| 第35回 池田先生 牧口先生 生誕記念協議会でのスピーチ㊦ 25年6月3日 |
| 師の願いを果たし 学園と大学を創立 社会に尽くす人材の輩出に教育の真価が 1953年11月、創価学会の本部が東京・西神田から現在の信濃町の地に移転した。 新本部で行われた牧口先生の十回忌法要で、戸田先生は1冊の本を携えながら挨拶をした。自らが補訂して発刊した、牧口先生の『価値論』である。 法要に参列し、戸田先生の甚深の思いを受け止めた池田先生は、『価値論』を各国に送るための準備に全力で当たった。 その結果、約50カ国、422にのぼる大学や研究所などに、英文による概要を添えた『価値論』が寄贈されたのである。 こうした中、1950年代に牧口先生の存在を知った一人にデイル・ベセル博士がいた。 アメリカの高校で教員をしていた時期に、“人間が教育から置き去りにされているのではないか”と疑問を感じ、古今の教育者の書にその答えを求めていた折に、大学の恩師から薦められた人物の名が「ツネサブロウ・マキグチ」だったのだ。 その後、牧口先生の思想を多くの人に伝えたいとの思いを強め、1973年に『価値創造者――牧口常三郎の教育思想』をアメリカで出版。海外における牧口研究の草分けとなった。 『人生地理学』と『創価教育学体系』の英語版の発刊にも尽力した博士は、かつて次のような言葉を寄せていた。 「私は、教育者の一人として、創価学園、創価大学をも訪れました。この教育哲学が現在、世界の多くの教育の現場で実践されているのは、牧口の遺志を継いだ戸田の深い決意の賜だと思います」 「(創価)学会を再建した戸田は創価教育機関を創立することはできませんでしたが、その夢を(池田)SGI会長に託しました。SGI会長は、牧口および戸田から託された遺業を果たすため、その人生を捧げてきたのです。三代に連なるその偉業に、改めて敬意を表したい」と。 ![]() 池田先生とデイル・ベセル博士㊧との初の語らい(1974年11月、信濃町の旧・聖教新聞本社で)。 博士は、牧口先生の思想について、“研究をすればするほど、幅広く人々に宣揚していくべき重要性が含まれていることに気づいた”と高い評価の言葉を寄せた 1960年4月5日、戸田先生の三回忌法要を終えた3日後に、池田先生は“創価教育の学校の将来の建設用地”として、東京・小平の土地を視察した。 5月3日に第3代会長に就任し、激闘の日々が続く中でも万難を排して準備を推し進め、戸田先生が逝いて10年となる1968年4月、創価中学校と創価高校がついに開校をみた。 池田先生は、第1回入学式に寄せて一文を贈った。 「牧口先生以来の理想を、いよいよ、教育それ自体の舞台のうえで、本格的に具現すべき時が到来したのである」 「この学窓より、凜々しい幾多の新世紀建設の英才が輩出して、日本、世界の繁栄と平和のために寄与することができるならば、これにすぎる喜びはない」 続いて牧口先生の生誕100周年の年(1971年4月)に、創価大学が東京・八王子に開学し、1973年4月には大阪・交野に創価女子中学校と創価女子高校(現在の関西創価中学校・高校)が開校。その後、創価教育の学校は、札幌創価幼稚園や東京と関西の創価小学校、創価大学の大学院、創価女子短期大学に加え、香港、シンガポール、マレーシア、アメリカ、ブラジル、韓国の世界各地で次々と開設されていったのだ。 ![]() 2009年3月16日、東西の創価学園を中継で結んで行われた卒業式。「負けじ魂ここにあり」の大合唱で歌が5番に入った時、池田先生は右手をあげて節をとりながら、学園生の歌声に応えた。「〽正義の誇りに 胸を張れ/君に託さん この大城を/学べ勝ち抜け 世界まで/負けじ魂 朗らかに」――この5番は、卒業式の5日前に先生が新たに作詞したものだった。昨年4月、この歌は「創価学園歌」に制定された 池田先生は20年前(2005年6月)、「牧口先生 生誕記念協議会」で創価教育の使命を巡る重要なスピーチを行った。 哲学者プラトンの亡き後、知識人のコロテスが書いた“プラトンらを貶める批判書”に対し、後の時代に生まれたプルタークが、コロテスの誤りを徹底的に正した逸話を通しながら、こう力説したのだ。 「プルタークの反論の急所は、いったい何であったか。それは、プラトンの学園(アカデメイア)で学んだ弟子たちが、世界に貢献していった具体的な事実をあげたのである」 「プラトンの残した著作の数々――それは、『人類の至宝』ともいうべき知性の輝きを放っている。 だが、プラトンは、その著作に注ぎ込んだ以上のものを、わが弟子の心の中に植え付けたというのである」 「社会に貢献しゆく人材を、どれだけ出したか。ここに、教育の真価に対する歴史の審判の一つがあることを、この話からも知ることができる」と。 青春時代に創立者・池田先生の思いを胸に刻んだ卒業生たちの活躍は、平和、文化、教育、経済、科学、政治、法曹、学術、スポーツ、医療、福祉などあらゆる分野に及んでいる。地域で希望を灯す存在となって、周囲の人が笑顔で暮らせるように心を尽くす学友が、世界各地で根を張って生きている。 池田先生は、その起点となった学園のことを、愛唱歌「負けじ魂ここにあり」の5番として2009年に加筆した歌詞の中で「大城」と呼んだ。 東西の学園をはじめ、世界に広がる創価教育の学校は“三代にわたる師弟の夢”であっただけでなく、子どもたちを送り出してきた多くの家族や、卒業生の活躍に願いを託して母校のように応援してきた庶民の思いが結晶した“民衆の希望の大城”にほかならなかった。 池田先生が5番の歌詞に綴った「君に託さん この大城を」との一節は、そうした人々の思いを担う“民衆立の学校”の使命の大きさを永遠に留めたものだったと思えてならない。 <語句解説> デイル・ベセル 国際比較教育を学び、「牧口常三郎の生涯と思想」をテーマにした論文で1971年に博士号を取得。インタナショナル大学などで教授を歴任し、聖教新聞の客員論説委員も務めた。 プルタークの反論 紀元前4世紀頃の知識人コロテスが、ソクラテスやプラトンなどの哲学者を批判する書を著した。1世紀に生まれたプルタークは、プラトンらを不当に貶めてきたコロテスの書の存在を知り、反論を展開。青年たちにも講義をした内容が『コロテス論駁』としてまとめられた。プラトンらに成り代わる形で当人の言葉を引用し、他の思想家の証言も示しながら、コロテスの誤りを徹底的に正す内容となっている。 ※次回(第37回)は7月7日に配信予定 池田先生 「牧口先生 生誕記念協議会」でのスピーチ (2005年6月) 牧口先生は獄死され、戸田先生は生きて獄を出られた。 戸田先生は厳然と語り残された。 「私は弟子として、この先生の残された大哲学を、世界に認めさせる」「私の代にできなければ、きみらがやっていただきたい。たのみます」 私は、この戸田先生の意志を受け継いで、牧口先生の哲学と人生を宣揚してきた。創価学園をつくり、日本にもアメリカにも創価大学をつくった。(中略) 世界のどこに行っても、創価教育から巣立った人材が活躍している。 牧口先生は勝ったのである。創価の師弟は勝ったのである。私は本当にうれしい。 ◇ プラトン亡き後のことである。一人の知識人、エピクロス派のコロテスが、ソクラテス、プラトンの師弟をはじめ、名だたる大哲学者たちを批判する文章を著した。 後に、この批判書の存在を知った一人に、『英雄伝』で有名な作家プルタークがいる。プルタークは、プラトンに代わって、コロテスの主張に対する痛烈な反論(『コロテス論駁』)を公表し、青年たちにも教えていった。 プルタークの反論の急所は、いったい何であったか。それは、プラトンの学園(アカデメイア)で学んだ弟子たちが、世界に貢献していった具体的な事実をあげたのである。(中略) 社会に貢献しゆく人材を、どれだけ出したか。ここに、教育の真価に対する歴史の審判の一つがあることを、この話からも知ることができる。 さまざまな面で行き詰まりが指摘される現代である。 それを打破する力はどこにあるのか。 遠回りのように見えるかもしれないが、私は、教育こそ、未来を開く根本の方途であると確信してやまない。 要は、人間が変わることだ。人材をつくることだ。そこから、社会は変わる。世界は変わる。 社会に世界に寄与しうる実力と人格を備えた指導者を育成していく以外に、未来は開けないのである。そこに創価教育の大使命があることを忘れないでいただきたい。 |