| 第19回 北海道・苫小牧 25年7月31日 |
心美しく、心強き人に![]() 1990年7月9日、苫小牧平和会館(当時)を初訪問した池田先生。友の「和楽」「長寿」「多幸」を祈念した後、「この地で『幸福の金字塔』『人間勝利の金字塔』を見事に建立していただきたい」と念願した 北海道・苫小牧市は、世界の大切な湿地を守るラムサール条約に指定されたウトナイ湖や、溶岩ドームを持つ樽前山など、豊かな自然に囲まれる。古くから製紙業を中心とした工業都市として発展を遂げてきた。 1954年(昭和29年)8月13日、池田大作先生は、この地を初めて訪れた。第2回の夏季地方指導のため、恩師・戸田城聖先生の故郷である北海道に第一歩を刻んだ折のことである。 10日、千歳飛行場(当時)に到着すると、戸田先生は函館、小樽などを激励に回る。池田先生は札幌で、広布拡大の指揮を執った。 13日、池田先生は友の懇請に応えて、支笏湖畔東部にある苫小牧の集落に足を運ぶ。交通の便は悪く、バスに揺られて3時間を要した。 学会員の縁者の家で、10人ほどの新来者が集い、座談会が開かれた。皆、仏法の話を聞くのは初めて。先生は、一人一人の話に耳を傾けながら、信心の必要性を情熱を込めて語った。その確信の訴えに、全員が入会を決意。苫小牧広布に新生の太陽が昇った瞬間だった。 この初訪問から36年を経た90年(平成2年)7月9日、先生は苫小牧を訪問。84年(昭和59年)に完成した苫小牧平和会館で同志を励ますためである。 会館に到着後、花々で彩られた庭園を歩き、「みんな、どうも。しばらくだね」と声をかけた。館内では、青年部が制作した“苫小牧の未来”を表現した展示を見ながら、「苫小牧は、これから開ける町だね。もっともっと発展していく所だね」と語った。 その後、勤行会が行われた。先生は万感の思いを述べた。 「いつの日か、訪れたいと思っていた苫小牧。その夢が叶い、本当にうれしい。私は、本日の皆さまとの出会いを、生涯忘れることはないでしょう」 苫小牧は、「不老長寿の果実」と呼ばれるハスカップの自生地として知られる。やせた土壌でも力強く育ち、美しい花を咲かせ、実を付ける。先生は、その姿に触れて訴えた。 「可憐ななかにも力強い生命力を秘めたハスカップ。そのハスカップに飾られた苫小牧の地に生きる皆さま方である。どこよりも心美しく、心強き一人一人であっていただきたい」 勤行会に参加した安藤邦夫さん(太平洋総県、副総合長)は、その時の感動が今も胸に鮮やかだ。先生は、青年部に厳然と語った。 「火花を散らすような峻厳なる攻防戦を勝利せずして、どんなに活躍している格好を見せても、もはや遊戯にすぎない。“進んでいる”のではなく“踊っている”だけである。特に青年部に、このことを強く言っておきたい」 この言葉を胸に刻み、安藤さんは正義の対話拡大に挑み、地域に尽くす人生を貫いてきた。 高等部時代、北海道鳳雛会の2期生として薫陶を受けた。当時、言論・出版問題が勃発し、学校に週刊誌を持って来て学会の悪口を言う同級生がいた。 悔しい気持ちをばねに、勝利の実証を示そうと、唱題と猛勉強を開始し、国立大学に進学を果たした。卒業後、市役所に勤務する。仕事と学会活動に全力の日々を送った。 89年(平成元年)3月、これまでの思いを記した手紙を池田先生にしたためた。後日、先生から書籍が届いた。表紙を開くと「偉大なる挑戦王の君に 永遠の栄冠あれ」と記されていた。 結婚後は、妻の百合子さん(同、圏副総合女性部長)と二人三脚で苫小牧広布に駆けた。その中で、百合子さんに卵巣嚢腫が見つかり、卵巣の大半を摘出する。 襲いかかった試練に負けず、安藤さん夫婦は、宿命転換をかけて信心の戦いを新たに開始した。自他共の幸福を祈り、仏法の素晴らしさを語り歩いた。 安藤さん夫婦は3人の子宝に恵まれた。3人とも、創価大学に進学を果たす。今、それぞれ使命の舞台で奮闘を重ねる。 人生の栄冠は、偉大な挑戦があってこそ輝く――先生の言葉を抱き締め、安藤さんは「挑戦王」との気概で、広布の道を進み続けている。 1994年8月、池田先生は新千歳空港から青森へ向かう際、機上からシャッターを切った。眼下に北海道の雄大な大地と海が広がる。澄み渡る空からは、陽光が燦然と大地を照らしていた 人間勝利の金字塔を 福士誠子さん(同、女性部総主事)も、苫小牧平和会館で行われた勤行会に参加した一人。 5歳の時、一家で入会。広布の会場だった自宅には、いつも多くの同志が集まった。信心強盛な父母の背中を見て育った福士さんは、自然と“将来、私も広布のお役に立つ人に”との夢を描いた。 結婚後、苫小牧に転居。90年の池田先生来訪は、支部婦人部長(当時)として、友の励ましに駆け回っていた時だった。 同志と共に、本紙の購読推進に励んだ。縁した友人には、本紙の内容を知ってもらいたい、と記事を紹介した。 その後、婦人部本部長、圏婦人部長、県婦人部長、総県婦人部長を歴任し、友の幸福に尽くしながら、広布拡大に奔走してきた。 2021年(令和3年)5月3日、総県女性部総主事に。新たな挑戦を決意し、毎年100ポイントの本紙の購読推進を掲げた。3年連続で目標を達成した。 その3年目の23年(同5年)、体調の異変を感じた。10月、病院で診断を受けた。末期の腎不全だった。医師からは“この先、体力が衰え、車椅子生活になる可能性があります”と告げられた。 長年、てんかんを患っていた夫の一男さん(同、副支部長)を支えてきた。自分が大病を患うとは思いもよらなかった。 だが、福士さんの心が揺らぐことはなかった。あの苫小牧での勤行会の時、先生は語った。 「人生には、さまざまなことがある。思いどおりにいかない場合も多い。しかし、それにくじけてはならない。心の持ち方一つで、どうにでも生きることができる」 「『勝利』といっても、人生には、さまざまな段階がある。また、今は、苦闘のさなかの方もいらっしゃるにちがいない。それでよいのである。大切なのは『最後に勝つ』ことである。そのために、信心を貫くことである」 福士さんは「一家一族の宿命転換の時だ」と決め、前を向いた。週3回の透析をしながら、学会活動にも挑戦した。 地域貢献にも取り組んだ。町内会の活動に尽力し、市から2度の表彰を受けた。周囲からの信頼は厚く、昨年から新たに町内会の女性部長を担う。 また、10年以上も前から、子ども食堂の運営に携わってきた。今も友人たちと家族の協力を得ながら、活動に汗を流す。 闘病は続く。手がしびれる時もある。それでも、福士さんは広布の歩みを止めない。勤行会の時、先生が「信心の強い人が、もっとも偉く、もっとも強い人なのである。どうか、みずからの使命の場所で、偉大なる信仰と、偉大なる自分自身に生きぬき、“私は勝った。大満足だ”と言える、偉大なる勝利の人生を飾っていただきたい」と語ったからだ。 福士さんは家族への感謝を胸に、誓いの人生を歩み抜く。 ――17年(平成29年)、苫小牧平和会館は規模を拡大して、新たな装いでオープンした。人間勝利の金字塔が、きょうも苫小牧の地で打ち立てられている。 |