第12回 池田先生
「第38回本部総会」での講演 ㊦
24年9月17日
 
民衆こそ「歴史の底流」を形づくる主役
生命尊厳を基盤に恒久平和への大道を

池田先生は1975年11月の本部総会で、創価学会の根本目標は日蓮大聖人の仏法を広宣流布することにあると再確認した一方で、学会の社会的使命について次のように語った。

「この広宣流布、仏法拡大の運動それ自体、現実社会において、もっとも本源的な人間復興、生命尊厳確立の戦いであることはいうまでもありません。

そこからさらに一歩、仏法をたもった社会人の集団としての社会における責任、また目標はどこにあるかといえば、生命の尊厳を基調とした文化の興隆にあるといえるのであります」

その上で、「世界恒久平和の実現こそ、われわれのめざすべき大道」と宣言したのだ。

この挑戦の基軸として池田先生が強調したのは、対話の実践に加えて、歴史の底流を粘り強く形づくる漸進主義と、民衆がその主役であるとの点だった。

漸進主義については、いかなる時代の荒波にも損なわれない金剛不壊の生命の輝きで社会を潤すことを説いた涅槃経の一節を踏まえ、こう論じていた。

「時代は刻々と動いていく。天候の推移と同じように、晴れのときもあれば曇りのときもある。これからも、あるときは、暴風雨に遭遇するような場合もあるでありましょう。

要はそうした変転に一喜一憂することなく、たえず原点を凝視しつつ正常な軌道へと引き戻していく力が、人々に備わっているかどうかであります」

「そうした本源的な力を、民衆一人ひとりの心田に植えつけていくところにこそ、宗教のもっとも根本的な使命がある」

人間と人間との生命次元での触発を通し、平和と共生の地球社会を建設していく労作業こそ、迂遠のようでも最も確かな道であるというのが、池田先生の信念だったのだ。
1975年11月に行われた第38回本部総会。池田先生は、戦後30年の節目に広島で開催するこの総会は「二度と再びあの人類の惨劇を繰り返してはならない」との重大な決意に基づくものであると表明。

1時間20分に及ぶ講演では、核兵器の全面的な禁止をはじめ、日中平和友好条約の早期締結を呼びかけるなど具体的な提案も行った

また、民衆が歴史創造の主役であるとの点については、「大海の一渧も衆流を備え、一海も万流の味をもてるがごとし」(新1527・全1121)の一節を通し、こう訴えていた。

「大海といっても究極するところ一渧の集積にほかならないし、その一渧に大海のいっさいが含まれているのであります。

たった一つの如意宝珠であっても、いっさいの宝を生み出す無限の価値があり、一丸の薬に万病を癒す効能がある」と。

希望の未来を目指して一人一人の起こす行動が、仏法の示す方程式に照らし、どれほど大きな波動を広げていくのか――。

その使命の大きさを信じ、共に前進しようと呼びかけたのだ。

この池田先生の信念は、終生変わることはなかった。2017年の提言では、SDGs(持続可能な開発目標)を巡って、同じ方程式を提起していた。

「青年が、今いる場所で一隅を照らす存在になろうと立ち上がった時、そこから、周囲の人々が希望と生きる力を取り戻す足場となる、安心の空間が形づくられていきます。

その安心の空間に灯された『共に生きる』という思いが、そのまま、国連が目指す『誰も置き去りにしない』地球社会の縮図としての輝きを放ち、同じような問題に苦しむ他の地域の人々を勇気づける光明となっていくに違いないと、確信するのです」

新型コロナウイルス感染症の世界的流行やウクライナ危機の影響もあり、その進捗が遅れる中で、SDGsに対して冷笑的な意見が一部でみられる。

しかし私たち創価学会は市民社会の一員として、気候変動をはじめとする人類共通の課題への認識を広げ、「誰も置き去りにしない」との誓いの連帯を築くために、SDGsの取り組みを後押ししてきた。

1975年の本部総会で先生が述べた、「もはや未来の時代に対しては、こうした地道な努力しか方法はない。

もしこれを冷笑するようでは、その人はいったい人類社会の今後にいかなる方法をもって臨むのかと、私は反問したい」との言葉に脈打つ精神が、創価の民衆運動の矜持にほかならないからだ。

本年2月、「対話と人間革命による平和の推進――池田大作の生涯」と題し、ベルギーのブリュッセルにある欧州議会の施設内で行われた池田先生の追悼行事。

発起人となった欧州議会のピナ・ピチェルノ副議長は、「皆さまと共に、池田氏が求めていた理想の実現に向けて出発してまいりたい」と呼びかけた

池田先生とトインビー博士との対話から半世紀以上が経った今、博士が着目した創価の民衆運動は192カ国・地域に滔々と流れる大河となった。

本年2月、ベルギーのブリュッセルにある欧州議会の施設内で、池田先生の追悼行事が行われた際、ローマクラブのサンドリン・ディクソン=デクレーブ共同会長は、先生の功績を称えながら、こう呼びかけた。

「私たちは今、分岐点に立っています。人権を否定し、自然や地球の存続を脅かす政治的な動きの拡大を目にしています。

その一方で、民主主義や自由、平和が失われゆくことに抗する仏教的ヒューマニズムの萌芽が、社会の中で確かに見られます。

だからこそ人間革命の流れを強めていかねばなりません。その責任は他の誰でもなく、私たち一人一人にあるのです。

人間革命を他者に呼びかけ、力づけることを継続していく。

これこそが池田氏の精神を受け継いでいくことであり、氏に敬意を表することになるのです」

国際政治における出来事だけが、人類の未来を左右するのではない。

私たち民衆の日々の行動が、窮極において歴史をつくる「水底のゆるやかな動き」を生み出していることを深く確信して、前進していきたい。


<語句解説>

漸進主義 社会の変革を目指すに当たって、過激な手段や急進的な方法ではなく、平和的な手段で一歩一歩前進する方法に立脚した思想や行動を指す。

涅槃経 釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。仏法が流布される場所やそこに住する人々は、いかなる煩悩にも壊されない金剛のようであると説かれている。

如意宝珠 無量の宝を意のままに取り出すことができる珠のこと。仏典では、妙法の功徳を象徴する言葉として用いられる。

SDGs 2015年9月に国連で採択された世界共通の行動目標。2030年までの達成を目指し、貧困や気候変動など17の分野にわたる取り組みが掲げられている。

時代は刻々と動いていく。天候の推移と同じように、晴れのときもあれば曇りのときもある。これからも、あるときは、暴風雨に遭遇するような場合もあるでありましょう。

要はそうした変転に一喜一憂することなく、たえず原点を凝視しつつ正常な軌道へと引き戻していく力が、人々に備わっているかどうかであります。

それは、生命のバネ、バイタリティーであるといってよく、そうした本源的な力を、民衆一人ひとりの心田に植えつけていくところにこそ、宗教のもっとも根本的な使命がある。

創価学会の社会的役割、使命は、暴力や権力、金力などの外的拘束力をもって人間の尊厳を犯しつづける“力”に対する、内なる生命の深みより発する“精神”の戦いであると位置づけておきたい。(中略)

偉大な仕事をするには時間がかかる。人間対人間の触発をとおして、自他の生命をみがきあげるという開拓作業が、一朝一夕に成就しうるものではありません。

だからこそ、結果としてもたらされるものは、いかなる風雪にも朽ちることのない金剛不壊なる生命の輝きなのであります。

もはや未来の時代に対しては、こうした地道な努力しか方法はない。

もしこれを冷笑するようでは、その人はいったい人類社会の今後にいかなる方法をもって臨むのかと、私は反問したい。(中略)

一般に「行き詰まったときは原点に帰れ」といわれますが、人間にとって永遠の原点とは“人間らしさ”“人間の尊厳性とは何か”ということ以外にはありえない。

その意味から私は、人間を表とした民衆中心主義こそ、きたるべき世紀への道標でなくてはならないと考えている一人であります。

私どもは、その視点から、誰人とも話し合っていきたい。     

一致点を見いだすことも有意義であり、不一致点を見いだすこともまた有意義であります。

ともかく、思慮深い判断と先見性が要求される時代にあって、徹底して人類の根本的な原点に立った対話を進めていきたいものであります。(『新版 池田会長全集』第1巻)