第18回 栃木・宇都宮
25年7月4日
 
仏法正義の燦たる証明者に

1986年9月15日、栃木広布40周年を記念する栃木県支部長会に出席した池田先生。広宣流布の無上道の人生を歩む友を心から励ました(栃木平和会館で)

 関東平野の北端に位置する、栃木県の県都・宇都宮市。古くから東北と江戸を結ぶ交通の要衝として発展を遂げてきた。
 2007年(平成19年)3月、上河内町、河内町の2町と合併し、北関東初の50万都市に。都市機能が集約する栃木県の政治・経済・文化の中心地である。
 23年(令和5年)8月、全国初となる全線新設の次世代型路面電車「LRT(ライト・レール・トランジット)」が誕生した。交通利便性の向上などに大きな注目が集まり、市の象徴となっている。
 1961年(昭和36年)1月18日、池田先生は第3代会長就任後、初めて栃木を訪問。宇都宮支部の結成大会に出席した。
 当日までに降った雪の影響などで会場周辺の道路は凍結していた。男子部の運営役員は、氷を割るなど、無事故の運営に細心の注意を払った。
 開会前、先生は役員を激励。“寒い中、本当にありがとう。学会を陰で守ること。これが一番大事なんです”と声をかけた。
 結成大会で、先生は語った。
 「皆さん方は、誰人からバカにされようが、批判されようが、絶対なる確信をもって、論より証拠、このように幸せになったではないかと、証明し切っていただきたい」
 この「1・18」から、宇都宮広布の本格的な前進が始まる。それから25年がたった86年(同61年)4月、宇都宮に栃木平和会館が落成。そして、同年9月15日、池田先生を迎えて、栃木県支部長会が開かれた。
 この日を目指し、友は「ブロック1」の弘教に挑戦。支部長会は拡大の喜びに包まれた。
 先生は、栃木出身の作家・山本有三氏の作品に言及。『真実一路』の「その日、その日の帳あいは合っていても、私はもっと大きな帳あいを知らずに過ごしてきた」との一節を通して、強調した。
 ――私どもは「広宣流布」という偉大な目的がある。「もっと大きな帳あい」をもちながら、法のため、人のために、最高に充実した尊き人生を生き抜いていける。さらに、日々の小さな努力の「帳あい」を合わせ、すべてを最大に生かし、輝かせていくことができる、と。
 役員だった野澤優子さん(総栃木女性部総合長)は、支部長会終了後、先生が同行の友に改めて、その日その日の「帳あい」を合わせるのと同時に、自分の人生をかけた「帳あい」を持つことが大切である、と語っていたことを聞いた。「広宣流布」という大願に生き抜こうと決めた瞬間だった。
 野澤さんは小学5年生の時、先生と初めて出会った。「何かあったらお題目だよ」との言葉を胸に刻み、勉学に励んだ。
 創価大学で数々の青春の思い出を刻んだ。卒業後、栃木県に戻り、学会活動に奔走した。
 創大出身の夫・重房さん(宇都宮戸田県、県総合長)と結婚してからは、夫婦二人三脚で、栃木広布に駆けた。
 だが、宿命の嵐が野澤さんを襲う。大病を患った。命の危機を感じる中、重房さんの「大丈夫だ」との言葉に支えられ、闘病を乗り越えた。
 2013年(平成25年)、夫婦に再び試練が襲う。重房さんが会社でリストラの対象となった。「社会で実証」を信念として仕事に励んできただけに、重房さんの落胆は大きかった。
 50歳を過ぎての就職活動。夫婦で祈り、学会活動に挑戦して8カ月。宇都宮に本社を構える上場企業に再就職した。
 2人の子どもも創価大学を卒業。長男の秀樹さんは教員として教育に情熱を注ぐ。次男の健太さんは建設会社で奮闘する。
 「広宣流布」という偉大な目的に生きることが、自らの人生を勝利へと開く――幾つもの苦難を乗り越えてきた野澤さんの確信である。
 
いかなる変化も追い風として
 池田先生が栃木に残した足跡は16回を数える。最後の訪問となったのは、1995年(平成7年)6月である。
 「やっと来られたよ!」――11日、栃木平和会館を訪れた先生は翌12日、栃木・茨城の合同最高会議、代表協議会に出席。代表協議会で“日本一、人柄のよい栃木”の広布拡大を讃えた。
 その会合に参加した上野毅さん(副総栃木長)は、「この日が私の原点です」と語る。
 上野さんは当時、婦人服店を経営しながら、栃木県男子部長として奔走していた。仕事面では、バブル崩壊後のあおりを受け、思うように売り上げが伸びず、経営難に直面していた。
 先生は上野さんの顔を見ると、「仕事はどうなの?」と尋ねた。「なんとかやっています」と答えるのが精いっぱいだった。
 店では高級な婦人服を扱っていた。そのことを聞くと、先生は「皆が喜ぶものを置くんだよ。皆が買いやすいものを置いてはどうか」と語った。
 上野さんは、ハッとした。商売である以上、「高い・安い」に目がいく。だが、先生の視点は「客が買いやすいもの、喜ぶもの」だった。上野さんが見失いかけていた視点だった。
 妻の裕子さん(宇都宮牧口県、地区副女性部長)と相談し、客が「買いやすい」「喜ぶ」商品を探した。
 商品の見せ方も工夫した。新たな試みの、手頃な均一価格の商品は、大人気になった。
 店を開く前は、剣道の指導員としてフランスにいた。80年代の先生の3回のフランス訪問では、役員として、同志に尽くす師の姿を心に刻んだ。
 87年(昭和62年)、帰国することが決まると、先生は上野さんに和歌を贈った。
 「創大乃 翼をひろげて 夫婦して 此の世 勝ちとれ いづこの国でも」
 帰国後、妻の実家が営んでいた婦人服店を受け継ぎ、新装オープン。今は自社ビルを構えるまでになった。また、フランス語教室を主宰し、日仏友好の架け橋となる人材育成にも励んでいる。

 ◆◇◆ 
 95年6月11日から始まった栃木での激励行。16日までの滞在の間、先生は「世界の希望 伸びゆく栃木」との指針を贈るなど、励ましを送り続けた。
 栃木・茨城代表協議会の折、こう強調した。
 「『変化の時代』である。だからこそ『知恵の時代』と決めて、勝利していかなければならない。学会も『知恵』で進む。いかなる変化をも追い風として、悠々と、また喜々として、まっすぐにわれらはわれらの道を進んでまいりたい」
 「“一人の人間がどれほど偉大な力をもっているか”。これを証明するのが仏法のテーマである。その燦たる証明者の人生であっていただきたい」
 先月、師との原点から30年を迎え、清新な誓いで師弟の月・7月を進む栃木の同志。「一人の人間」の力を証明する立正安国の戦いに勇往邁進する。