「五月三日」の書を披露
25年5月2日
 
地涌の本命 出でよ勝ち征け
 写真と共に先生と我らの共戦の足跡を紹介する連載「池田大作先生アルバム Photoストーリー」。今回は、2010年4月に東京牧口記念会館で行われた本部幹部会の場面を掲載する。

第3代会長就任50周年を祝賀する本部幹部会で、池田先生は1980年5月3日に関西の地で揮毫した「五月三日」の書を紹介。「創価の三代の師弟は、すべての大難を勝ち越えてきた。ここに晴れ晴れと大勝利宣言をしたい。これからも断固、勝ちまくっていこう!」と呼びかけた(2010年4月17日、東京牧口記念会館で)

 5月3日は、私たちが創価の三代会長の死身弘法の生涯に感謝し、師弟の誓願に立ち返る日である。そして、清新な息吹で広布の峰へ出発する日である。
 2010年(平成22年)4月17日、池田大作先生の第3代会長就任50周年を記念する本部幹部会が東京牧口記念会館で行われた。席上、先生が認めた書が初めて披露された。
 書の中央に「五月三日」と墨痕鮮やかに。脇書には、「昭和五十五年五月三日 記す」「心爽やかなり 合掌」と揮毫されていた。
 それは、1980年(昭和55年)5月3日、先生が関西の地で筆を執ったものだった。
 当時、宗門の悪僧と退転・反逆者らによる広布破壊の謀略の嵐が吹き荒れていた。同年4月末、第5次訪中を終えた先生は、長崎・福岡から反転攻勢の助走を開始。九州に続いて関西、中部を訪問し、共戦の友に万感の励ましを送った。
 書には、節目の5月3日が列記された。戸田先生が第2代会長に就任した「昭和二十六年」。池田先生ご夫妻が結婚した「昭和二十七年」。先生が第3代会長に就任した「昭和三十五年」。会長を辞任した「昭和五十四年」。
 さらに、戸田先生が会長に就任してから32年後となる「昭和五十八年」、そして「西暦二〇〇一年」と。この二つの未来の「五月三日」を書きとどめた思いを、先生は長編詩「輝き光れ! 我らの五月三日」で詠んだ。
 「『今に見よ』 新たな創価学会の大発展を 必ず開いてみせると 私は我が一念に固く 誓い定めていたのだ」
 83年(同58年)は、第1次宗門事件の反転攻勢の集大成となった。この年の5月3日、先生は、オープンして間もない東京会館(現・東京牧口記念会館)で行われた勤行会に出席。「われらの妙法の法戦は、自己の、家庭の、社会の、世界の建設であり、幸せと平和の建設」であると述べ、「負けてはならない」と不屈の闘争を訴えた。
 また、2001年(平成13年)は、4月25日に「5・3」記念の本部幹部会が、東京・信越・北陸の第1回総会などの意義を込めて、東京戸田記念講堂で開催された。
 その折、先生は、東京の有志が同講堂の4階ロビーに設置した「七つの鐘」のオブジェを力強く打ち鳴らした。本陣の友と「第2の『七つの鐘』」を出発したのである。
 師弟の栄光が幾重にも刻まれた「5・3」。23年(令和5年)5月3日、先生は全国・全世界の同志に3首の和歌を詠み贈った。その一首にこうある。
  
 新たなる
  七つの鐘を
    誇らかに
  地涌の本命
   出でよ勝ち征け
  
 我ら池田門下は永遠に、師の大恩に報いる人生を征く。その誓いが赤々と燃えている限り、地涌の底力は無限に湧き上がる