第18回 池田先生
「平和と軍縮への新たな提言 ㊦
24年11月5日
 
核保有国で被爆の実相を伝える展示
希望を失わず21世紀への血路を開く

池田先生が、「創価学会は、永遠に民衆の側に立つ」との指針の源流をなす講演を行ったのは、今から半世紀前(1974年11月)に名古屋で開催された第37回本部総会であった。

創価学会が民衆の中から生い立ち、自発の意志によって隆盛してきた事実に基づいて、その根本姿勢は「民衆の側に立つ」ことにあると宣言した上で、次のように訴えたのである。

「“人間”そのものに、仏法という生命哲学の背光をあて、心と心の深みに、連帯の発条を与えゆく『人間革命』運動、すなわち、人間の側から、平和実現に絶えまなき挑戦をなしゆく団体、

これこそ創価学会という運動体であると、私は申し上げておきたい」と。

この講演の2カ月前、学会の青年部は、戸田先生の「原水爆禁止宣言」発表の日である9月8日を迎えるにあたって、“戦争絶滅、核廃絶を訴える署名”として1000万人にのぼる署名を達成していた。

池田先生は年が明け、広島と長崎への原爆投下から30年にあたる1975年の1月に、ニューヨークの国連本部を訪問し、“青年たちの情熱の結晶”である署名簿の一部を届けた。

また「原水爆禁止宣言」発表25周年となる1982年には、第2回国連軍縮特別総会の会期中に、SGIが「核兵器――現代世界の脅威」展を国連本部で行った。

そして1983年1月、「SGIの日」に寄せた最初の提言で池田先生が述べたのが、「絶望や諦めからは未来への展望は開けない」「二十一世紀のトビラを自らが押しあけるのだという希望と自信を持って進んでまいりたい」との強い決意だったのである。

1989年3月、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のバーナード・ラウン博士(右端)とルイーズ夫人(左から2人目)が東京・信濃町の聖教新聞本社(当時)を訪問。

池田先生は、核兵器を生み出した権力の魔性に対して「『人間性』の側から、また『民衆』の側から戦っているのがSGIの運動であり、その意味で、IPPNWの運動とは、多くの面で共通点を持つと考える」と語った

SGIが、国連経済社会理事会との協議資格を持つNGO(非政府組織)となったのは、池田先生がこの提言を行ったのと同じ年(83年5月)だった。

SGIは、広島市と長崎市の協力を得ながら、被爆の実相を伝える「核兵器――現代世界の脅威」展の開催を続けた。

冷戦終結の前年(88年6月)まで、核保有国のアメリカ、ソ連、フランス、中国を含む16カ国25都市を巡回して、核による惨事を防ぐことを呼びかけたのだ。

米ソ両国が核兵器の削減を巡る交渉を進めている最中(87年5月)に、モスクワで行われた展示の開幕式には、池田先生が出席し、“核兵器がなく、悲惨と残酷さもない社会”を地球上に築く決意を力強く語った。

この展示の場で池田先生との出会いを結んだのが、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の創設者の一人であるバーナード・ラウン博士だった。

池田先生と博士の間で育まれた友情が機縁となり、IPPNWを母体とする核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の活動に、SGIが初期の段階から深く関わるようになった。

広島と長崎の被爆者と共に、ICANが市民社会の要の存在となって国際世論を高める中、核兵器禁止条約は2017年7月に国連で採択された。

池田先生は、長年にわたって“実現は不可能”と言われてきた核兵器禁止条約が採択されたことの歴史的意義について、こう強調した。

「そもそも、核兵器を含む大量破壊兵器の全廃は、国連創設の翌年(1946年1月)、国連総会の第1号決議で提起されたものでした。

以来、光明が見えなかった難題に、今回の条約が突破口を開きました。しかも、被爆者をはじめとする市民社会の力強い後押しで実現をみたのです」と。

2023年4月、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が主催して、広島で行われた「広島G7ユースサミット」。広島大学平和センターやSGIなどが共催し、19カ国・地域の青年が参加した

今、ウクライナを巡る危機や中東情勢の悪化が続き、核兵器に対する国際社会の懸念が冷戦終結後で最も高まっている。

こうした中、今年のノーベル平和賞に、被爆者の立場から核兵器廃絶を訴えてきた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が選ばれた。

核兵器の禁止と廃絶を求める市民社会の活動に対し、ノーベル平和賞が授与されるのは、IPPNW(1985年)、パグウォッシュ会議(1995年)、ICAN(2017年)に続くものだ。

今回の授賞理由について、ノーベル平和賞の選考委員会は、「日本被団協は“ヒバクシャ”として知られる広島と長崎の被爆者たちによる草の根の運動で、核兵器のない世界を実現するために努力し、核兵器が二度と使われてはならないと証言を行ってきた」と述べた上で、「人類の歴史の中で、今こそ核兵器とは何なのかを思い起こす意義がある」と強調した。

広島と長崎への原爆投下から80年となる明年に向け、世界の民衆の力で、核兵器の使用防止とともに「核兵器のない世界」を現実のものにするための国際社会の合意づくりを、強く働きかけていく必要がある。

池田先生は2023年4月に発表した、G7(主要7カ国)広島サミットへの提言で、IPPNWのラウン博士が冷戦が終結した1989年を振り返り、「一見非力に見える民衆の力が歴史のコースを変えた記念すべき年であった」と述べた言葉に触れて、次のように訴えた。

「今再び、民衆の力で『歴史のコース』を変え、『核兵器のない世界』、そして『戦争のない世界』への道を切り開くことを、私は強く呼びかけたい」

池田先生が最初の提言で表明した信念とも重なる、この言葉を胸に、時代転換の波動をさらに力強く広げていきたい。


<語句解説>

核戦争防止国際医師会議 1980年、アメリカとソ連を中心に東西両陣営の医師が、核戦争の回避を訴えることを目的に設立された団体。

核兵器や放射能の被害に関する調査研究にも取り組んできた。

パグウォッシュ会議 正式名称は「科学と世界問題に関する会議」で、1957年にカナダのパグウォッシュで第1回会議を開

核廃絶を目指す活動などを続け、95年、創設メンバーのジョセフ・ロートブラット博士と共に、組織としてノーベル平和賞を受賞した。



<引用文献>

ラウン博士の言葉は、『病める地球を癒すために』(田城明訳、中国新聞社)。 



池田先生 「平和と軍縮への新たな提言」 (1983年1月)

今日、すさまじい破壊力を秘めた軍事力に支えられた権力機構は、少数のエリートの政策決定者が支配しているかにみえます。

しかし、それは、真実支配していると言えるでしょうか。支配しているようにみえて、実は、核兵器や権力機構のもたらす魔性に支配されているのではないでしょうか。

そうした魔性を、仏法では「元品の無明」と説きますが、無明の闇の覆うところ、ついに“人間”は、社会のすべての分野で、主役の座から滑り落ちていくでありましょう。

事実、核抑止力論を超えて、限定核戦争の可能性などを喋々している人々の精神構造に、私は、何よりも“人間不在”をみるのであります。

核の魔性に操られて、何十万、何百万単位の殺傷を算定するその精神には、苦悶のうちに死んでいく一人一人の人間の苦しみは介在する余地すらないでありましょう。(中略)

核兵器は、近代文明総体の一つの破局であり、その出現は、人類史にとって運命的な出来事であると思うのであります。

核の力に支えられた権力機構が、一部のエリート集団に握られているという構図が示すものは、まさしく、自ら作り出した物に支配されゆく、人間の敗北宣言であり、人間の尊厳の死といっても過言ではない。

ならば、この運命的な出来事は、我々に何を要請しているのか。それは、人類史の舞台における主役の座を人間の手に、なかんずく民衆の手に取り戻していかなければならないということであります。

従って私は、ここで「創価学会は、永遠に民衆の側に立つ」という私どもの不磨の指針を、もう一度確認しておきたいのであります。

恒久的人類平和への展望を民衆自身の手で開くかは、これからの課題であります。

しかし、私は現在の状況に決してペシミスティック(悲観的)になる必要はないと思う。絶望や諦めからは未来への展望は開けないからであります。

晩年のヤスパースが「どんな状況も、絶望的なものではない」と語っていたように、むしろ自信を持って二十一世紀のトビラを自らが押しあけるのだという希望と自信を持って進んでまいりたい。(『池田大作全集』第1巻)