② 1990年2月 17日間のアメリカ訪問
25年2月7日
 
「千年の基盤」をつくろう

青年研修会に参加した友との記念撮影に臨む池田先生(1990年2月25日、創価大学ロサンゼルス分校<当時>で)。研修会で先生は「皆さんは若い。長い人生であるから、焦る必要はない。大事なことは一生涯、御本尊を抱き締めきっていくことである」と呼びかけた

池田先生を乗せた旅客機が、ロサンゼルス国際空港へ着陸態勢をとると、眼下に「SULA」と大地を白く染めた大きな文字が見えた。
飛行機は、創価大学ロサンゼルス分校(SULA)の上空を旋回して着陸した。文字は、同分校の職員がグラウンドに縦54・86メートル、横176・78メートルの幅で、石灰を使用して大書した文字だった。
1990年2月12日からのアメリカ訪問は、空と地上を結ぶ心の交流で幕を開けた。先生は到着後、マリブ研修センター(当時)へ向かうと、出迎えた友に力強く語った。
「皆さんのために来ました。私は真剣勝負で道を開きます。皆さんは幸福になってください」
「世界の広宣流布は30年前、このアメリカから出発しました。今までを第1期として、きょうから2001年10月2日までを、世界広布の第2期としたい。その完璧なスタートを切るために、私は今回、アメリカを訪問しました」
17日間のアメリカ滞在で、先生は一日も休むことなく、会合や研修会に臨み、友を励まし、未来への指針を贈った。訪問2日目に行われたアメリカ広布30周年記念の代表者会議で、先生は語った。
「『アメリカ広宣流布の千年の基盤』をつくる自覚で、これからも着実に進んでいただきたい」
「土台づくりは地味であり、人目をひく華やかさはないかもしれない。しかし、その労作業は最大に重要である。基盤さえ固まっていれば、あとはどんなに大きな建設でも可能となる」
アメリカ広布千年の基盤を築くため、先生が特に力を注いだのが、青年部の育成だった。計8回にわたった青年部の研修会にとどまらず、あらゆる場が“研修の場”となった。
諸行事を陰で支える青年役員に声をかけ、時には共に記念のカメラに納まった。また、ある時には、白い色紙に山と人々の絵を描き、“師匠の後を継いで、何があっても広布の険難の山を登っていくのが弟子なのだ”と、師弟の精神を語った。
このアメリカ訪問の折、先生は実業家のハマー博士、「化学賞」「平和賞」という二つのノーベル賞を受賞したポーリング博士、ジャーナリストのカズンズ博士らと対談した。識者との語らいの準備等もある中で、青年への薫陶を重ねたのである。
26日、先生は最後の8回目の研修会で語った。
「皆さんの立派な信・行・学の努力、真摯な求道の精神にふれて、私は『この青年たちが成長していくかぎり、アメリカの未来は盤石である』と確信することができた。その意味で、全員が研修会の“優等生”であるとたたえたい」
「人生も、信仰も、マラソンのようなものである。途中では、後になり、先になり、さまざまである。しかし勝敗は、最終のゴールで決まる。青春時代の鍛錬は、その最後の、真実の勝利のためである」
この激励行から35年の時を経た今、先生が全精魂を注いで育んだ青年たちが、アメリカ広布の中核を担っている。