第22回 福井
25年10月12日
 
歓喜に包まれた凱歌宣言
 北陸新幹線の延伸で、東京からのアクセスが向上したJR福井駅。改札を出て少し歩くと、迫力ある多彩な恐竜のモニュメントが出迎える。
 福井は、日本で発掘された恐竜化石の約8割が出土していることから、「恐竜王国」とも呼ばれる。整然とした街並みの先には、足羽山や九頭竜川の豊かな自然が広がり、子どもから大人までを魅了する、歴史と自然が調和した地である。
 宗門の悪僧らが理不尽な学会攻撃を繰り返した第1次宗門事件。福井は秋田や大分とともに、その激震地だった。1979年(昭和54年)9月、池田先生は福井青年部のリーダーに電話をかけ、語った。
 「仏法は勝負だ。正義は必ず勝つ! 10年後には、はっきりするよ!」
 その後も、悪僧たちの罵倒が続いた。だが、師の渾身の激励を胸に、福井の同志は人材育成と広布拡大に邁進した。
 11年がたった90年(平成2年)10月22日、池田先生は完成間もない福井文化会館を訪問。夜、石川と富山の友も参加して行われた「日本海3県合同総会」に出席した。先生は訴えた。
 「この10年、険しき苦難の峰を乗り越えてこられた福井の同志の方々を、私は最大にたたえたい。『皆さまは見事に勝ちました!』と」
 師の宣言に、会場は歓喜の大拍手に包まれた。この日はのちに、「福井『凱歌宣言』の日」と制定された。
 先生は同総会で、「全部、自分で決まる。自分の『一念』で、一切が180度、違う顔を見せてくる」と述べ、こう続けた。
 「幸、不幸を決定する、この『心』に、限りない『強さ』と『知恵』をわき出させていくもの――これが妙法の信仰であり、私どもの日々の実践なのである」
 金沢安代さん(福井常勝圏、女性部本部長)は、「10・22」が自身の原点だ。
 4人きょうだいの長女。幼い頃、妹の病のため、母は病院通いの毎日。家計は苦しかった。家庭環境を嘆き、自分は不幸だと思うようになった。
 そんな自分が変わる出発点となったのが中学生の時。未来部の代表として参加したのが、日本海3県合同総会だった。その折、池田先生に未来部のメンバーがあいさつする機会があった。先生は、じっと一人一人の顔を見つめて、「将来が楽しみだね」と語った。
 この時が初めての師との出会い。先生の励ましは、金沢さんの心を温かく包んだ。
 “先生は全部、分かってくださっている”。そう思うと、それまでの卑屈な気持ちが晴れていくように感じた。
 「自分を卑下しない」「人や環境のせいにする弱い心を克服する」――願いを具体的に一つ一つ紙に書き、唱題を重ね始めた。人間革命の挑戦は、自分を強くしていった。
 金沢さんは福井総県女子部長(当時)を務め、女子部時代に9人に弘教を実らせた。その後、夫の正行さんと結婚。数年にわたる不妊治療を受け、2人の子どもを授かった。
 しかし、想像もしなかった試練に襲われる。2014年(平成26年)、2人目の子どもが生まれた半年後、圏長として奮闘していた正行さんが胃がんを患う。「絶対に大丈夫」と夫婦で語り合いながら闘病を続けた。だが翌15年(同27年)、正行さんは霊山に旅立つ。
 最後まで弱音を吐かずに病と闘い続けた正行さん。夫の姿に、金沢さんは「絶対に負けない」と誓う。2人の幼子を抱えながら、学会活動に挑戦した。
 あれから10年。子どもたちは朝晩の勤行を実践する未来部員に成長した。金沢さんは、産婦人科クリニックで働きながら、女性部本部長として友の励ましに奔走する。その胸中には、「将来が楽しみだね」との師の言葉が、今も響いている。

「みんな来ていたの! おなかすいていない?」。1990年10月22日、福井文化会館に集った未来部の代表を温かく激励する池田先生。一人一人にとって、この日が大きな原点に。メンバーは勝利の人生を誓い、出発した                
沸き上がる、行進と喝采の響き
 “凱歌宣言”の翌日の10月23日もまた、福井広布史に刻まれる日となった。池田先生の来訪を知った友が会館に集まり、そのことを聞いた先生の提案で、勤行会が開催されることになった。席上、先生は語った。
 「御本尊への祈りは、絶対に叶う。因果俱時(原因と結果が同時に一念にそなわっていること)で、祈りきった時に、すでに根底では叶っているのである。ただ、表面的には、すぐに結果が表れない時が多々あるであろう。その場合も、必ず何らかの深い意味がある。そのことは長い目で見れば、後で必ずわかってくるものだ」
 そして冥益について、次のように語った。
 「皆さまは、生命の成仏の種子を植え、育てている方々である。時きたれば、必ずや、豊饒な実りの枝を広げていくことは間違いない。想像もしなかったような大満足の秋を迎える。これが冥益である」
 勤行会の終了後も、先生は出会った友に励ましを送った。南部誠一さん(福井総県、副総県長)も、この時に先生と出会いを結んだ一人だ。
 当時、妻・幸子さん(同、総県女性部総主事)は県婦人部長として、福井中を駆け回っていた。南部さんは教員として働く一方、幸子さんが広布の最前線で安心して同志に尽くせるよう、自らも友の激励に奔走しながら支えてきた。
 先生は南部さんに会うと、「あなたが偉いんです」と繰り返し述べ、「君のことは忘れません」と語った。
 南部さんは1969年(昭和44年)、22歳の時に入会。母の病を治したいとの一心からだった。その後、母は病を克服し、信心の確信を深めた。
 大学卒業後、教職の道へ。小学校教員として奮闘を重ねた。視聴覚教育の研究に取り組み、その実践報告の素晴らしさから、NHKテレビやラジオに出演した経験もある。
 97年(平成9年)、校長の採用試験に合格。南部さんから手紙で喜びの報告を受けた先生は、「こんなうれしいことはありません」と伝言を送った。
 校長になってからも、「子どもにとって最大の教育環境は教師自身である」との師の指針を胸に、教育の向上に取り組んだ。2009年(同21年)9月には、視聴覚教育・情報教育における功績が高く評価され、文部科学大臣表彰が贈られた。
 定年退職後、それまで積み重ねた信頼から、請われてさまざまな仕事に従事した。78歳の今も医療関連の会社に勤める。
 長女の茂呂綾子さんは女性部本部長、次女の山村清子さんは支部女性部長として活躍。孫も後継の道を進む。そのことが、南部さんの何よりの喜びだ。
 ――池田先生はかつて、福井の同志を心からたたえ、随筆につづった。
 「私には聞こえる! 朗らかな福井の同志の敢闘に、あの地、この地から、潮のごとく沸き上がる、行進と喝采の響きが!」
 地域の繁栄を願い、自他共の幸福に尽くす友の真心の行進は、福井の大地を潤している。