第37回 牧口先生
「目的観の確立」㊤
25年7月7日
 
国家の大義で一色に染められた社会で
民衆の幸福につながる価値創造を提唱



牧口先生 「目的観の確立」 (1941年7月)

 現在の日本の文化は、あらゆる世界の文化の集積である。日本にないものは世界にもないと言っても差し支えない。(しかし私が提唱するような)「価値論」だけは、まだないようである。そこに、生活が行き詰まり、将来の見通しがきかなくなる理由がある。(中略)
 “金銭さえ貯まるようになれば、生活ができるようになり、幸福になれる”と思う人がいるが、それは“ある場所まで行けば、その先が見えると思って進む”のと同じである。幸いにしてそれが、究極の目的の方向と一致している場合は良いが、もし反対の方向に進んでいたならば、歩いた分だけ、後戻りをして最初から出直さねばならなくなる。ゆえに、最終の目的が確立していなければ、その中途における目的観も立つものではない。
    ◇ 
 世界のことが分からずに国家が分かるものではない。国家の生活が(正しい形で)確立していなければ、一家の生活が(安定して)成り立つはずもない。(中略)
 その世界についても、現在の状態を見るだけでは理解できない。過去、現在、将来という三世のつながりについて分からなければ、世界のことを(真の意味で)理解することはできないだろう。三世にわたる因果の法則というものが分かってこそ初めて、現在における一人一人の生活を確立することができる。
    ◇ 
 (国が国民に対して)「自己を空にせよ」と言うが、これは噓である。自分も皆も共に幸福になろうというのが、本当のあるべき姿ではないか。(国家と比べて自分の存在は小さいと考えるような)物の大小に迷わされてはならない。そのような見方は(普遍的な原理として、自分の存在とは関係ないものとして捉える)真理に対する態度のようなものだ。関係が大きいか小さいかを見るのが価値観であって、価値の大小は物の大小では決まらない。(仏教の経典にある)長者の万灯と貧者の一灯を巡る話は、このことを示したものである。価値観は理解するだけではだめであり、(あくまで自分の生活に当てはめて実際に)使ってみなければならない。
 (『牧口常三郎全集』第10巻、趣意)
1999年7月、八王子の東京牧口記念会館で開催された「7・3」記念第35回本部幹部会。池田先生は、「目的観の確立」を巡る牧口先生の主張を紹介しながら、「ここに、人生と社会の根本問題がある」と強調。「先生の主張どおりに、『究極の目的観』をいだき、もっとも正しい道を進んでいるのが、皆さまなのである」と呼びかけた
 1999年7月2日、創価大学の本部棟の落成を祝して、創立者の池田先生は記念の句を贈った。
 「英才が
   世界を見つめむ
      本部棟」
 その翌日、池田先生は、世界52カ国・地域のSGIの友を迎えて東京牧口記念会館で行われた、「7・3」記念の本部幹部会に出席した。
 7月3日は、軍部権力の弾圧によって投獄された戸田先生が、2年間にわたる獄中闘争を貫き、終戦の直前(1945年)に出獄した日である。
 また7月3日は、牧口先生が投獄される3年前(1940年)に、仏法の思想や人間としての生き方について話をするために、民俗学者の柳田国男の別荘を訪れた日でもあった。
 この柳田国男が戦後、牧口先生のことを回顧して綴った文章に、次のような言葉がある。
 「熱心に戦争反対論や平和論を唱えるものだから、陸軍に睨まれて意味なしに牢屋に入れられた。妥協を求められたが抵抗しつづけた」(現代表記に改めた)
 そこには「意味なしに」との表現があるが、牧口先生にとってこうした行動は決して無意味なものではなかった。
 師の真実を誰よりも深く知る戸田先生が、牧口先生の三回忌(1946年11月)を前にして述懐した言葉がある。
 「牧口先生は人格高潔、物事にたいしていやしくも軽々しく事を行わず」
 「こと不義と名のつくものには仮借なくこれを責めて、正道に生きることを主張せられた」
 「国家を憂うる尽忠の念は天より高く、大衆を愛すること仏のごとくである」
 不二の弟子の証言が物語っているように、すべては自らが心に定めた「究極の目的」に照らして譲ることなどできない、覚悟の行動だったのである。
 池田先生が「7・3」記念の本部幹部会で言及した、「目的観の確立」と題する牧口先生の主張も、まさにその一つにほかならなかった。
 この主張は1941年7月、創価学会の前身である創価教育学会の会報「価値創造」の第1号に掲載されたもので、そこで牧口先生は、「人生の一番大事なことは目的観がはっきりしなければならないことである」(趣意)と訴えたのである。
学生、留学生、通教生、教職員、創友会・会友会の代表や創価学園生が参加して行われた、創価大学本部棟の落成式(1999年7月)
 この主張は、日本が太平洋戦争に突入する8カ月前(1941年4月)に行われた、創価教育学会の臨時総会での講演内容をまとめたものだった。
 当時、戦争の遂行のための国民統制の組織として大政翼賛会が結成され、多くの人々の生活を預かる立場の人物までもが、「我々の行く先を力強く教えてもらいたい」と述べて、自らの頭で考えて行動することを放棄するようになっていた。
 牧口先生は講演で、この出来事に触れ、“そのような姿は、交番に出向いて「私の行く先はどこですか」と聞くのと同じではないか”と痛烈に批判した。
 この時期、挙国一致の体制づくりの中で強調されていたのが、創価教育学会の会報の題号に掲げられた「価値創造」とは正反対の意味を持つ、「価値実現」という言葉であった。
 “国家が求める価値を実現することが、国民の役目であり、何も考えずにひたすら国に奉仕すれば良い”という空気が社会で広がっていたのだ。
 しかし牧口先生は、国家が自分たちの存在と比べて大きく見えるように思えたとしても、人生の礎となる価値観については“物の大小”に迷わされてはならないと強調した。
 価値は本来、そのことが自分に対して、また他の人々や社会にとって、どのような意味を持つのかという“関係の大きさ”によって決まる。ゆえに、一人一人がこのような価値に対する考え方を磨き、自分も他の人々も幸福にするような価値を、日々の生活の中で自ら創造していく生き方が大切になる――と訴えてやまなかったのだ。
 いたるところで勇ましい言葉や国民の務めを示す標語があふれる中、“「自己を空にせよ」と言うが、これは噓である。自分も皆も共に幸福になろうというのが、本当のあるべき姿ではないか”との牧口先生の叫びが、参加者の胸にどれほど深く染みわたったことであろうか。
 「価値創造」の第1号の記事で、「牧口先生の話を、日本のため、ひいては全世界のため、また後世のために、是非とも録音しておきたかった」(趣意)と綴られていたのは、決してゆえなきことではないのだ。
 国家の大義で一色に染められた社会にあっても、真実の言葉を語る人間がここにおり、その空間が厳然と存在することを、多くの人々に伝え、未来のためにも記録して残したい――との思いが、その短い言葉には横溢していたのである。
 (㊦に続く)
 <語句解説>
 長者の万灯と貧者の一灯 「阿闍世王授決経」などにある説話。阿闍世王が、釈尊が夜でも説法できるようにと、多くの油を供養した時、貧しい一人の女性がわずかな油を釈尊のもとに届けた。夜が明け、多くの灯火が消える中、女性の志による一灯だけは消えずに明るさを増した。釈尊は、“一切衆生を救う誓いを立てた人のものだから消えない”と説いた。

 大政翼賛会 1940年10月、近衛文麿首相が中心となって結成した組織。本土決戦が近づく中、45年6月に国民義勇隊に再編された。