③ 1981年2月26日 メキシコ訪問 25年3月9日 |
![]() 旭日の人生を築こう 歓迎演奏が響きわたる中、メキシコの空港ロビーに姿を見せた池田先生を、500人の現地メンバーが大歓声で迎えた(1981年2月26日、ベニト・ファーレス国際空港で) メキシコのベニト・ファーレス国際空港に、池田先生が降り立った。1981年2月26日、先生は3回目となるメキシコ訪問を果たした。 貴賓室で国営テレビ、新聞各社の共同インタビューが行われた。記者から「世界各地での戦争状態をどう思うか」との質問が出た。 世界では、79年にソ連(当時)がアフガニスタンに侵攻。80年にはイラン・イラク戦争が勃発し、国際社会の緊張は高まっていた。 先生は力強く答えた。 「私は仏法者です。仏法は絶対平和主義です。暴力を否定します」 「悠久のガンジスの川の流れも、一滴から始まっている。同じように、仏法者として、また平和主義者として、その流れが最初はいかに小さいものであっても、自分たちでできうる力をもって平和をもたらすため、文化・教育の交流のため、世界を奔走したい」 記者会見の最後、記者団から「池田SGI会長、“メキシコへようこそ!”と歓迎します。どうか快いメキシコ滞在でありますように」との言葉があった。 その後、先生が空港のロビーに姿を見せると、大歓声とともにマリアッチ(メキシコ民謡の楽団)の陽気な音色が響きわたった。 先生がメキシコに第一歩を刻んだ65年、空港で出迎えた友は10人ほどだった。この訪問の折、先生はメキシコ五輪が開かれる68年までに、500人の同志が集い合うことを目指そうと提案した。 ただ、65年3月に開催されたメキシコ支部の座談会の参加者は、わずか2人。500人の友が集うことなど夢のまた夢だった。不安を抱くメキシコのメンバーに先生は語った。 「全ては一人から始まる。広宣流布の成否は、先駆者の双肩にかかっている。だから、どんなに困難なことがあっても、どんなに辛いことがあっても、絶対に負けてはいけない」 メキシコ支部長の自宅では、毎日のように座談会が行われた。1000キロ以上も離れた地域へ、仏法対話へ向かうこともあった。一人一人の激闘によって、3年後の68年、メキシコ支部は26世帯から約700世帯へと発展。そして81年、空港には500人の友が駆けつけていた。 先生は9日間のメキシコ滞在で、大統領をはじめとする要人との会見を行った。また、メキシコ国立自治大学やグアダラハラ大学などを訪問し、図書贈呈や記念講演を通して教育交流も深めた。その激務の中で、友への励ましを重ねた。 メンバーとの懇談で、先生は感慨深く、「皆さまの信心がこれほどまでに進み、大勢の方々の元気な姿を拝見できて、とてもうれしい」と述べ、こう呼びかけた。 「それぞれの家庭で、それぞれの職場で、それぞれの境遇で、題目根本に、宿命を打開しながら、この大切な人生を、よき市民として、旭日の信心、旭日の人生を築いていっていただきたい」 メキシコでの諸行事を終えた先生は3月6日、グアダラハラ国際空港から、次の訪問地であるアメリカへ向けて飛び立った。 |