第26回 牧口先生 創価教育法の科学的超宗教的実験証明 〈第一章〉㊦ 25年1月7日 |
ハーバード大学で21世紀の宗教を展望 人間を強く善く賢くする役割が重要 牧口先生が『創価教育法の科学的超宗教的実験証明』で論じたのは、教育の課題だけではなかった。 後半部分を中心に、日蓮大聖人の仏法への言及がみられるように、牧口先生の問題意識の核心は、子どもたちの幸福にとどまらず、すべての人々が幸福な人生を歩むための道筋を明らかにすることにあったからだ。 当時の日本で支配的であった“国家のための教育”の方針に徹底して抗い、『創価教育学体系』という独自の教育理論を世に問うただけでも、牧口先生は孤立無援に陥っていた。 それに加えて、宗教団体が国家の統制下に置かれ、信教の自由が制限されていた時代にあって、宗教に関して真正面から論じることは、火に油を注ぐような行為であった。 牧口先生はその状況を十分に承知しながらも、一歩も退かずに、同書の「はしがき」で自身の覚悟をこう綴ったのだ。 「教育の改良に取り組むことが、すでに遠大な計画であるにもかかわらず、宗教の問題にまで深入りするのは“蟷螂が斧を以て隆車に向かう”に等しいとみなされ、それまで理解者だった人々まで遠く離れていくかもしれない。 しかしそれでこそ、法華経に説かれる(『猶多怨嫉』『況滅度後』のような)予言が的中することになり、ますます確信を強くして毀誉褒貶を顧みず、(自らの信ずるところを)大いに訴えねばならないと思います」(趣意)と。 昨年7月、東京・新宿区の創価文化センターで行われたSGI青年研修会の修了式。60カ国・地域から参加した友が、仏法の希望の哲理を胸に力強く前進することを誓い合った この難題に取り組む覚悟をもって牧口先生が同書で追求しようとしたのが、「科学的」な実験証明であり、「超宗教的」な実験証明であった。 まず、創価教育学が本当に普遍的な価値を持つのかについては、実験証明の焦点を次のような形で説明した。 ――“どのような人でも、教育に関して同一の原因をつくることができれば、同じような結果を出せる”という普遍妥当性があることが、科学的な証明として欠かせない。 創価教育学会の同志が、国語や地理などの教科で出した成果に関して共通する法則が分かれば、それを適用することによって他の教科でも実験証明ができるはずだ――。 こうした形での検証とは別に、宗教に関しては体験を踏まえた新しい形での検証が必要になると、牧口先生は考えた。 そこで重要なのは、科学的な検討に堪えられるだけでなく、“その宗教が、現在と未来にわたって幸福と安穏を保証する力を有している”と、人々が信じることができるような実験証明でなければならない、と。 19世紀にマルクスが述べた言葉に由来する“宗教は阿片”との見方に対して、多くの既成宗教が惰性的な存在となったままで、正面から弁明する方途も持たずに無気力になっていると、牧口先生は感じていた。 この宗教一般に対する旧来の認識を打ち破るような、宗教理解のための新しい枠組みが求められるとして、牧口先生はその実験証明のあり方を「超宗教的」と名付けたのである。 それは仏法の概念を踏まえた方法で、第一に「信」(師匠とするに足るような人の言葉を信じること)、第二に「行」(教えられた通りに実践し、自らの体験によって価値の有無を証明すること)、第三に「学」(その理由について経文や道理を通し、見極めていくこと)、の三つの段階を経て宗教の真価を検証するというものであった。 1993年9月、「21世紀文明と大乗仏教」と題し、池田先生がハーバード大学で講演。91年9月に続いて同大学で2度目となった講演では、牧口先生が日本の軍国主義と戦って投獄された歴史に言及。 また、哲学者デューイの宗教観に触れながら、“善きものを希求する人間の能動的な生き方を鼓舞する力用”をもった「宗教的なもの」の重要性について論じた このようにして教育革命と宗教革命の旗を敢然と掲げた牧口先生は、1943年7月、戸田先生と共に投獄された。 その半世紀後(93年9月)、池田先生は「21世紀文明と大乗仏教」と題する講演をハーバード大学で行い、牧口先生の問題意識を現代に引き継ぐ形で、宗教の要件について論じた。 「はたして宗教をもつことが人間を強くするのか弱くするのか、善くするのか悪くするのか、賢くするのか愚かにするのか、という判断を誤ってはならない」と訴えた上で、大乗仏教に脈打つ宗教的な力用について、次のように強調したのだ。 「仏教は観念ではなく、時々刻々、人生の軌道修正を為さしむるものであります」 「あらゆる課題を一身に受け、全意識を目覚めさせていく。全生命力を燃焼させていく。そうして為すべきことを全力で為しゆく。 そこに、『無作三身』という仏の命が瞬間瞬間、湧き出してきて、人間的営為を正しい方向へ、正しい道へと導き励ましてくれる」と。 講演の結びで池田先生が呼びかけた「二十一世紀の人類が、一人一人の『生命の宝塔』を輝かせゆくことを、私は心から祈りたい」との思いは、今、192カ国・地域で活動する世界の創価学会のメンバーによって厳然と受け継がれている。 時流に迎合して耳当たりのよい言葉を語るのではなく、あえて“苦い種子”となって未来に遺ることを選ぶと師子吼した牧口先生――。 その精神は、21世紀の地球に「人間教育」の大輪を咲かせるとともに、「人間のための宗教」による豊かな実りをもたらしているのだ。 |