第5回 池田先生 「世界平和祈念勤行会」でのスピーチ㊤ 24年8月5日 |
「原水爆禁止宣言」の精神を原点に 世界の分断を防ぐための行動を きょう九月八日は、ご存じのように、四十五年前(一九五七年)、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を横浜の三ツ沢競技場で発表された記念日である。 核兵器の使用に代表されるように、民衆の生存の権利を脅やかすものは、「これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」と、戸田先生は鋭く喝破された。 人類の幸福を守り、世界の平和を守りぬくことが、青年部への遺訓となったのである。 仏法では、人間生命の根本的な迷いを「元品の無明」と呼んでいる。その生命の闇を光へと転換していくのが、広宣流布の大闘争であり、人間革命の大運動である。 人間の相互の不信や憎悪、暴力や恐怖等を生み出す、生命の根源的な魔性を打ち破っていくのである。 私は「原水爆禁止宣言」の理念を、「平和主義」「文化主義」「教育主義」そして「人間主義」として展開した。全世界に向かって対話の渦を起こしていったのである。 日中国交正常化の提言を、学生部総会の席上で行ったのも、「原水爆禁止宣言」から十一年後(一九六八年)の九月八日のことであった。 さらにまた、内外に反対が吹き荒れるなか、第一次訪中に続いて、ソ連を初訪問したのも、一九七四年のきょう、九月八日であった。(中略) 一年また一年、この日が来るたびに、私は、原水爆を絶対に使用させてはならない、戦争をくいとめ、平和の方向へ、人類を融合させていかねばならないとの決意をこめて、行動を重ねてきた。 この現実の社会には、大火に焼かれるような苦しみが、いまだに絶えることがない。 その中にあって、永遠の生命の哲理を掲げて、人類が永遠に理想として願望してきた、安穏にして平和の幸福世界を断固としてつくり上げていこうというのが、広宣流布の大運動である。 ここに、多くの哲学者、宗教者、平和学者等が願望してきた、全人類が幸福に生きる権利を二十一世紀に打ち立てゆく道がある。(『普及版 池田大作全集 スピーチ』2002年〔2〕) 世界平和祈念勤行会に集った世界50カ国・地域の青年部のメンバーに、池田先生が慈愛あふれる励ましを。 スピーチの終了後も、青年部からの質問に一つ一つ答える形で懇談的に語りながら、 「大事な大事な人生です。最高に価値ある、思い出深い、勝利の人生を飾ってください!」と呼びかけた(2002年9月、創価文化会館内の金舞会館〈当時〉で) 21世紀が開幕してから2年目(2002年)の秋――。 池田先生は、9月5日の本部幹部会に続いて、戸田先生の「原水爆禁止宣言」発表45周年に当たる9月8日に行おこなわれた、SGI青年研修会での世界平和祈念勤行会に出席した。 勤行会の会場となったのは、東京・信濃町の創価文化会館。現在は、広宣流布大誓堂が立つ場所である。 創価文化会館には、座席が階段状に並んでいる金舞会館があり、当日は、世界50カ国・地域の代表200人が集っていた。 池田先生は会場に到着するやいなや、世界の青年たちの健闘を讃たえ、両手でVサインを送った。 そして深々と礼をしながら、「お幸せにね」「ご健康を祈ります」「お父さん、お母さんを大切にしてください」と、一人一人に声をかけた。 入口付近にいたメンバーだけでなく、場内にある通路の階段を1段ずつ上のぼり、最上段にいる青年の所まで足を運はこんで、激励を重かさねたのだった。 勤行の後、池田先生はスピーチの冒頭でこう語った。 「敬愛するSGIのわが同志を迎え、本部幹部会で忘れ得ぬ思い出を刻んだ。 さらに、もう一度お会いして語りあいたいと思い、一切のスケジュールを変更し、勤行会に出席させていただいた」と。 その上で、牧口先生の「羊千匹より獅子一匹たれ!」との言葉を通し、「きょう、お集まりの皆さんは、一人も残らず、『一騎当千』の獅子に育っていただきたい。 自分自身が『一騎当千』の力をつけることは、千倍の広宣流布の拡大に通じていくのである」と期待を寄せた。 そしてまた、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を発表した9月8日に対する思いについて、 「一年また一年、この日が来るたびに、私は、原水爆を絶対に使用させてはならない、戦争をくいとめ、平和の方向へ、人類を融うさせていかねばならないとの決意をこめて、行動を重ねてきた」と、積年の真情を語ったのである。 核兵器禁止条約の第1回締約国会議が閉幕した翌日、会議に参加していた専門家が集まり、条約の今後の課題などを巡って活発な議論を交わした(2022年6月、オーストリアのウィーン市内で) 核兵器の禁止と廃絶を求め、池田先生が貫ぬいてきた師弟不二の行動――。 それは、戸田先生による「原水爆禁止宣言」と時を同じくして、すでに1957年9月から開始されていたものだった。 戸田先生の宣言について報じた聖教新聞の同じ日の紙面に、池田先生が御書の講義を通して述べていた“核兵器は「全世界の共通の憂い」”との言葉が掲載されていたのだ。 また、戸田先生の逝去から5カ月後(58年9月)、「原水爆禁止宣言」の発表1周年を迎えた際に、池田先生は聖教新聞で「火宅を出ずる道」と題する寄稿を発表した。 法華経譬喩品の「三界は安きこと無なし 猶お火宅の如し 衆苦は充満して 甚だ怖畏す可し」の一節に言及しつつ、「原水爆の使用は、地球の自殺であり、人類の自殺を意味する」と論じたのである。 それだけでなく池田先生は、折々の会合で“核兵器の使用を断じて許してはならない”と何度も呼びかけた。 そして1960年5月に第3代会長に就任してからは、国内のみならず、海外においても、「原水爆禁止宣言」の精神に基もとづいて核兵器の非人道性を強調しながら、核兵器の禁止と廃絶を訴え続けてきたのである。 さらに1996年2月には、戸田記念国際平和研究所を創立した。 戸田先生の名前を冠する研究所の活動を通して、世界の学術者をつなぐネットワークを構築し、英知を結集する中で、核兵器の問題をはじめ、地球的な課題の解決を後押しすることを目指したのだ。 こうした池田先生の行動の積み重ねがなければ、戸田先生の「原水爆禁止宣言」の意義が、歴史に埋もれてしまう恐れもあったのではないだろうか。 事実、世界各地で核兵器廃絶の運動に取り組んできた団体のリーダーたちが、池田先生と友情を結ぶ中で、その平和行動の原点が「原水爆禁止宣言」にあることを知り、戸田先生の先見性を高く評価する言葉を数多く寄せてきたのである。 (㊦に続く) <語句解説> 三ツ沢競技場 横浜市神奈川区の三ツ沢公園内にある陸上競技場。1957年9月、創価学会青年部の東日本体育大会「若人の祭典」が行われ、席上、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を発表した。 元品の無明 生命における最も根源的な無知や迷いのこと。仏法では、この無明の闇から、不信や憎悪、支配欲、殺戮の衝動などの魔性の心が生じると説く。 日中国交正常化の提言 1968年9月、中国に対する厳しい見方が日本で広がる中、池田先生は学生部総会で、日中国交正常化の推進や、中国の国連加盟を認めることなどを提唱。 その後、72年9月に日中共同声明が北京で調印され、国交正常化が実現した。 |