第17回 静岡・富士宮
25年5月23日
 
世界で最初の広布の天地に

1987年5月8日、池田先生は、富士宮圏(当時)の第1回幹部会に出席。会場後方に座っていた未来部員たちを前方に招き、一人一人に声をかけながら、懇談的にスピーチした(富士宮国際文化会館〈当時〉で)

 「世紀の 貪婪なる火宅の中に 虚飾なく佇み 駁説に怖じぬ われ 遥かなる富士を讃う」
 1950年(昭和25年)1月、若き池田先生が詠んだ「富士に祈る」と題する詩の一節だ。
 この年、恩師・戸田先生の事業が苦境に立たされる。だが、恩師は泰然自若としていた。何があっても動じない、大山のごとき恩師を思い、池田先生は詩を詠んだのである。
 富士の峻厳な山容を間近で仰ぎ見ることのできる静岡・富士宮市。折々に富士を詠んだ先生は、富士宮の地でも、友と共戦の歴史を刻んできた。
 平野直枝さん(総静岡女性部総主事)は、73年(同48年)に家族で東京から富士宮に転居した。夫の惠万さん(故人)と共に、この地で広布に駆けた。
 池田先生が僧俗和合を願い、心を砕く姿を、平野さんは幾度も目にした。その赤誠の外護に、宗門の悪僧たちは感謝すらしなかった。
 87年(同62年)5月8日、富士宮圏(当時)の第1回幹部会が富士宮国際文化会館(現・富士宮池田文化会館)で行われた。
 先生は、会場の後方にいた未来部の友に「前へいらっしゃい」と声をかけ、温かく励ました。友は、この原点を胸に成長を重ねた。今、各人がそれぞれの広布の使命に邁進する。
 幹部会で、先生は語った。
 「富士宮こそ、世界で一番最初に『広宣流布の天地』を実現していく使命と責任がある」
 「皆さま方は、不思議にも縁あって、この地で活躍している使命深き方々である。富士宮の広宣流布は、富士宮の皆さま方に託す以外にはない。どうか、広布の精神を、どこの地よりも深く体し、透徹した学会精神ともいうべき信心で、広宣流布と常勝の実証に輝く国土を築き上げていっていただきたい」
 この幹部会は毎月、開催されることになった。池田先生の提案である。以来、幹部会を毎月の勝利のリズムとして、富士宮の友は破邪顕正の言論の先頭に立ってきた。また、先生が後継の友を激励した心を継ぎ、未来部を育む場ともしてきた。
 翌88年(同63年)3月1日、同会館で行われた第11回幹部会で、先生は富士宮の地の重要性を語り、輝く広布の歴史を築いていくことを呼びかけ、スピーチを結んだ。師が寄せる絶大な信頼を、平野さんは深く心に刻んだ。
 第2次宗門事件が勃発した翌年の91年(平成3年)8月、惠万さんが心筋梗塞で倒れた。入院中、先生から何度も伝言が届いた。
 ある時は、「戦ったから、転重軽受したんだよ」。またある時は、「来年3月まで、絶対、無理をしてはいけない」「一番寒い1月、2月は気をつけなさい」と。微に入り細をうがつ励ましだった。
 同年9月22日、ハーバード大学からの招へいでアメリカへ出発する朝、先生は平野さん夫婦に句を詠んだ。
 「花見つめ 夫妻を見つめて 広布旅」
 句がしたためられた和紙の右下には、香峯子夫人が彩色を施した花の絵が添えられていた。世界広布の激務の中にあっても、一人に心を配る師の慈愛に、夫婦は“断じて宿命転換してみせる”と固く誓った。
 その後、病を克服した惠万さんは、宗門との攻防戦に力を尽くす。一昨年、88歳で生涯を閉じるまで、同志と共に創価の正義を語り抜いた。3人の子どもは、広布の第一線で活躍する。
 平野さんは富士宮家族の心を語る。
 「池田先生の励ましなくして、私たちの人生はありません。生涯、報恩の道を歩み抜いていきます」

不動の富士のごとく、嵐を見下ろし堂々と!――池田先生が香峯子夫人と共に(1988年12月、静岡・富士宮市で)
 
威風堂々と勝ち栄えゆく
 90年(平成2年)12月、僧俗差別の本性を露呈した宗門は、一方的に池田先生を法華講総講頭から罷免。翌91年(同3年)11月、「破門通告書」なる文書を学会に送付してきた。
 それは、広宣流布を実質的に進める創価学会から、宗門が自ら離反し、日蓮大聖人の精神から逸脱したことを示すものにほかならなかった。
 98年(同10年)、宗門は、20世紀最大最高の宗教建築といわれた正本堂を破壊。800万人の信心の結晶を壊し、その真心をいとも簡単に踏みにじった。
 宗門の数々の暴挙に怒り、正義の声を上げ続けた富士宮の友。山崎好信さん(富士正義県・県主事)は、メンバーのもとを訪れては、「学会と一緒に進んでいこう」「池田先生と共に戦おう」と訴えた。
 山崎さんは法華講員として育った。葬式やお盆の行事に関わることはあったが、信仰心が深まることはなかった。
 その山崎さんが、入会したのは26歳の時。母親と一緒に、創価の門をくぐった。
 男子部の先輩から、広布の使命に生きる大切さを教わった。学会活動に励む中で、自らが成長する喜び、同志と励まし合う喜びを実感した。その歓喜が信心の確信を深めた。
 山崎さんは、87年の第1回幹部会で先生が語った“富士宮を世界で一番最初の広布の天地に”との言葉を、片時も忘れることなく、広布拡大に挑んだ。
 2010年(同22年)、勤めていた会社を定年退職し、地域の老人クラブ活動を始めた。グラウンドゴルフや環境美化などの活動を通して、地域との絆を強めた。
 山崎さんの気さくで明るい人柄、誠実な行動は、周囲から高く評価された。2年前の23年(令和5年)、6万人近い会員が所属する静岡県の老人クラブ連合会の会長に抜擢された。
 地域に尽くす喜びを胸に、信頼の輪を広げる山崎さん。師の指導を実践する中で培われた献身の生き方は、多くの人に希望を送っている。

 ◆◇◆ 
 毎月の幹部会を節目として、前進を重ねてきた富士宮の友。2016年(平成28年)11月、350回目の幹部会が開かれた折、池田先生は感謝と祝福のメッセージを寄せた。
 「正義の富士宮の勇気と忍耐と執念の大闘争あればこそ、わが学会は、一切を勝ち切ることができました。ありがとう! 本当にありがとう!」
 「極悪と戦い抜いた極善の富士宮家族は、無量無辺の大善根を積まれました。未来永劫にわたって、一家眷属が厳然と守りに護られ、威風堂々と勝ち栄えゆかれることは、断じて間違いありません」
 「愛する富士宮、万歳! 創価の仏の特区に、永久の栄えあれ!」
 今月11日には、通算400回目の幹部会が行われた。友は、「一番最初の広布の天地」を築く決意を新たに出発した。
 師を求め、師への誓いに生き抜く人生に、行き詰まりはない。友の尊き師弟共戦の広布のドラマを、富士はいつも見つめている。

「一人も残らず幸福に」と、池田先生は後継の友の成長を願い、語りかけた(1985年7月、富士宮市の白糸研修道場<現・白糸会館>で)