第15回 山梨・甲府 25年3月21日 |
![]() 1985年3月11日、甲府市の山梨文化会館(当時)で行われた山梨県記念支部長会に池田先生が出席。「全世界を国土世間としていくような気宇広大な境涯、気持ちで、大きく未来に開いた前進、活動であっていただきたい」と望んだ 難攻不落の人材の“城”を 山梨県の甲府は、富士山や南アルプスの山々に囲まれ、春には桜や新緑が一帯を美しく彩る山紫水明の地である。盆地特有の地形を生かし、果物栽培も盛んだ。 リニア中央新幹線の山梨県駅は、甲府市に設置される予定。完成すれば、東京や名古屋へのアクセスが容易になり、人や物の往来が活発化することが期待される。未来性あふれる地域である。 1960年(昭和35年)11月9日、池田先生は甲府を訪問。山梨に初めて誕生した甲府支部の結成式に臨んだ。清新な息吹にあふれる約4000人の友に、先生は烈々と訴えた。 「学会だけが、誰も救済の手を差し伸べなかった民衆のなかに分け入り、人びとに勇気と希望を与え、実際に、幸福の道を開いてきました」 「その最前線で戦ってこられた皆さんこそ、仏の使いであり、いかなる地位や肩書をもった人よりも尊く、偉大な指導者であると、私は申し上げたい」 先生の慈愛に、甲府の友は奮い立った。 支部結成から25年の佳節を迎える85年(同60年)、山梨は101支部へと発展。この年の3月11日、先生は甲府市の山梨文化会館(当時)で行われた山梨県記念支部長会に出席した。 席上、先生は山梨広布の第1期が盤石に築かれたと述べ、「ニュー山梨」を合言葉に、新たな挑戦をと訴えた。 師の「ニュー山梨」との指針は、参加者に鮮烈な印象を与えた。司会を務めた中山善雄さん(甲府常勝県、副県長)は、こう振り返る。 「池田先生直結の山梨を築くとの誓いが、組織の隅々にまで一気に広がりました」 中山さんは65年(同40年)、高校1年生の時に入会。当時、父は九州へ出稼ぎに行き、母は入院が続いていた。中山さんはアルバイトをしながら母を支え、弟と妹の世話をする生活だった。 希望が見えない日々の中、67年(同42年)3月、甲府市で行われた記念撮影会で、初めて先生との出会いを刻む。青年に期待を寄せる師の真心に、“必ず広布の人材に”と決意する。 高校卒業後、貴金属加工業で働き始めた。数年して母は健康を取り戻し、経済苦も克服。しかし、障魔の嵐が再び襲う。父が胃がんを患ったのである。 闘病を続ける中で、父は先生から励ましを受ける機会があった。父の背中をさすりながら、先生は「長生きしてください。健康になってください」と。その後、父は病魔を乗り越え、91歳まで広布一筋の大道を歩み抜いた。 中山さんも報恩感謝を胸に広布に駆けた。山梨の男子部長、青年部長を歴任し、新たな人材の輩出に尽くした。壮年部に移行してからも、「ニュー山梨」を目指し、地域を奔走した。 一昨年、狭心症を発症。手術の必要性も指摘されたが、再診時には医師が驚くほど症状が回復した。 きょう、入会60周年を迎えた。新たな決意で、「ニュー山梨」の実現を――中山さんは誓願に燃える。 ![]() 記念支部長会の翌日も池田先生は山梨文化会館を訪問。出会った広布功労の友を真心から励ました(1985年3月12日) 必ず意味がある 池田先生は山梨県記念支部長会で、55年(同30年)3月11日に行われた「小樽問答」に言及した。 「小樽問答は、仏法の正義を証明し、正法を永遠に発展させていくために行った正義の法戦である」 寺沢まり子さん(同、圏副女性部長)は、第1次宗門事件の折、一緒に活動に励んできた先輩が学会から離れていく姿を目の当たりにした。 その悔しさを胸に、学会の正義を語り抜いてきた。だからこそ、師の「仏法の正義を証明」との言葉に、広布拡大の決意をさらに深くした。 夫の広一さん(同、副県長)と共に地域活動に力を注いだ。しかし、当時は宗門との関係からさまざまな制約があった。 91年(平成3年)、学会が宗門から「魂の独立」を果たすと、寺沢さん夫婦は、ますますの勢いで地域活動に奔走。周囲に信頼の輪を大きく広げた。 先日も、山梨文化会館でのセミナーに5人の友人が参加し、学会理解を深めた。 寺沢さんは「『友好の拡大が、正義の拡大』との決意で、地域に対話の花を咲かせていきます」と意気軒高だ。 坂本洋子さん(同、県副女性部長)も、支部長会で師弟の原点を築いた一人。先生の次の言葉を、坂本さんは抱き締めて、人生を歩んできた。 「信心の途上にあって、不慮の事故など“どうしてこういうことが起こるのだろうか”と思わざるをえないことがある」 「信心の上での出来事には全て、深い意味と価値がある。その時には分からなかったとしても、必ず時とともに明らかになっていく。妙法の世界には、決して無意味な、無価値なものはないことを確信されたい」 坂本さんは、自身の自律神経の不調、長男の重度のアトピー、次男の若年性糖尿病の発症など、次々と病魔に襲われた。 心が揺らぐたび、御本尊に祈りに祈った。そして、支部長会での先生の言葉を思い起こし、「必ず意味がある」と決めて、学会活動に挑戦した。 病との闘いは一進一退だったが、全て勝ち越えることができた。その間、坂本さんは苦しく感じることもあった。だが、“決して負けまい”と前へ前へ進んできた。振り返れば、闘病は自分を強くした。師の言葉の通りだと実感する。 坂本さんは今、83歳。日々、次代を担う青年の成長を祈り、縁する人に仏法の素晴らしさを語り歩く。その胸中には、師への変わらぬ感謝が輝いている。 甲府は「人は石垣」「人は城」との言葉を残した武田信玄ゆかりの地。「戦国最強」とうたわれた武将の信念を通して、池田先生は山梨の友に語った。 「友を守る。友に尽くしぬく。それを貫いてこそ、何があっても揺るがない、正義の『石垣』が築かれる。人材の『城』が、そびえ立つ。育て上げられたその人自身が、難攻不落の『城』となるのである」 「ニュー山梨」の指針から40星霜――。「甲府即広布」との誓いのまま、友は新たな広布の峰を目指し、師弟共戦の勝利劇をつづりゆく。 ![]() 池田先生が甲府駅前のロータリーでシャッターを切った(1997年10月)。甲府は古くから甲府盆地周辺で採掘された良質な水晶の加工拠点として発展し、「宝石の街」としても知られる |