1980年5月9日
中部文化会館での自由勤行会
25年7月15日
 
広宣流布に、君よ、光れや!

 写真と共に先生と我らの共戦の足跡を紹介する連載「池田大作先生アルバム Photoストーリー」。今回は、1980年5月9日に名古屋市の中部文化会館(当時)で行われた自由勤行会を取り上げる。
名古屋市の中部文化会館(当時)で行われた自由勤行会で、集まった友を心から励ます池田先生。この日、先生に一目会いたいと、朝早くから友の長蛇の列が会館の前に連なり、人の流れが途切れることはなかった(1980年5月9日)

 「日本の、また世界の広宣流布といっても、詮ずるところは、この中部が画竜点睛となります」
 1967年7月10日、金山体育館(当時)で開催された中部本部幹部大会。池田先生は広宣流布における中部の使命の重大さを訴え、「広布の堅塁・中部たれ」との指針を示した。「愛知の日」の淵源である。
 この指針から10年の節目となる77年、中部文化会館(現・中部池田記念会館)が開館。4月27日の開館記念勤行会で、大広間に御安置されたのは、創価学会常住の「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊であった。そこには「中部の同志には、これから創価学会の真実の歴史をつくってさしあげたい」との先生の思いが込められていた。
 席上、先生は「一切の事象をより良く転じていく強盛なる信心を貫いてほしい」と望んだ。勤行会の最後には、「人間革命の歌」の合唱を。先生と中部の友の誓いの歌声が会場に響いた。
 同年7月27日、「中部の日」を記念する幹部会が同会館で行われた。先生は「団結第一で、晴れやかに、広布の盤石の縮図を実現させてください。『中部』の呼称そのままに、仏法興隆の中心地でありますように」とのメッセージを贈った。翌78年の7月27日の幹部会では、先生が出席し、中部歌「この道の歌」が発表されている。
 先生の中部文化会館訪問は34回。ここを中部広布の本陣として、指揮を執った。師弟を分断する謀略の嵐が吹き荒れていた80年5月9日も、同会館で師弟のドラマが刻まれた。
 この日、地下鉄の名城公園駅の出口から中部文化会館まで、長蛇の列ができた。先生の愛知訪問を知った同志が、続々と詰めかけたのだ。
 その報告を聞くと、先生は「皆さんに会館に入っていただき、一緒に勤行をしよう!」と決断した。しかし、会館に入りきらない人数。勤行会の中止も検討された。先生は言下に否定した。「私が会うまで、絶対に一人も帰してはならない」――中部の同志を何としても励まそうとする慈愛が凝縮した言葉だった。
 先生が出席した「自由勤行会」は、記録に残っているもので、少なくとも午前中に5回、午後に6回行われた。励ましは勤行会の場だけではなかった。会議室や応接室など、館内のあらゆる場所を先生は回り、出会った友に声をかけた。
 差し出された手を、心の絆を結ぶように握り締めた。玄関の外、下駄箱の脇など、友がいれば足を運んだ。記念撮影を何度も行った。
 「先生!」と声が上がると、先生が「シーッ、静かにね」と近隣に配慮し、自ら列を整理して、カメラに納まる一幕もあった。励ましの全てが終わった時、時計は午後11時になろうとしていた。
 この日、約5万人の堅塁の友が求道の心熱く、師のもとに集った。
 先生の34回目の中部文化会館訪問は、2000年3月。この折に開かれた中部・北陸代表者協議会。先生はスピーチの最後を、こう結んだ。
 ――大中部の広宣流布に、君よ、光れや!