第13回 東京・小金井
25年1月21日
 

1990年1月28日、東京・小金井圏青年会議に池田先生が出席(小金井文化会館で)。35年の節目を刻んだ今、当時の会合に参加した青年部員は広布の中核に

黄金天地を 築き残せや
緑豊かな環境で知られる東京・小金井。地名の由来は、「黄金(こがね)」に値する貴重な水が湧き出ることともいわれる。
その小金井に地区が結成されたのは、1958年(昭和33年)11月。恩師・戸田先生の逝去後、学会への中傷が吹き荒れる中で、小金井の同志は“逆風”を“飛翔”への力に変えた。
怒濤の対話拡大は、3年後の61年(同36年)11月、小金井支部の誕生へとつながる。
66年(同41年)10月、小金井会館(当時)が落成。翌11月の18日、池田先生が初訪問し、ヒマラヤ杉の記念植樹などが行われた。
その後も、先生は同会館を訪れ、同志と心の絆を結んだ。中でも、小金井の友が“魂の原点”として刻むのが、85年(同60年)6月17日の訪問だ。今年は40周年の節目である。
先生は会館にいた友と勤行・唱題し、励ましを送った。終了後には、功労者宅を訪問。駆け付けた地元メンバーらを真心で包んだ。
この日、先生は「功徳黄金の小金井」との永遠の指標を贈った。さらに、新会館の建設が決定した。

1979年6月28日、池田先生は、長年にわたり、広布の会場を提供してきた小金井の同志宅を訪問。集まった子どもたちと和やかなひとときをもった

偉大な仕事を青年期に成し遂げよ
88年(同63年)5月22日、小金井文化会館の起工式が行われた。新宝城建設のつち音とともに、小金井の同志の新たな前進が始まった。
同年6月17日、池田先生が出席して、学会本部で小金井圏(当時)の総会が開催された。この日を目指し、友は“日本一の拡大”に挑戦。過去最高の本紙の購読推進を成し遂げ、活動者も前年の5倍近くまで拡大し、総会を荘厳した。
席上、先生は青年の生き方に言及した。「偉大な仕事とは、実に、青年期にあって成し遂げていくものといってよい。ゆえに青年期こそ、困難に挑戦すべきであろう」
翌89年(平成元年)の7月30日、小金井文化会館が完成。90年(同2年)1月28日、早春を思わせる晴天が広がる中、先生は初訪問し、同圏の青年会議に臨んだ。
参加者の一人、吉田雅宏さん(小金井黄金区、副本部長)は、ユーモアを交えながら、一人一人に語りかけるように励ましを送る先生の姿に胸打たれた。
生まれも育ちも小金井。この地の創価家族に温かく育んでもらった大恩に報いていきたいとの思いで、広布の最前線を駆けてきた。
14年前、長年勤めていた会社から大阪転勤の辞令が出た。家族、同志のことを考え、祈り抜いた結果、東京での転職を決断した。
東日本大震災の直後でもあり、収入を維持したままの転職は厳しい状況だった。唱題を重ね、自身の人間革命を懸けた対話拡大にも挑んだ。
弱気が頭をもたげることもあった。そんな自分との戦いが続いた1年後、一挙に目の前が開ける。新たに知り合った友人が縁となり、大手企業を紹介される。思いがけない好条件での転職がかなった。
この数年、一過性脳虚血発作や緑内障などを患った。
だが、信心根本に宿命の嵐を乗り越えてきた吉田さんは、信心の歓喜を語り歩く日々だ。

「小金井黄金広布城」と刻まれた金色の記念メダルを前に足を止める池田先生(1990年1月28日、小金井文化会館で)。先生は圏青年会議で、「金色とはまさに、生き生きと伸びゆく青年の姿そのもの」と励ましを送った

“真金の一念”で生き福徳増す人生を
池田先生は圏青年会議の折、「小金井」の地名にちなみ、仏典に登場する「金色王」の故事を紹介した。
金色王は釈尊の過去世の姿の一つとして説かれ、大干ばつの中で民衆を救った指導者だ。飢えに苦しむ民衆のために、金色王は最後に残った自分の1日分の米も民衆に与えた。その功徳によって、天から雨が降り、万民が蘇生していった。
この故事を通して、先生は訴えた。
「利害と名聞と保身に汲々とし、いざという時に簡単にはげてしまう“メッキの人生”なのか。どこまでも民衆のために、との“真金の一念”で生き、生々世々にわたって福徳を増しゆく人生なのか」
「私どもの人生の目的は、飾りにすぎない社会の栄誉や勲章を求めることではない。徹して人々のために生き、行動してこそ、わが胸中に『金色の生命』を、『魂の勲章』を輝かせていくことができるのである」
師匠の大激励に立ち上がった小金井男子部は、この年の下半期、仏法対話に果敢に挑戦。全国をリードする拡大の金字塔を打ち立てた。
池内隆司さん(同、副区長)は当時、就職して3年目。営業を担当し、帰宅は深夜になった。仕事と活動の両立に悩む日々。全てを投げ出したくなる時もあった。
だが、圏青年会議に参加し、師匠の魂に触れ、“苦難に負けない強い自分に”と一念を定めた。
その後、転勤・転職を経験。新しい環境になるたび、自らを奮い立たせ、一流の営業スタッフを目指して努力を重ねた。やがて、少しずつ営業先からの信頼が集まるようになり、99年(平成11年)、目標だった社内トップの営業成績を収めた。
60歳の今も、全国で営業に走る。職場での信頼は絶大だ。圏青年会議から今月で35星霜。これまでの人生を振り返り、池内さんは改めて思う。
――師への誓いを果たそうと行動し続ける限り、必ず勝利の人生を開くことができる、と。
先生は圏青年会議のスピーチの結びで、こう強調した。
「長い長い人生である。どうか、地道に着実に、また自分らしく誠実に、生きぬいていただきたい。『地道』と『着実』の歩みほど強いものはない。確かなものはない」
「人の何倍も苦労し、努力して、そこに不滅の“黄金”の力を持っていただきたい。その黄金の力が、自分も先祖も、子々孫々までも幸福にせしめゆく源泉だからである」
この言葉を、田村千加子さん(同、区副女性部長)は生命に深く刻んだ。夫の一昭さん(同、地区幹事)と結婚後、夫婦二人三脚で広布の最前線を駆けた。
長女・美紀子さんの脳腫瘍や一昭さんの前立腺がんなど、一家は困難な病魔との闘いを勝ち越えてきた。田村さん自身も昨年8月、重度の急性腹症を患う。地域の同志の激励を力に変え、病室で強盛に祈り抜いた。医師も驚くほどの回復で、21日後、無事に退院することができた。
田村さんは「今の私たちがあるのは、池田先生と同志の皆さんのおかげです」と。限りない感謝を胸に、一家は報恩の前進を続ける。
◆◇◆
先生はかつて、小金井の友に詠んだ。

小金井の
勝利を見つめむ
日本中
黄金天地を
築き 残せや

「真金の一念」を燃やして、“黄金天地”に新たな勝利の一ページを刻む時が来た。