1998年2月9日
フィリピンでリサール像に献花
25年12月12日
 

リサール像に花輪をささげ、偉大な英雄の尊き生涯をしのぶ池田先生。儀式では、青空に3発の号砲がとどろき、国花の名を冠した「サンパギータ」の曲が奏でられた(1998年2月9日、マニラ市で)
 
青年と共に「平和の大道」を歩む
 1998年2月9日、前日からフィリピンを訪問していた池田先生は、首都マニラのリサール公園へ向かった。公園には「ホセ・リサールの像」がある。軍楽隊の演奏が響く中、リサール協会会長のキアンバオ博士に導かれて、先生はゆっくり歩みを運び、像に献花した。
 フィリピンにおいて「ホセ・リサール」の名は、深い尊敬をもって語られる。作家・詩人であり、教育者、医学者、芸術家などとしても活躍し、20を超える言語に通じた。300年以上に及ぶ植民地支配に、「ペンの力」で立ち向かった。
 リサールの言葉は、フィリピンの人々の心に自由の炎をともした。政府当局は彼を危険視し、逮捕、流刑にした。1896年、リサールは35歳の若さで殉難する。彼の命は銃弾に奪われたが、その精神は民衆の中に生き続けた。フィリピンが独立を宣言したのは、彼の死から2年後である。リサールは今なお、「独立の父」「平和の英雄」として、民衆の心に生きている。
 リサールの像への献花を終えた池田先生は、「ここは世界の“平和の英雄”の原点の地です。聖地です。英雄の偉大さを、私は大きく世界に宣揚してまいります」と語った。
 その後、先生はフィリピン国際会議場で挙行された「リサール国際平和賞」の授賞式に臨む。同賞は、フィリピン独立百周年を慶祝する意義をもって創設され、先生がその最初の受賞者となった。先生の歩みが、リサールの行動と「完全に一致する」として、フィリピンが最大に評価する証しであった。
 式典にはラモス大統領(当時)をはじめ、州知事、大学学長ら各界の来賓を含めて約2500人が列席した。大統領は祝辞で、「池田博士は、精力的な行動者であり、フィリピンの友人であり、『世界平和のチャンピオン』であられます」とたたえ、呼びかけた。
 「池田博士という“模範”によって、多くの人々が心を動かされ、博士の“模範”に続きゆくことを、私たちは期待しようではありませんか!」
 謝辞に立った先生は、リサールが命を懸けて切り開いた「民衆勝利の大道」「青年連帯の大道」が、我々の眼前に限りなく広がっていると語った。さらに、「リサール博士の精神に生きることは、『永遠の青年』として生きゆくこと」と述べ、「私もまた、命ある限り、世界の幾多の青年とともに、『平和の大道』を歩みゆく決心であります」と訴えた。
 この言葉の通り、世界の青年と平和の大道を進み続けた池田先生。フィリピンSGIの友は、師の心を胸に、学会創立100周年の2030年を目指して、青年部を先頭に、1万世帯の弘教達成へ敢然と進む。
 人口が1億1千万人を超え、平均年齢が約26歳のフィリピン。未来性あふれる国に今、師の後を継ぐ若き人材が躍動している。