| 第25回 神奈川・鎌倉市 26年2月20日 |
![]() 1992年1月12日、鎌倉と湘南の友が集った「合同総会・文化合唱祭」に出席し、エールを送る池田先生。「どうか皆さまは、毅然と胸を張り、わが唱える題目の波動は、百千万億光年の先までも及んでいく――そうした大確信の信心で功徳を受けきっていただきたい」と語った(横浜平和講堂で) “本物”の信心に“本物”の福運 神奈川県の南東部に位置する鎌倉市は、紺碧の湘南の海を望み、三方を山に囲まれる。12世紀後半、源頼朝が初めて武家による幕府を開いた歴史の要衝である。歴史と文化の薫り高い憧憬の地として、多くの観光客が訪れ、にぎわいを見せる。 日蓮大聖人が「立正安国」の旗を掲げ、正義の言論の主戦場とされたのが、ここ鎌倉であった。大聖人の熾烈な闘争の足跡が、街の各所に刻まれている。 池田先生は、大聖人ゆかりの鎌倉を幾度も訪問し、友に励ましを送ってきた。先生の提案で、1971年(昭和46年)7月22日に「鎌倉祭り」が行われた。この日は今、「鎌倉県の日」。同志が師弟共戦を誓い、新たな戦いに立ち上がる「魂の原点」だ。 鎌倉祭りは、会館に地域の方々を迎え、真心の交流によって、心の絆を結ぶための集いだった。開催に当たって、鎌倉の友らは近隣の家々にあいさつに回った。好意的な応対や反発など、さまざまな反応があったが、一軒また一軒と地域に友好の輪を広げていった。 迎えた鎌倉祭りの当日、数百人が参加した。会館の庭園には、特設の舞台とともに、模擬店が設けられた。出席した先生は、一人一人とあいさつを交わした。 「私が会長の池田でございます」「皆さまのご協力あっての会館です。今後とも、よろしくお願い申し上げます」 先生の誠心誠意の振る舞いに、近隣の人たちは驚いた。伝統を重んじる地にあって、学会に誤解や偏見を抱く人は少なからずいた。「学会に直接触れてみて、聞くと見るとでは大違いです」と感想を漏らす人もいた。 舞台では、青年たちによる創作舞踊「延年の舞」や「鎌倉源氏節」などが披露された。先生は、青年たちの演技に拍手を送り、力強く語った。 「青年はいつの時代も、源氏の精神でいこう。創価の旗を掲げて、さっそうと新しい時代を開こうよ」 鎌倉祭りは成功を収め、翌23日に行われた三崎カーニバルとともに、「地域友好のモデル」の先駆けとなった。 先生は記している。「信心を根本に、地域、社会を担い立つ使命を自覚し、行動を起こす時、自らの境涯を飛躍させ、大きな力を発揮することができる。それが仏法の原理である。そこに『鎌倉祭り』の大成功もあったのだ」 この精神を胸に、自らの使命の舞台で飛躍する多くの同志がいる。河野昇さん(鎌倉県、県総合長)もその一人だ。 20歳の時、大手家電メーカーに就職。勤務地の鎌倉へ、大阪から転居した。慣れない新天地での生活には不安もあった。河野さんの心を支えたのが、鎌倉の同志だった。 90年(平成2年)11月、横浜アリーナで開催された学会創立60周年記念大文化祭に出演。池田先生との出会いを刻んだ。この折、先生は「文化祭で勝った皆さんは、明日からは、職場で、学校で、一切の現実に勝ち抜いていただきたい」と呼びかけた。河野さんは「職場で“いてほしい人”になり、仏法の正しさを証明しよう」と心を定めた。 会社では、テレビの構造設計を担った。競争が激しい業界。スピードと成果の質が求められた。大きなプレッシャーがかかる。一心に祈った。 朝が勝負と決めて、人よりも早く出社し、仕事に取り組んだ。その真剣さに、社内での信頼は高まった。仕事の合間を縫って、学会活動にも奔走。河野さんの誠実な振る舞いに、学会の認識を改める上司もいた。 現在、若手社員の育成を担う。変化が激しい時代だからこそ、その激流を乗り越える知恵を磨く大切さ、困難に立ち向かう忍耐力を育むことを訴える。 仕事と活動で実証を示すことが、池田先生への報恩――師に応えようとする河野さんの誓願は熱く燃えている。 前進する人には「勇気」がみなぎる 91年(同3年)、学会は宗門から「魂の独立」を果たす。そして、翌92年(同4年)を「創価ルネサンスの年」と定め、世界宗教への本格的な飛翔を開始した。 この年の地方指導を、池田先生は神奈川から開始した。1月12日、先生が出席して、鎌倉・湘南の合同総会、文化合唱祭が横浜平和講堂で行われた。先生は語った。 「鎌倉は、大聖人に縁深い地である。また信徒の四条金吾らが活躍した舞台である。そして湘南は、大聖人が発迹顕本された竜の口を擁する。この地で妙法広布に励まれる皆さまは、まさに有縁の地涌の勇者であられる」 さらに、信仰の真髄を力説した。 「信心の世界にあっては、祈れば祈った分だけ、動けば動いた分だけ、語れば語った分だけ、『因果の理法』で、すべて自身の福徳となる。自分の境涯を限りなく広げていく。自分自身の『幸福』の軌道を固めていく。信心の世界には、まったくムダがない」 「だれが見ていようと見ていまいと、この『因果の理法』は厳然である。格好ではない。権威でも立場でもない。『心』である。『行い』である。これが大聖人の仏法である。“本物”の信心を貫いた人は、“本物”の福運を積むことができる」 高島由夏さん(鎌倉県、県総合女性部長)は参加者の一人。先生の指導を胸に、信心で幸福の実証をと誓った。 鎌倉で生まれ育った。面倒見のよい先輩たちから信心を教わり、“後継の人材に”と決意する。女子部(当時)時代、学会活動に全力で駆けた。 結婚後、2人の子宝に恵まれた。だが、試練が襲う。長女の由美さんが中学生の時、「外に出るのが怖い」と口にし、学校に行けなくなった。 部屋に閉じこもる日々。生活は昼夜逆転した。通信制高校に進学したものの、登校できたのは1日。娘の将来を思うと、高島さんの心を不安が支配した。 ひたすらに祈った。だが、状況は変わらない。それでも、夫の憲司さん(湘南総県、総県総合長)と、“宿命転換してみせる”と決意し、夫婦二人三脚で娘に寄り添った。 「学会活動からは絶対に一歩も退かない」とも決めた。自らが不安と格闘しながら、訪問・激励に全力を尽くす中、地域の友に弘教を実らせた。祈りと挑戦の日々は、薄紙をはぐように、変化をもたらした。由美さんは通信制高校を卒業し、社会人として働けるようになった。県池田華陽会サブキャップとして学会活動にも励む。“自分と同じ苦しみを味わった人の力になりたい”との夢も抱く。 長男の浩司さんは創価大学大学院を修了後、大手医療機器メーカーに勤務。総静岡学生部長として奮闘する。 今、家族がそれぞれ使命の道を進む。師匠への報恩の心で信心を貫く時、必ず一切の宿命を転換することができる――試練を勝ち越えた高島さんの絶対の確信である。 92年1月の合唱祭で、池田先生は強調した。 「前進する人には『希望』がわく。『勇気』がみなぎる。『張り』がある。『充実感』がある。『結果』も出る。だから楽しい」 師弟共戦の誉れの歴史を胸に、前進また前進を続ける鎌倉の同志。池田先生手作りの天地に、報恩の心熱き人材群が躍動している。 |