第38回 牧口先生
「目的観の確立」㊦
25年7月8日
 

 8月15日で、「終戦80年」の節目を迎える。
 戦時中の日本は、軍隊への参加を命じる召集令状が来たら、応じざるを得ず、神札を祭れという指示を拒めば、弾圧は避けられない――いわば、軍国主義と国家神道の両面から人権が踏みにじられた時代であった。
 その最中(1941年4月)に牧口先生が敢然と行ったのが、「目的観の確立」をテーマにした講演にほかならなかった。
 自分の生活や自国のことだけに意識を閉ざすのではなく、世界のことにも心を広げながら、人生の「究極の目的」を確立する重要性を訴えたのである。
 また戦後、戸田先生は、日本が戦争によって甚大な被害をもたらしたアジアの国々の民衆の幸福に思いを馳せつつ、牧口先生の精神水脈につながるような言葉を、こう述べていた。
 「人として、この世に生まれた以上には、自分は何のために生まれてきたのか、この根本的な問題を真剣に考えなくてはならない」
 「共に日本の民衆も幸福にならねばならぬ。また、同じ東洋民族たる韓国の民衆も、中国の民衆も、皆われらと共に手をつないで、幸福にならねばならぬ。インドもインドネシアもビルマの民衆も、日本民衆と同じ心であろう」と。
1973年4月、池田先生は創価大学の第3回入学式に出席し、「創造的人間たれ」と題する記念講演を。「私のこれからの最大の仕事も教育であり、私の死後30年間をどう盤石なものとしていくかに専念していく決心であります。それは、21世紀の人類を、いかにしたら幸福と平和の方向へリードしていけるか、この一点しか、私の心にはないからであります」と訴えた
 この「目的観の確立」を巡る牧口先生と戸田先生の思想を結晶化させたともいえる指針を、池田先生は1971年、創価大学の開学に際して贈った。
 戸田先生の祥月命日である4月2日に行われた開学式に寄せて贈った、一対のブロンズ像の台座に、次の指針がそれぞれ刻まれていたのである。
 「英知を磨くは何のため
  君よそれを忘るるな」
 「労苦と使命の中にのみ
  人生の価値は生まれる」
 池田先生は翌年(1972年7月)、学生寮である滝山寮を初訪問した。ヒマラヤ杉を植樹した後、第1回滝山祭に出席して、次のように語った。
 「世の中には、数多く伝統のある大学があります。また有名な大学もあります。だが、そうした既存の大学では、なすことのできない人間教育という一点がある」
 「であるならば、その創価大学という法則、及びその意義だけでは世界第一のものがあるのだ。またそれを自分たちは、何十年、何百年先の後世のために、先輩として、先駆者として残しておくのだ、という使命感だけは、持っていただきたいと思います」
 また池田先生は、この時に語った「創価大学という法則」という言葉に込めた思いを明らかにするかのように、第3回入学式(1973年4月)での記念講演でこう呼びかけた。
 「いうまでもなく、創価大学は、皆さんの大学であります。同時に、それは、社会から隔離された象牙の塔ではなく、新しい歴史を開く、限りない未来性をはらんだ、人類の希望の塔でなくてはならない。ここに立脚して、人類のために、社会の人々のために、無名の庶民の幸福のために、何をすべきか、何をすることが出来るのかという、この一点に対する思索、努力だけは、永久に忘れてはならないということを、申し残させていただきます」と。
創価大学の開学時に贈られたブロンズ像(上が「天使と印刷工」、下が「天使と鍛冶屋」)。池田先生は台座に刻んだ指針について、「若き俊英たちの胸中に生涯消えることなく刻印しつづけて欲しいと願いつつ贈った」と述べた
 創価大学が開学してから半世紀以上が経った現在、社会の変化のスピードは激しさを増し、世界情勢の不確実性もかつてないほど高まっている。
 しかし、どのような時代になろうとも、「何のため」という問いを問題解決の出発点に据えることで、困難を乗り越えるための足場はできるはずだ。
 その足場から、自分の人生にとっての「究極の目的」を見いだし、確立することができれば、それは、日々の行動を支える“生き方の心棒”となり、さまざまな場面で進むべき方向を示す“羅針盤”となるだけでなく、試練に直面した時に希望をもって前に進むための“原動力”にすることもできるからだ。
 「君の名前を彫り給え
  やがて天までとどくほど
  大きく育つ木の幹に。
  大理石と較べたら立木の方が得なんだ
  彫りつけられた君の名も一緒に大きくなって行く」
 かつて池田先生は、フランスの詩人ジャン・コクトーのこの詩を紹介しながら、次のように語ったことがあった。
 「この詩は、大いなるもの、偉大なる目的に人生をかけていく生き方の尊さを謳いあげている。
 同じ人生でも、さまざまな生き方がある。何に自分の人生をかけていくか。どこに自身の生命の歴史を“刻印”していくか。それによってかけがえのない一生をどれだけ深く、豊かに生きたかが決まってしまう」と。
 自分の可能性や人生の意味を信じられなくなるペシミズム(悲観主義)に沈むのでも、人々や社会による努力を否定的に捉えてしまうシニシズム(冷笑主義)に陥るのでもない。
 風雪にも負けず、どこまでも伸びゆく大樹のように、希望の未来を築くためのカギは、「何のため」を常に問い続ける心を持ちながら、「人生の価値」を一つまた一つと生み出していく挑戦にこそあるといえよう。
 <語句解説>
 国家神道 明治以降、国家が政策的につくりだした、事実上の国家宗教。1889年2月に発布された大日本帝国憲法で、信教の自由が定められたものの、それは国家神道と抵触しない限度内で認められたものにすぎなかった。終戦に伴い、1945年12月の神道指令によって廃止された。

 ジャン・コクトー 第1次世界大戦前後から前衛芸術運動に参加し、その後、多くの詩集や評論を発表。また、『恐るべき子どもたち』などの小説のほか、映画や絵画の分野でも多才な活動をした。
 <引用文献>
 コクトーの詩は、『コクトー詩集』(堀口大學訳、新潮文庫)。
※次回(第39回)は8月4日に配信予定
牧口先生 「目的観の確立」 (1941年7月)
 現在の日本の文化は、あらゆる世界の文化の集積である。日本にないものは世界にもないと言っても差し支えない。(しかし私が提唱するような)「価値論」だけは、まだないようである。そこに、生活が行き詰まり、将来の見通しがきかなくなる理由がある。(中略)
 “金銭さえ貯まるようになれば、生活ができるようになり、幸福になれる”と思う人がいるが、それは“ある場所まで行けば、その先が見えると思って進む”のと同じである。幸いにしてそれが、究極の目的の方向と一致している場合は良いが、もし反対の方向に進んでいたならば、歩いた分だけ、後戻りをして最初から出直さねばならなくなる。ゆえに、最終の目的が確立していなければ、その中途における目的観も立つものではない。
    ◇ 
 世界のことが分からずに国家が分かるものではない。国家の生活が(正しい形で)確立していなければ、一家の生活が(安定して)成り立つはずもない。(中略)
 その世界についても、現在の状態を見るだけでは理解できない。過去、現在、将来という三世のつながりについて分からなければ、世界のことを(真の意味で)理解することはできないだろう。三世にわたる因果の法則というものが分かってこそ初めて、現在における一人一人の生活を確立することができる。
    ◇ 
 (国が国民に対して)「自己を空にせよ」と言うが、これは噓である。自分も皆も共に幸福になろうというのが、本当のあるべき姿ではないか。(国家と比べて自分の存在は小さいと考えるような)物の大小に迷わされてはならない。そのような見方は(普遍的な原理として、自分の存在とは関係ないものとして捉える)真理に対する態度のようなものだ。関係が大きいか小さいかを見るのが価値観であって、価値の大小は物の大小では決まらない。(仏教の経典にある)長者の万灯と貧者の一灯を巡る話は、このことを示したものである。価値観は理解するだけではだめであり、(あくまで自分の生活に当てはめて実際に)使ってみなければならない。
 (『牧口常三郎全集』第10巻、趣意)