| 第45回 戸田先生 「慈悲論」㊤ 25年11月3日 |
| 法華経に説かれる「如我等無異」の精神 世界的偉人の弟子として誉れの人生を 戸田先生 「慈悲論」 (1950年1月) 仏に慈悲のない仏があろうか。仏弟子に慈悲がなかったら仏弟子とはいわれまい。仏教のはたらきは、慈悲をもってもととしている。慈悲ほど強いものは世にないのである。(中略) 現代の時勢に、もっとも吾人の強く感ずることは、人々の生活に慈悲の自覚が欠如していることである。無慈悲そのものが現代の世相ではないか。 慈悲というものは、修行ではない。行動のなかに、心のはたらきのなかに、無意識に自然に発現すべきものであって、仏は生きていること自体が慈悲の状態に生きる以外に道を知らないものである。 ◇ 慈悲こそ仏の本領であり、大聖人様は慈悲そのものであらせられる。日本国の諸人を愛すればこそ、仏教の真髄を説いて一歩も退かず、伊東へ、佐渡へ、首の座に、いくどの大難をものともせず、三類の強敵を真っ向から引きうけられた艱難辛苦そのもののご一生であらせられたのである。 これを思えば、われわれ大聖人の弟子をもって自称する者は、たとえ身は貧しくとも、学問はなくとも、身分は低くとも、いかなる地獄の世界に生きようとも、大聖人様の百万分の一のご慈悲たりとも身につけんと、朝な夕なに唱題に励まなくてはならない。それには、大聖人のご生命のこもった題目を日に日に身に染めこませ、心にきざみ、生命に染めて、一日の行業をみな慈悲のすがたに変わるよう、信心を励まなくてはならないのである。 ◇ 物の布施には限りがある。与えるほうにも限度があり、もらったほうにも、その効用には限りがある。(中略) 真の仏法の法、偉大な日蓮大聖人の真の教えである正法を与えるなら、与えるほうも大聖人の教えを伝えるだけであるから無限であり、与えられたほうも、生命の源泉に清浄な生命力を植えつけられるのであるから、無限の活動力が生じて、新進の人生が開拓できるのである。これこそ真の慈悲と称すべきであって、われわれの慈悲はこれである。 (『戸田城聖全集』第3巻) ![]() 1956年5月、東京・信濃町の学会本部(当時)で行われた地区担当員会で指導する戸田先生。池田先生は後年、こうした師の折々の姿に思いを馳せて、「戸田先生の晩年の戦い――それは、『全学会員を、そして全民衆を一人も残さず幸せにしてみせる』という烈々たる大闘争であった。ここに『学会精神』がある」と強調した 日本をはじめSGI(創価学会インタナショナル)の友が、朝夕の勤行で読誦する法華経の方便品と寿量品の自我偈――。 池田先生が開いた世界広布の伸展によって、今や192カ国・地域で、地球を包み込むような形で毎日、読誦されるようになった。 このうちの方便品は、身動きもせずに三昧に入っていた釈尊が、沈黙を破って法華経の説法に立ち上がる場面から始まる。 その冒頭部分を巡って、かつて池田先生が次のような講義をしたことがあった。 「釈尊が、(法華経の)序品で三昧に入っている間、舎利弗等の二乗をはじめ、弟子たちの求道の心は、最高潮に達していたにちがいない。 『世尊は、どのような教えを説かれるのだろうか』『一言も聞き漏らすまい』『わが心に刻み込むのだ』――燃え盛る情熱を抑えながら、皆が耳を澄まし、全神経を集中して、師の姿を見つめていたことでしょう」 その時、満を持して釈尊が最初に発した言葉が「諸仏智慧。甚深無量」であった。 講義で池田先生は、「『諸仏の智慧』とは、仏の内面に太陽のように輝く智慧です。それが『甚深無量』であると讃嘆している」と解説した上で、その言葉が真に意味するものは何かについて、こう力説した。 「このように仏の智慧を讃嘆しているのは、“だから仏だけが偉い”と言うためではありません。むしろ、その逆です。“だから、あなたがたも、仏と同じく偉大な智慧を生命に輝かせて、幸せになっていきなさい”――こう勧めているのです」と。 方便品に「如我等無異」(我が如く等しくして異なること無からしめん)とある通り、一人一人に尊極の生命が具わっていることに目覚めさせ、仏と同じ境涯に高めることこそが、釈尊の誓願だったのである。 では、仏の智慧の本質はどこにあるのか――。 池田先生は法華経薬草喩品の講義で「一切知者」の言葉に触れつつ、それは人間を超越したような全知全能的なものではないはずだと強調していた。 「さまざまな解釈があるが、私は、あくまでも衆生を救おうとする慈悲ゆえに、その衆生のことや説くべき法を知り尽くす智慧が、仏の一切知であると思う。いわば『慈悲と一体の智慧』です」「苦しんでいる衆生を救わずにはおくものか、という心です」「そこに無限の智慧がわき起こってくる」と。 このような池田先生の法華経を巡る洞察は、師である戸田先生の法華経や仏法に関する指導を土台としたものだった。 時代を遡れば、戸田先生が、仏の“智慧”と相即不離である“慈悲”について論じたのが、1950年1月に発表した「慈悲論」だった。そこには、次のような言葉が綴られていた。 「仏教のはたらきは、慈悲をもってもととしている」 「現代の時勢に、もっとも吾人の強く感ずることは、人々の生活に慈悲の自覚が欠如していることである」 「慈悲というものは、修行ではない。行動のなかに、心のはたらきのなかに、無意識に自然に発現すべきものであって、仏は生きていること自体が慈悲の状態に生きる以外に道を知らないものである」 当時は、GHQ(連合国軍総司令部)経済顧問のジョゼフ・ドッジの提案による経済政策の影響で、中小企業の倒産や失業者が増大した時代だった。 戸田先生が経営する日本正学館の出版事業にも荒波が直撃したが、戸田先生は苦境の最中にあっても、創価学会の同志のために指導や励ましを続けた。 戦後に新たに入会した友も参列して、1949年10月に牧口先生の六回忌法要が行われた時には、“学会員であることの誇りを胸に前に進んでほしい”との願いを込めてこう語った。 「諸君も、このような牧口先生という、世界的偉人の弟子だということを、忘れないでもらいたい」「たとえ生前に面識がなかったとしても、これらの人びとこそ、真に牧口先生の弟子であることを、私は断言して、はばからないのです」と。 また11月には東京の品川区で総合座談会を行い、未入会の友も含めた200人もの参加者を前にして、質問に懇切に答えながら、悩みを抱える人々に希望を灯していった。 そして年が明けた1950年1月、「慈悲論」を発表した頃には、師の事業を支え抜きたいとの思いで学業を断念した池田先生のために、万般の学問を教える個人授業を開始した。いわゆる“戸田大学”である。 当時の経済不況に伴う秋霜の日々の中での、戸田先生の振る舞いそのものが、法華経で説かれるところの仏法の「慈悲」の真髄にほかならなかった。 慈悲とは、“目の前にいる人を何としても救いたい”“幸福な人生を共に歩みたい”というやむにやまれぬ思いからの人間性の発露であるということを、戸田先生は苦境の最中に身をもって示したのである。 |