第23回 高知・南国市
25年11月23日
 

福徳あふれる「朗らか王」と
南国文化会館を訪れる前に、池田先生は青空に映える高知城に寄り、その雄姿を車窓からカメラに収めた(1990年11月28日撮影)


 「土佐のまほろば(美しく住みよいところ)」と称される高知県南国市。高知新港に近接し、高知龍馬空港を有する、全国と土佐を結ぶ玄関都市である。
 県下最大級の小蓮古墳や平安時代の歌人・紀貫之邸跡などの史跡が多く、長宗我部元親の居城があった岡豊山からは市内を望める。「アンパンマン」の生みの親・やなせたかし氏が多感な少年時代を過ごした地としても知られ、氏ゆかりの地が点在し、観光名所にもなっている。
 1990年(平成2年)11月28日、池田先生は南国市を訪問。午後3時半ごろ、南国文化会館に到着した。
 車を降りると、周囲の友に「いいところだね!」と。会館の敷地内にいた数組の親子を見つけると、即座に駆け寄り、幼い子どもたちを優しいまなざしで見つめながら語りかけた。
 「はじめまして、池田です。お会いできて大変にうれしいです」「いい顔しているね」「創価学園で待っているよ」
 南国の同志は、高知の城下町で伝統的に開催されてきた日曜市を模した設営を、駐車場に臨時で準備していた。そこには、地域の特産品がずらりと並んでいた。
 先生はその設営を指して、子どもたちに「さあ、みんなで行こう!」と声をかけ、一緒に向かった。役員として汗を流す同志たちには、「どうもありがとう」「みんないい人だ」と感謝を伝えた。
 その後、南国圏(当時)記念勤行会に出席し、懇談的にスピーチ。仏典に説かれる「金剛宝器戒」を通して語った。
 「金剛とはダイヤモンドのことである。ダイヤは、どんなものにも壊されない。ダイヤはあらゆる宝石より輝いている。宝石の王者である」
 そして確信を込めて訴えた。
 「この『信心』という『金剛宝器戒』を持った人は、何ものにも侵されない“金剛の幸福”の当体になる。だれが不幸にしようとしてもできない、何が起ころうとも崩れない“幸福のダイヤモンド”を、生命の“核”として固め、いだく人生となる」
 「一生涯、御本尊から離れず、一生涯、広布の王道から離れない。その信心に一切の戒も功徳も含まれている。幸福へのあらゆる知恵と、勝利へのあらゆる兵法が収まっている」
 田中孔一さん(高知牧口県、県長)は、この時の師匠との出会いが人生の原点だ。
 5人きょうだいの末っ子。戦後復興の余韻が色濃く残り、経済的に苦しい家庭が多かった。田中さんの家もそうだった。
 母に連れられて参加した座談会でも、宿命転換の途上の同志が多くいた。だが、会場は活気に満ちていた。
 母は池田先生の偉大さと信心の意義を、何度も何度も田中さんに語った。「今は貧しいかもしれない。だけど、信心をやり抜いたら、必ず充実した人生になる」。母の確信は、田中さんの胸に響いた。
 中学校卒業後、家計を助けたいと大工の道に進んだ。5年の修業を経て独立。3年ほどがたった78年(昭和53年)12月、先生が出席して行われた第1回「高知県男子部幹部総会」に参加。「御本尊から離れないこと、創価学会の組織から離れないことです。しがみつくようにしてついてくる。どんなに苦しくても、嫌であってもついてくる。その人が最後の勝利者になります」との指導を胸に刻んだ。
 1カ月休みなく働いて、ようやく生活ができるような状況が何年も続いた。それでも、愚直に学会活動をやり抜いた。
 やがて、期日を守る仕事ぶりと、不測の事態にも迅速に対応する誠実な振る舞いは評判を呼び、次々と好条件の仕事の依頼が舞い込むようになった。その信頼は、今なお厚い。
 「池田先生の指導を実践する中で、社会に貢献する充実した人生になりました。先生、そして先生の偉大さを教えてくれた母に感謝しかありません」
 師と母への報恩を胸に、地域を縦横無尽に駆ける。

信心強盛な人は最後に勝つ
 西原勝江さん(同、県女性部主事)も記念勤行会に参加した一人。夫の由昌さん(同、副支部長)との結婚を機に、夫の実家がある南国市に転居した。
 女子部時代、幾度も池田先生との出会いがあった。結婚の報告をした際、先生は「おめでとう、よかったね」と喜び、「信心強盛な人は最後に勝つんだよ」と、はなむけの言葉を贈った。この励ましが、西原さんの指針となった。
 第1子の長男は低出生体重児として生まれた。医師から脳障害や低視力となる可能性を告げられた。“今こそ宿命転換の時”と決め、御本尊に強盛に祈り続けた。近所の婦人部の友が、一緒に祈ってくれることもあった。その真心に、創価家族の温かさを心から実感した。
 長男は試練を乗り越えたが、今度は夫に宿命の嵐が襲いかかる。若い頃からの網膜色素変性症が進行し、30代から白内障になった。水質や地質の調査を行う仕事をしながら、高知医科大学(当時)で細胞に関する研究を続けていた夫は、病と闘いながら論文を執筆。10年かけて、医学博士号を取得した。
 だが、その後も視力低下は進んだ。収入は減り、生活は苦しくなった。西原さんは夫と2人の子どもの面倒を見ながら、アルバイトをして生活費に充てた。師の南国文化会館訪問は、その苦しい渦中だった。
 勤行会の折、先生は語った。
 「“朗らかに”人生を生き抜いていただきたい。簡単なようで、実はそこに信心の一つの要諦がある。幸福を呼び寄せる大切な秘訣がある。“朗らか”の中には、強さがある。賢明さがある。豊かな心情もある。“芯”の通った人格の輝きもある」
 「幸、不幸を決めるのは、環境ではない。人間である。自分自身の境涯である。弱き人は、幸福そのもののような環境でも『不幸』を感じる場合がある。強き人は、不幸そのもののような悩みの境遇のなかから、金剛のごとき『幸福』を打ち鍛え、つくり出すことができる」
 先生の一語一語に、西原さんは心の底から勇気が湧いてくるのを覚えた。“朗らかに進もう”と誓った。
 家族を支えながら、2003年(平成15年)から市議会議員を3期12年務めた。引退後は、保護司などを担い、地域のために尽くしてきた。
 長男は高知大学、次男は創価大学を卒業。それぞれ使命の道を進む。夫は50代で失明したが、朗々と題目を唱え、充実の日々を送る。西原さんはエールを送ってくれた方々への感謝を胸に、地域貢献に励む。
 その人生の歩みは、「信心強盛な人は最後に勝つ」との師の指針を証明している。
 ――南国圏記念勤行会の折、先生はスピーチの最後で、こう強調した。
 「皆さまこそ『金剛宝器戒』を持った“金剛の境涯”の人である。福徳あふれる『朗らか王』として、きょうの快晴のごとき『朗らか王国』を、四国の天地に築きゆく使命の人である」
 先生の南国訪問から35星霜。友は自らの境涯を開く人間革命の大道を勇んで進み続ける。