1984年2月23日
ブラジル訪問
26年2月9日
 

1984年2月23日、ブラジルの600人の同志との記念撮影が終わると、池田先生は友の輪の中に入り、一人一人と握手を交わした(首都ブラジリアの公園で)

苦労したところは、必ず強くなる
 ブラジルの天地に、愛唱歌「サウダソン・ア・センセイ(ようこそ、先生)」の歌声が響きわたった。それは、幾多の苦難を勝ち越えたブラジル創価家族の凱歌であった。
 池田先生がブラジル広布の第一歩を刻んだのは1960年10月である。66年に次ぐ3度目の訪問を予定していた74年、ブラジルの軍事政権は先生へのビザ発給を阻み、訪問断念を余儀なくされた。同志の悲しみは筆舌に尽くしがたいものだった。
 その時、先生は「今こそ立ち上がり、これを大発展、大飛躍の因にして、大前進を開始していくことだ」「長い目で見れば、苦労したところ、呻吟したところは、必ず強くなる。それが仏法の原理だよ」との指針を贈った。友は良き市民として社会貢献に励み、信頼を勝ち広げていく。そして84年2月19日、当時のフィゲイレド大統領が先生を招聘し、18年ぶりの訪伯が実現したのである。
 21日から先生は首都ブラジリアで、大統領をはじめ政府要人と相次ぎ会見。ブラジリア総合大学への図書贈呈などを行い、日伯友好の架け橋を築いていく。その激務の中で、近くの公園に現地メンバーが集まっていることを知った。「少しでも励ましたい」と記念撮影会が行われた。
 23日の晴天の午後だった。先生は公園で600人の友とカメラに納まる。撮影を終えると、鼓笛隊と音楽隊が喜びを曲とダンスにのせて披露した。先生は笑顔で呼びかけた。
 「ありがとう。皆さんの元気なお姿を見て、本当にうれしい。これからも、良き市民として、また良き社会人として成長し、これ以上に幸せな人生はない、という人生を生ききってください」
 この言葉に応え、メンバーから「エ・ピケ、エ・ピケ(ブラジル特有の尊敬と感謝を込めた呼びかけ)……」のかけ声が沸き起こり、大勢が駆け寄った。涙を拭う友もいた。先生は公園を後にするまで、一人一人と固い握手を交わし続けた。
 26日には、サンパウロで「ブラジル大文化祭」が盛大に開催。まず先生は前日の公開リハーサルに出席する。当日と合わせて、のべ4万6000人の友と会い、18年間の不屈の信心の戦いを讃え、最大の感謝を伝えた。参加者たちはテーマ曲「サウダソン・ア・センセイ」に、突き上げる喜びを託した。この2日間はブラジル広布の歴史的転機となった。
 翌27日、ブラジル文化会館で開かれた記念幹部会の席上、先生は友の幸福を願い、訴えた。
 「人生には、悩みも苦しみもある。一次元から見れば苦悩との戦いが人生ともいえる。しかし、信心と広宣流布の大道を歩みゆく人は、常に生命の充実感がある」「人生の価値は、その充実感のいかんにかかっている」
 「確信のある信心には、常に夢がある。蘇生がある。希望がある。無限の力が出る。生命力がわいてくる。ゆえに、人生と社会にあって、行き詰まりは、絶対にない」
 84年を機に、境涯革命の劇が各地で生まれ、世界広布の王者・ブラジルはさらに発展。その闘魂は今、青年世代に脈々と受け継がれている。