第21回 宮崎・都城
25年9月19日
 
「福徳永遠の都」「民衆勝利の城」を

1991年2月12日、都城文化会館で開かれた都城・小林圏の記念勤行会に池田先生が出席。ロマン薫る素晴らしき地で、広布拡大と地域貢献に励む友を心からたたえた

 宮崎県の南西部に位置する都城は、県内2番目の広さ。島津家発祥の地として知られる。
 肉用牛、豚などの畜産農業産出額が日本一を誇る畜産のまち。芋焼酎「黒霧島」の産地であり、伝統工芸品の「都城大弓」「都城木刀」も有名だ。
 南九州における産業・経済・教育・文化の中心的役割を担う「南九州の広域交流拠点都市」としてのまちづくりが期待されている。
 この地を池田先生が初めて訪れたのは、1972年(昭和47年)9月8日。鹿児島から霧島の山々を越えて都城へ向かい、都城会館(当時)に到着した。
 先生は車から降りると、「宮崎は良いところだ。世界一良いところだ。空気もいいし、水もきれいだ」と述べ、「都城は、“都の城”といって世界で最高に平和な土地だ」と語った。
 その後、代表のメンバーと懇談。「どのような苦難があったとしても、一つ一つ乗り越えていくところに、人生の思い出と生命からの歓喜が刻まれていく」と訴えた。
 帰途には関之尾滝を視察。出会った男子部員に和歌を贈った。2時間ほどの滞在だったが、都城の友の忘れ得ぬ原点となった。この日は今、「宮崎の日」となっている。
 先生が再び都城を訪れたのは、91年(平成3年)2月12日。午後、三股町の都城文化会館に到着した。
 記念植樹の後、都城・小林圏の記念勤行会に臨んだ。久方ぶりの再会に、先生が「まこちうれしい(本当にうれしい)」と方言を交えて喜びを伝えると、参加者の笑顔が広がった。
 さらに御書の「名は物をめす徳あり、物は名に応ずる用あり」(新579・全499)――名は物を呼び寄せる徳があり、物は名に応ずる働きがある――との御聖訓を拝し、「『都の城』の皆さまは、その名のままに、この地に、“福徳永遠の都”“民衆勝利の城”を築いていっていただきたい」と望んだ。
 また都城が、弓と木刀の産地として名高いことを踏まえ、こう訴えた。
 「信心の弓を満々と引きしぼって、具体的な祈りを一つ一つ成就させていただきたい。また、勇気の利剣、知恵の太刀をもって、一切の障魔を断ち切っていただきたい。そして、難攻不落の広布の城を皆の力で守り抜いていただきたい」
 都城圏婦人部長だった加賀幸子さん(宮崎戸田県、県女性部総主事)は、感極まる思いで池田先生の指導を胸に刻んだ。
 信心を始めたのは22歳の時。座談会に参加し、人生の師を抱き、躍動する学会員の姿に驚いた。自分の求めていた生き方はこれだと確信した。
 69年(昭和44年)8月、教育部の夏季講習会に参加。記念撮影の折、加賀さんは師の姿を見ると、「先生!」と叫んだ。その声に反応した先生は歩み寄り、「頑張るんだよ。みんな応援しているよ」と励ましを。この出会いが、広布に生き抜く誓いを深めた。
 加賀さんは、保育士として働きながら、学会活動に挑戦。熱心な姿に、未入会だった母も支えてくれるようになった。
 その母が90年(平成2年)7月、病で急逝した。突然のことに、現実を直視できない日もあった。母の追善を祈念する中で、都城広布の拡大を改めて決意し、少しずつ悲しみを乗り越えていった。先生を都城に迎えたのは、その激動の時だった。
 あれから34年。加賀さんは80歳の傘寿を迎えた。これまでに35世帯の弘教を成就した。今、地域の活動に力を注ぎ、友人との交流を重ねる。その胸には、先生が自ら歩み寄り、励ましを送ってくれた感謝と決意が、赤々と燃え続けている。
 
私とともに 同志とともに
 都城・小林圏の勤行会を終えると、池田先生は小田賢一さん(同、副圏長)宅を訪れた。小田さんの父・国雄さん(故人)一家を激励するためである。
 国雄さんは都城の初代地区部長を務めた功労者。入会のきっかけは小田さんの病気だった。5歳の時にポリオを発症し、松葉づえ生活を強いられた。
 国雄さん夫婦は生活が困窮する中、学会員の確信に触れ、仏法の門をたたいた。勇んで広布に尽くす父母の姿に、小田さんも信心の確信を深めた。
 一家は家の前で先生を出迎えた。先生は「みんな幸せになるんだよ」「家族仲良くね」と声をかけた。一家にとって、永遠の師弟の原点となった。
 小田さんは創価大学に1期生で入学。卒業後、父が起こした会社を継いだ。不自由な身体をものともせず、現場に立ち、顧客の信頼を築いた。
 1999年(平成11年)2月28日、宮崎研修道場での創価同窓生との記念撮影の折、先生は最前列に立つメンバーと握手を交わした。小田さんの前に止まると、「分かっているよ。分かっているよ。分かっているよ」と3回口にしながら、松葉づえを支える左腕を3回たたいた。
 小田さんは感動で言葉に詰まった。これまでの苦労が一気に思い起こされた。人に言えないつらさを何度も味わった。しかし、先生の励ましに胸のつかえがとれた。“先生が分かってくださっている。それで十分だ”と心の底から思えた。
 現在、会社は弟が引き継ぎ、地域有数の企業に発展。小田さんは妻・美恵子さん(同、支部女性部長)の献身的な支えを受け、地区部長として奮闘する。加齢とともに体調が優れない時も増えたが、「絶対に負けない」と、強き祈りから日々をスタートさせる。
 91年の勤行会の結びに池田先生は語った。
 「尊き一生である。かけがえのない人生である。幸福になっていただきたい。幸福になるには、惑ってはならない」
 「これまでの仏道修行の功徳が花開くのは、これからである。いよいよの信心で、いよいよの決意をもって、御本仏につつまれた学会員の誉れを抱きしめ、一生涯、私とともに、学会の同志とともに、仲良く『広宣流布の大道』を進んでいっていただきたい」
 都城に先生が広布の第一歩を刻んで53年――。都城の友は、幾多の苦難を勝利に転じてきた。この地には師弟共戦の歓喜の歴史が継承され、「“福徳永遠の都”“民衆勝利の城”を」という指針が揺るぎなく息づいている。