第34回 戸田先生
「第2回城東支部総会」での指導㊦
25年5月6日
 
苦難と悩みの中で信心も人生も深まる
若き日の誓いを胸に 広布の基盤を完成

 今から70年前(1955年11月)、戸田先生は城東支部の総会でこう語った。
 「昔の、おじいさん、おばあさんが悲しんだごとく、われわれ文明の民衆も同じく、悩みや苦しみをもっている。いな、むしろ社会が複雑になるにつれて、民衆の苦しみは増しているとみる以外にはありません」
 現代に生きる私たちにとっても胸に響く言葉ではないだろうか。一人一人が抱える悩みは、当時よりも複雑で多岐にわたっており、方法論だけでは晴らすことのできない問題が社会にあふれているからである。
 もちろん、信心をしているからといって、人生の苦難が完全に消え去るわけではない。とりわけ、「四苦」と呼ばれる生老病死を巡る問題は、誰しも逃れることができないものだ。
 であればこそ、「月々日々につより給え」(新1620・全1190)と御聖訓にある通り、信心で自身の生命を常に磨き、悔いのない人生を歩み抜くことが大切になってくる。
 「人生は悩まねばならぬ。悩んではじめて、信心もわかる、偉大な人になるのだ」
 戸田先生がこの言葉を池田先生に贈ったのは、城東支部の総会の翌月。広布の陣列を30万世帯にする目標を果たして迎えた年の瀬(12月22日)だった。
 それからちょうど51星霜を数えた2006年12月22日――。池田先生が回想しながら語った「悩んで悩んで悩みぬいたからこそ、今の私がある」との言葉に、三代の会長を貫く信心の精髄があると思えてならない。

1955年11月、都内の日本青年館(当時)で行われた城東支部の総会。広布の上げ潮が全国で広がる中、戸田先生は各地の支部総会の掉尾を飾る会合で、水のように“たゆまぬ信心”を貫く大切さを訴えた

 牧口先生の人生も苦難の連続だった。相次いで子どもを亡くし、そのうち2人は、牧口先生が信心を始めた翌年(1929年)と4年後(1932年)に他界。その上、一緒に信心に励み、創価教育学会の目白支部長を務めていた三男の命まで、戦争によって奪われた。
 獄中で不意の知らせを受けた牧口先生は、深い悲しみが押し寄せる中にあっても、最後まで己の信じる道を貫き通した。
 「カントの哲学を精読している。100年前、またその後の学者たちが、望みながらも手をつけられなかった『価値論』を私が著して、しかも上は法華経の信仰に結びつけ、下は数千人による実証ができたのを見て、自分ながら驚いている。ゆえに三障四魔が紛起するのは当然であり、経文の通りです」(趣意)
 逝去の1カ月前(1944年10月)、家族に送った最後の葉書には、日蓮大聖人の仏法と巡り合い、誰も為し得なかったことを果たした“無上の誇り”が綴られていたのである。
 戸田先生も青年時代に、生後7カ月の娘を失っていた。
 牧口先生からの気遣いと励ましを受け、何とか前に進む力を取り戻していったが、「死んだ子を夫婦で抱いて寝た時の悲しみと苦しみは、今なお胸の中に生きている」と後年に書き記すほど、痛惜の念は深かった。
 また、長く患っていた結核を信心を始めて克服したものの、2年間の獄中生活によって再び体を悪くし、戦後には経済危機のあおりで事業が行き詰まったこともあった。しかし度重なる試練に屈することなく、58歳で生涯を閉じるまで、「皆さんがしあわせになってくだされば、ほかになんの願いもない」と、同志の激励と指導に心を尽くす一方、池田先生という“不二の弟子”を薫陶し続けたのだ。

1988年4月、世田谷区の東京池田記念講堂で開催された第3回全国青年部幹部会。池田先生は、「私どもの人生、生活、そして広布の前進も、激しい“変化”の連続である。そこには思いもよらぬ障害、障魔との“戦い”が、次から次へと待ちうけている」「いかなる強敵にも微動だにせず悠々と乗り越えていく“幸福の王者”“信仰の勇者”へと育たれんことを心から念願する」と呼びかけた
 池田先生も、還暦を迎えた年(1988年4月)に行われた全国青年部幹部会で、自らの体験を通しながら次のようにスピーチしたことがあった。
 「三年前の秋、私は十日間、入院した。初めてのことである。しかし客観的には、いつ倒れても決して不思議ではなかった。入信以来、四十年間、また戸田先生の遺志を継いで、三十年近く、走りに走ってきたからだ」
 「私は、この病は仏の大慈悲である、と深く実感していた。もう一度、一人立って、真の総仕上げを開始すべき“時”を教えてくださったと確信した」と。
 かつて池田先生は、戸田先生が75万世帯の弘教という願業を達成する数日前(1957年12月)に綴った日記で、60歳までの目標として「日本の広布の基盤完成」を掲げた。この誓いを果たすべく、不惜身命の戦いを続ける中で、57歳の時に余儀なくされた入院であった。
 池田先生はその際、「今こそ、本当のものを語っておこう。後世のためにも、本格的に、あらゆる角度からの指導を、教え、残しきっておこう。そして創価学会の真実を、その偉大なる意義と精神を伝えきっておかなければならない」と決意した。
 この決意のままに、58歳の時に約70回、59歳の時には約50回に及ぶ指導や講演を重ねつつ、「日本の広布の基盤完成」という目標を果たしたのだ。
 そして、60歳になった年の春、雨が降る中で青年部幹部会に勇んで集った友に、こう訴えたのである。「世界を舞台にした“広布の長征”は、一つの世代によって実現できるものではない。世代から世代へと、広布の理想と確信が受け継がれ、たゆみない不屈の実践が継承されてこそ可能となる」と。
 学会の創立100周年まで、あと5年――。苦難や試練を共に乗り越えながら、池田先生から託された世界広宣流布の道を大きく広げていきたい。

 <語句解説>
 四苦 「生まれること(生きること)」「老いること」「病むこと」「死ぬこと」に伴う、人間の根源的な四つの苦しみ。
 カント 18世紀に活躍したドイツの哲学者。批判哲学を大成し、近代哲学の祖と呼ばれる。
 価値論 カントの流れを汲む新カント学派の哲学者が確立した「真・善・美」の価値分類に対して、牧口先生が『創価教育学体系』第2巻で「美・利・善」に基づく価値創造の重要性を論じたもの。
 三障四魔 仏道修行を妨げて善根を害する三つの障り(煩悩障・業障・報障)と、信心をしている人の心を破壊し、生命を奪おうとする四つの魔の働き(陰魔・煩悩魔・死魔・天子魔)のこと。
※次回(第35回)は6月2日に配信予定
戸田先生 「第2回城東支部総会」での指導 (1955年11月)
 われわれ創価学会のなすべき仕事は、日本民衆、いな、東洋の民衆を幸福にするための宗教革命であります。昔のことから考えてみるのに、電話ができ、自動車が走り、汽車、電車、またラジオ、そのほか、あらゆる文明のものができているにもかかわらず、昔の人からみて、われわれの幸福がまさっているでありましょうか。
 昔の、おじいさん、おばあさんが悲しんだごとく、われわれ文明の民衆も同じく、悩みや苦しみをもっている。いな、むしろ社会が複雑になるにつれて、民衆の苦しみは増しているとみる以外にはありません。自由が叫ばれながら、われわれがあらゆる面において束縛されており、それは、これが解決は物質文明によってのみ幸福が得られると考えている、いまの科学者の偏見からきたものであります。
 人生の幸福には、物質文明はもちろん必要でありますが、それと並行して、正しい信仰が必要なのです。正しい宗教が必要なのです。そこに宗教革命をなさねばならない根本原因があるのです。
 ただし、革命と申しますれば、ことばがなんとなくぶっそうに聞こえる。なにか剣でも鉄砲でも持ってやらなければならないように思うでありましょうが、わが宗教革命は、けっしてそんなものではない。おのおの、個々の人間革命を行うことによってのみ、宗教革命が行われるのです。(中略)
 (その人間革命の意味について)一歩、つきすすんでいうならば、人間自体が喜んで生きていける人間になることであります。
 これから、五年、七年、十年と信仰を続けていくうちには、かならずや、あなたたちが人間革命ができ、よくもあんなにりっぱになったものといわれるだろうと思うのです。
    ◇ 
 自分が幸福になりながら宗教革命をやり、自分が得をしながら人を助けていく、こんなうまいことはないではありませんか。このような立場で、しっかりと信心を捨てずに、ゆっくりと急がず、まじめに信心をしてください。