第6回 池田先生
「世界平和祈念勤行会」でのスピーチ㊦
24年8月6日
 
パグウォッシュ会議で会長などを歴任し、核兵器廃絶を目指す活動に尽力してきた功績でノーベル平和賞を受賞したジョセフ・ロートブラット博士。
その博士が2000年2月に沖縄を訪れた時、池田先生の前で次のような言葉を述べていた。

「1957年にパグウォッシュ会議ができ、日本を初訪問した折、私は広島を訪問し、戦争と原爆の爪あとを見ました。そして東京で、この課題について講演しました。

その同じ時に、戸田城聖氏は、横浜の三ツ沢競技場で、有名な『原水爆禁止宣言』を発表されたのです」

「戸田城聖氏と個人的にお会いできなかったことは残念でした」

「しかしながらパグウォッシュ会議は、『核兵器なき世界』『戦争なき世界』へ向け、戸田氏が始められ、池田会長と創価学会が続けてきたお仕事と、共通の歩みを進めてまいりました」と。

博士は、パグウォッシュ会議が発足する淵源となった「ラッセル=アインシュタイン宣言」(55年7月)の原署名者の一人だったが、こうした戸田先生や池田先生に対する共感を一貫して抱いていたからであろう。

「ラッセル=アインシュタイン宣言」の精神を21世紀に伝えるために、同宣言を復刻した特装版を作成した際、博士が第1号の贈呈先に選んだのは、池田先生にほかならなかった。

2001年10月、アメリカで「9・11」の同時多発テロ事件に伴う混乱が続く中、博士がイギリスのロンドンから、開学まもないアメリカ創価大学を訪れた際に、創立者の池田先生に届けてほしいと、宣言の特装版を自ら持参したのである。

戸田先生の生誕100周年を迎える前日(2000年2月10日)、池田先生とロートブラット博士が2度目の語らい。

「人類は『閉塞状況』にあります。この状況をなんとか抜け出さなければなりません。池田先生に、そのためのリーダーシップをとってもらいたいのです」との博士の言葉に、

先生は「観念ではなく実行によって、お応えしたいと思います」と述べた(恩納村の沖縄研修道場で)

「原水爆禁止宣言」の発表45周年の意義を留める勤行会が行われたのは、「9・11」から1年になる時でもあった。池田先生はスピーチでそのことに言及し、世界の青年部の代表たちに、こう呼びかけた。

「原水爆禁止宣言は人類の生存権を高らかに謳い上げた普遍的な宣言であった。生命の尊厳を冒し、人類社会の存続を脅かす、あらゆる形の暴力と戦いゆく宣言といってよい。

それは、他の国々との『平和友好宣言』『文化教育交流宣言』にも通じていく。

さらにまた、昨年(=二〇〇一年)の九月十一日の同時多発テロ事件以降の世界にとっては『テロ・戦争禁止宣言』の意義をもつものといえる。

『9・11』は、二十一世紀の第一年に刻まれた、悲劇の日である。

私たちは、『人類は、いかなる暴力にも断じて屈しない!』という『9・8』に貫かれた、勇気と信念の非暴力の叫びを受け継ぎ、いやまして高めながら、平和の波動をさらに広げてまいりたい」

戸田先生の「原水爆禁止宣言」の眼目は、核兵器の使用を禁止し、核兵器という“現代世界の一凶”を地球上からなくすことにあった。

だが、意義はそれだけにとどまらない。宣言の根底に脈打っていたのは、「世界の民衆の生存の権利」を何としても守り抜かねばならないとの強い信念だったからだ。

この師の思いを誰よりも深く知っていたからこそ、池田先生はスピーチを通して、「原水爆禁止宣言」の意義について、21世紀の課題を踏まえる形で多角的に論じながら、

人類が目指すべき“平和と人道の地球社会”のビジョンを提起したのではないかと思えてならない。

ロートブラット博士から池田先生に贈られた「ラッセル=アインシュタイン宣言」の復刻特装版の第1号。哲学者のラッセルと物理学者のアインシュタインが、宣言を巡って交わした書簡の文章も収録されている

池田先生が勤行会でのスピーチで、「この現実の社会には、大火に焼かれるような苦しみが、いまだに絶えることがない」と述べていた状況は、今も世界各地で起きている。

だからこそ重要となるのは、「原水爆禁止宣言」から1年後に池田先生が寄稿で言及していた、法華経の「三車火宅の譬え」が促すような、“すべての人を火宅から救う”との精神に立つことである。

そして、仏法者である私たちが21世紀の世界で果たすべき使命とは何かを、見つめ直すことではないだろうか。

「三車火宅の譬え」とは、次のような説話である。

――ある長者の屋敷が火事に見舞われた。だが、屋敷にいた子どもたちは危険に気づかず、大火に巻き込まれて命を落としてしまいそうな状況だった。

そこで長者は、さまざまな方便を用いて子どもたちに働きかけ、燃えさかる屋敷から全員を無事に救出することができた――

池田先生は勤行会でのスピーチの結びで、世界各国の青年たちにこう呼びかけた。

「永遠の生命の哲理を掲げて、人類が永遠に理想として願望してきた、安穏にして平和の幸福世界を断固としてつくり上げていこうというのが、広宣流布の大運動である」と。

この誇りと使命を胸に、人類のため、未来のために、「火宅を出ずる道」を切り開く挑戦を共に重ねていきたい。

<語句解説>

パグウォッシュ会議 正式名称は「科学と世界問題に関する会議」で、1957年7月にカナダのパグウォッシュで第1回の会議を開催。95年には、創設メンバーのロートブラット博士とともに、組織としてノーベル平和賞を受賞した。

ラッセル=アインシュタイン宣言 哲学者のバートランド・ラッセルと物理学者のアルバート・アインシュタインを中心に、核兵器を巡る危機の克服を訴えた宣言。湯川秀樹など11人が署名した。

同時多発テロ事件 2001年9月11日、4機の航空機がハイジャックされ、2機がニューヨークの世界貿易センタービルに、1機が国防総省の庁舎に激突。1機が墜落して、約3000人が犠牲となった。





池田先生 「世界平和祈念勤行会」でのスピーチ (2002年9月)

きょう九月八日は、ご存じのように、四十五年前(一九五七年)、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を横浜の三ツ沢競技場で発表された記念日である。

核兵器の使用に代表されるように、民衆の生存の権利を脅かすものは、「これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」と、戸田先生は鋭く喝破された。

人類の幸福を守り、世界の平和を守りぬくことが、青年部への遺訓となったのである。

仏法では、人間生命の根本的な迷いを「元品の無明」と呼んでいる。その生命の闇を光へと転換していくのが、広宣流布の大闘争であり、人間革命の大運動である。

人間の相互の不信や憎悪、暴力や恐怖等を生み出す、生命の根源的な魔性を打ち破っていくのである。

私は「原水爆禁止宣言」の理念を、「平和主義」「文化主義」「教育主義」そして「人間主義」として展開した。全世界に向かって対話の渦を起こしていったのである。

日中国交正常化の提言を、学生部総会の席上で行ったのも、「原水爆禁止宣言」から十一年後(一九六八年)の九月八日のことであった。

さらにまた、内外に反対が吹き荒れるなか、第一次訪中に続いて、ソ連を初訪問したのも、一九七四年のきょう、九月八日であった。(中略)

一年また一年、この日が来るたびに、私は、原水爆を絶対に使用させてはならない、戦争をくいとめ、平和の方向へ、人類を融合させていかねばならないとの決意をこめて、行動を重ねてきた。 

この現実の社会には、大火に焼かれるような苦しみが、いまだに絶えることがない。

その中にあって、永遠の生命の哲理を掲げて、人類が永遠に理想として願望してきた、安穏にして平和の幸福世界を断固としてつくり上げていこうというのが、広宣流布の大運動である。

ここに、多くの哲学者、宗教者、平和学者等が願望してきた、全人類が幸福に生きる権利を二十一世紀に打ち立てゆく道がある。

(『普及版 池田大作全集 スピーチ』2002年〔2〕)