1979年8月26日
長野研修道場での記念撮影会
25年8月7日
 

「21世紀への新しい出発をしましょう!」――1979年8月26日、池田先生は長野全県から集まった約3000人のメンバーとの記念撮影に臨み、新たな師弟の絆を結んだ(長野研修道場で)  

この尊き同志を守ろう!
 池田大作先生と恩師・戸田城聖先生が、最後の夏を共にした地である。
 恩師の真実を書き残そうと、池田先生が小説『人間革命』の執筆の決意を固めた地である。
 そして、1993年8月6日、「広島原爆の日」の朝、小説『新・人間革命』を起稿した地であり、25年後の2018年の同じ日、『新・人間革命』を脱稿した地である。
 長野・軽井沢は、師弟有縁の天地だ。この地に、研修道場が誕生したのは、1978年8月のこと。戸田先生の「学会も将来、このような天地で夏季研修会を行いたい」との構想を、具体的な形で実現した。
 翌79年8月20日、師弟分断の謀略の嵐が吹き荒れる中、池田先生は同道場を初めて訪問。新しい創価学会の建設を開始することを心に深く期していた。
 道場に到着すると、先生は出迎えた友に、「私の声が創価学会の声だよ。私の声が鳴り響いている限り、創価学会は大丈夫だ」と力強く宣言したのである。
 この長野訪問の9日間で、先生は寸暇を惜しんで、激励に次ぐ激励を重ねた。26日には同道場で記念撮影会が開催された。長野各地から3000人を超す同志が詰めかけた。
 3台の撮影台を使って、写真撮影が行われた。1回の撮影が終了するたび、先生は同志に声をかけた。
 小説『新・人間革命』第30巻〈上〉「雌伏」の章に、この撮影会の場面が描かれている。撮影の終盤、「私たち男子部は、断じて戦い、勝って、先生にお応えしていきます」と語る青年に、山本伸一は訴えた。
 「今こそ君たちが、学会を、それぞれの地域を担っていくんだ。その重要な時に感傷的になって、力を出せないことほど、情けない話はありません。それが、今の私の思いだ。魂の叫びです。頼んだよ!」
 その後も、池田先生は戸田先生を思い、毎年のように同道場に足を運んだ。ここで、世界の識者と平和への対話を重ねた。「謀を帷帳の中に回らし、勝つことを千里の外に決せしものなり」(新874・全183)との御聖訓のまま、リーダーと世界広布の展望を語り合った。
 2007年8月、同道場で行われた全国最高協議会。先生は語った。
 「広布に戦う学会員ほど、尊い存在はない。だれもが等しく大切な『仏子』である。この尊き同志を守ろう! 真剣な同志に応える戦いをしよう!――その心がある人が伸びていく」
 「広布の途上には、いくつもの困難な山がある。そこを勝ち越えれば、新しい世界が、大きく広がっていく。未来が、晴れ晴れと開けていく。そのために、最も大切なものは何か。それは『勇気』である。逆境に揺るがぬ『確固たる心』である」
 陰の労苦を誇りとする役員を励まし、青年の薫陶の場でもあった長野研修道場。先生は詠んだ。 
  
 来る年も
  また来る年も
   忘れまじ
  恩師の来たりし
    軽井の城かな