| 第44回 牧口先生 「創価教育学体系梗概」㊦ 25年10月7日 |
| 牧口先生は、41歳から60歳までの間、東京の六つの尋常小学校で校長を歴任するとともに、四つの尋常夜学校(夜間の小学校)でも校長を務めた。 多くの子どもたちが貧富の格差や差別によるしわ寄せを受ける中、赴任したどの学校でも、一人一人の存在のかけがえのなさと可能性を信じて、教育の光を届けようとしたのだ。 牧口先生が1930年11月に『創価教育学体系』の第1巻を発刊した時、その信念を結晶化させたかのような言葉を揮毫して贈った人物がいた。 普通選挙の実現を求める普選運動に尽力した政治家で、翌年(1931年12月)には首相に就任した犬養毅である。 第1巻の題辞として掲げられた言葉には、こうある。 「天下無不可教之人 亦無可以不教之人」 “世の中で、教育を受けなくてもよい人はおらず、教育を受けない方がよい人もいない”との意味が込められた言葉だ。 牧口先生は1932年3月、左遷によって教職を離れる直前にも犬養首相から書簡を送られていたが、犬養首相はその2カ月後、海軍の急進派青年将校らのクーデター未遂事件(五・一五事件)で凶弾に倒れた。 この事件を機に、民意を背景に政党が内閣を組む政党政治の時代が終焉し、軍部による政治介入が強まっていった。 また1933年8月には、他国による空襲を想定した関東防空演習が行われた。国内での不穏な情勢に加え、対外関係でも不安や不信を増幅させる動きが止まなかったのである。 ![]() 『創価教育学体系』の発刊を祝し、犬養毅が牧口先生に贈った題辞 犬養首相の書簡も収める形で1935年の春頃に発刊した『創価教育学体系梗概』の結語で、牧口先生は訴えた。 ――他人を信用できず、他人からの信用も得られない。 このような人は、絶えず自分が生み出す疑心暗鬼に襲われ、戦々恐々としてこの世を過ごしている。そうした種類の人々が集まって社会が形作られるようになれば、嫉妬、軽蔑、誹謗、争闘が渦巻く修羅場となることは避けられない――と。 ただでさえ、生存競争が激化し、“自分の生活は自分で守るしかない”という孤立感が増している上に、“他の人々や集団の存在が疎ましく、排除したい”というような風潮が蔓延することになれば、社会はどうなってしまうのか。 牧口先生は、人間を表層的な次元で判断して差別や憎悪を広げるのではなく、一人一人の人間の奥底にある「常住不変の人格」に目を向けねばならないと強調した。同じ人間として向き合い、互いを信頼し合う「信の確立」を呼びかけたのである。 「常住不変の人格」とは、哲学者カントの尊厳観を踏まえたような表現だが、牧口先生は、仏法の信仰を深める中で実感した“すべての人間に尊極の生命が具わる”との万人尊厳の思想の重要性を、より一般的な概念を介して分かりやすく伝えようとして、この表現を用いたのではないかと思われる。 その4年後(1939年)、日本をはじめとする国々で排他主義が猛威を振るう中、第2次世界大戦が勃発した。 6000万人以上が犠牲となった大戦の教訓に基づき、1948年に国連で採択されたのが世界人権宣言である。前文に、“人権の無視や軽蔑が人類の良心を踏みにじる野蛮行為をもたらした”との反省が明記され、第一条に「全ての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とにおいて平等である」との文言が掲げられた。 世界人権宣言の作成に携わった一人で、ブラジル文学アカデミーの総裁を務めたアウストレジェジロ・デ・アタイデ氏は、池田先生との対談集『二十一世紀の人権を語る』で、当時の国連での議論を振り返り、次のような重要な証言をしていた。 「『第一条』をめぐる論争が、『世界人権宣言』の検討作業の全体にわたる指針を定めることになりました」 「『第一条』について、私の述べた意見が基調として受け入れられ、人権とは“普遍なるもの”に起源をもつという提案の意図が完全に達成されたことを確信しました」と。 宣言の骨格をなすものは、まさに牧口先生が「常住不変の人格」との表現で提起したものと重なり合う、尊厳に対する普遍的な眼差しだったのだ。 その後、多くの国々で人権保障のための法整備が進んだが、今もなお、差別や憎悪を煽る言葉がネット空間を通じて拡散され、人権侵害の温床となるような事態が後を絶たない。 創価学会とSGIでは、牧口先生が警鐘を鳴らした排他主義を蔓延させることなく、万人の尊厳が輝く社会を築くために、国連が呼びかける人権文化を育む活動に力を入れてきた。 池田先生は、世界人権宣言の採択70周年となった2018年の平和提言でこう訴えた。 「消極的な寛容の場合、共生といっても、同じ地域で暮らすことを受け入れるとか、法律やルールがあるからそれに従うといった、表層的なものだけに終わる恐れがあります。 そうした消極的な寛容では、同じ人間として向き合う姿勢には結びつかないために、社会で緊張が高まった時には排他主義を食い止めることは難しいのではないでしょうか」と。 同じ人間として向き合い、互いの生命の奥底にある尊厳を信じ合う――。このような「信の確立」が、21世紀の世界においても人権文化の礎として切実に求められているのである。 <語句解説> 関東防空演習 1933年8月に東京、神奈川、埼玉、千葉、茨城で実施された防空演習。同年3月に日本が国際連盟を脱退し、孤立する中で、国民の非常時意識を高める目的もあったといわれる。 カントの尊厳観 18世紀のドイツの哲学者であるカントは、自らの意志で道徳的に生きるという自律の力を持つ存在を人格と呼び、人間の尊厳はそこに根差していると考えた。ゆえに、人間を単なる手段ではなく、目的として扱わなければならないと訴えた。 <引用文献> アタイデ氏の言葉は、『二十一世紀の人権を語る』(『池田大作全集』第104巻所収)。 ※次回(第45回)は11月3日に配信予定 牧口先生 「創価教育学体系梗概」 (1935年春頃) 信仰という言葉を口にすると、宗教家の専売品であるかのように青年の教育者などから敬遠されるが、(この言葉を置き換えて)信用や信任といい、信念というならば、日常生活において(人々が)離れることのできない基礎であることがわかるであろう。(中略) 実のところ、一切の学術においても、また世間の生活においても、少なくとも前途に軌道を見いだして、安全に前に進むことを希望する者にとっては、(信というものが)不可欠の根底となるのであり、信仰や信用という基礎が確立していない生活は、つまるところ、砂上の楼閣を築くに等しいことを知らねばならない。 そうであるならば、学習指導や生活指導を独特の使命としている教育において、信の確立が何よりも先決問題であることは言うまでもあるまい。(中略) 教師自身が、信というものを確立していない状態で、子どもたちに対してのみ、信の確立を望もうとすることは、「木に縁りて魚を求む」という行為にほかならず、これほど矛盾したことはないからである。 三十万余りの教育者で成り立つ全国の教育社会で、はたしてどれほどの信が確立しているだろうか。 ◇ 他人を信用することができず、また、他人からも信用されず、野原の中で一本だけ立っている杉のように孤立無援の境涯であるならば、いつ何時、顚倒の大風の襲来を(自分一人で)受けねばならなくなるかもしれない。これほど不安なことはないのである。 各々が自他共に、自身に対し、また他人に対して一定不変の信を確立する。そのことによって、自他共に安心して一緒に仕事をし、少なくとも予定の目的を達成するまでは固く結びついて離れる心配が起きない――。そのような方法を講じることができれば、それこそ、陰に陽に繰り広げられている生存競争に、自らの生活力の大部分を徒消して人々が困憊しているような現在の社会で、万人の渇望するところではないか。それが、たとえ容易ならざる希望だとしても、この世では全く実現できない空想に過ぎないと言うべきではないのだ。 (『牧口常三郎全集』第8巻、趣意) |