月)、創価大学に待望久しかった中央図書館が誕生した。
 竣工翌日の夕刻、創立者の池田先生は中央図書館に向かい、入り口までの階段を一歩一歩踏みしめながら上っていった。そして書庫を見て回りながら、「ずいぶん(本が)入っているね。いい本があるね」「学生が喜ぶだろう。戸田先生もお喜びくださる」と笑みをたたえた。
 その際、池田先生の胸に去来したのは、ありし日の夕刻に、“創価教育の未来の姿”を思い描きながら戸田先生が語った言葉だったのかもしれない。
 時は1954年9月――。創価学会男子部のグループである水滸会の野外研修のため、戸田先生や皆と共にバスで氷川に向かう途中、八王子を通りかかった折のことを、池田先生がこう回想していたことがあった。
 「茜色に染まった道で、恩師は学会の将来構想、青年の育成方法などを縦横に語られながら、私にポツリと言われた。『いつか、この方面に創価教育の城をつくりたいな』
 高く澄みわたった夕空に、恩師の瞳は、英知を磨く学生たちの姿を、追っておられるかのようであった――」と。
 池田先生はこの師の言葉を胸に、1971年4月、八王子に創価大学を開学した。
 そして、古今の名著と向き合う中での人間錬磨を重視した戸田先生の精神を踏まえ、図書館の役割に強い期待を寄せた。
 図書館がラーニング棟の地下にあった時期から、池田先生は創立者として「人間之王者」の額を贈るとともに英文書籍2000冊を寄贈。運営を支える職員らに「図書館は大学のなかでも大事なところだ」「二十一世紀の指導者を育んでいく源泉となるんだ」と声をかけ、労をねぎらっていたのである。

 創価大学が中央図書館を増改築し、図書の収容能力が拡張された翌年(1997年5月)、「池田文庫」が開設された。
 池田先生が若き日から精神の糧としてきた書籍をはじめ、約7万冊からなる文庫である。
 「人類のために、思索せねばならぬ。行動せねばならぬ。学ばねばならない」との、創価大学の使命に対する万感の思いを込めて寄贈されたものだった。
 この指針に通じる戸田先生の指導を池田先生が受けたのは、1954年2月、水滸会の会合終了後に懇談をした時だった。“社会全般、全世界の運命の中に自分を置いて、一切の発想をすることが必要になっている”と指導され、今後の使命を果たすために、さらに研鑽に努めるよう促されたのである。
 そもそも、戸田先生に青年部の人間錬磨の場を設けることを進言したのは、池田先生にほかならなかった。
 戸田先生も、未来を見据えて青年たちの本格的な育成が急務であると切実に感じていた。この師弟の思いが合致する中で、女子部の代表による華陽会の結成に続いて、男子部の代表による水滸会が結成をみたのだ。
 水滸会では、グループの名称の由来ともなった佐藤春夫の『新譯 水滸傳』をはじめ、ユゴーの『九十三年』、デュマの『モンテ・クリスト伯』、ゴーゴリの『隊長ブーリバ』などを教材にして薫陶が行われた。
 その中で戸田先生は、読書の心構えについてこう教示した。
 「本の読み方にも、いろいろな読み方がある。まず筋書きだけを追って、ただ面白く読もうというのは、もっとも浅い読み方だ。
 次に、その本の成立事情や歴史的背景を調べ、当時の社会情勢や登場人物の性格なども見きわめながら、よく思索して読む読み方がある。
 そして第三に、作者の人物や境涯、その人の人生観、世界観、宇宙観、さらには思想まで深く読みとる読み方がある。そこまで読まなければ、ほんとうの読み方ではない」と。
 また華陽会では、ディケンズの『二都物語』をはじめ、リットンの『ポンペイ最後の日』、オルコットの『若草物語』、イプセンの『人形の家』などが教材となった。ある時には、作品の登場人物を巡って仏法の十界互具の生命論を踏まえるような形で、「皆は本に出てくる人物とだけ思っているだろうが、それではいけない。皆の生命の中にも、この人々の生命と同じものがあるのだ。どの自分を顕して生きるかだね」と指導した。
 戸田先生を囲んでの世界の文学作品を通じた錬磨の場には、まさに「人間之王者」を育成せんとする息吹が満ちていたのである。(㊦に続く)

 <語句解説>

 眼光紙背に徹す 書物を読んで字句を解釈するだけでなく、その深意までもつかみとること。

 ゴーゴリ ロシアの小説家・劇作家。主な作品に『外套』や『死せる魂』などがある。

 リットン イギリスの小説家・政治家。主な作品に『リエンツィ』や『最後の直臣』などがある。

 十界互具 十界とは、衆生の生命境涯を十種(地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界)に分類したもの。法華経では、このいずれか一界の姿を現している衆生の生命にも十界のすべての境涯が具わっており、縁によってどの界の境涯をも現すことができるとの生命変革の極理が説かれた。