3・16「広宣流布記念の日」
26年3月14日
 

「3・16」50周年を記念する本部幹部会で、池田先生は後継らに万感のエールを送った。「青年、頼むよ!」(2008年3月、東京牧口記念会館で)

 それは、一九五八年(昭和三十三年)の三月一日のことであった。
 空は晴れていた。
 恩師である戸田城聖先生が発願され、建立なされた大講堂の落慶の式典は、多数の来賓を迎えて、明るく滞りなく行われた。
 階上に上がるため、エレベーターにご一緒した。柏原ヤスさん、森田一哉君らが同乗していた。
 先生は、私の目を、じっとご覧になりながら言われた。
 「これで、私の仕事は終わった。私はいつ死んでもいいと思っている。大作、あとはお前だ。頼むぞ!」
 それから一週間が過ぎた頃、時の岸信介首相から、三月十六日の日曜日に、個人的に総本山を訪問したいと連絡が入った。岸首相は、戸田先生の親しき友人であった。
 先生は即座に私を呼ばれ、「よい機会だ。この日に、青年部を結集させようじゃないか。将来のために、広宣流布の模擬試験――予行演習ともいうべき式典をしたらどうか」と命じられた。
  
 ◇ ◆ ◇
  
 わが青年を見よ!
 わが弟子を見よ!
 先生自身が手塩にかけた若き弟子たちを、時の指導者に明確に知らしめたかったのであろう。
 新しき時代を建設してゆかんとする、威風堂々たる創価の青年の熱と力に触れれば、首相も瞠目し、必ずや日本の未来に希望の光を確信できるはずだ――と。
 私は、先生のお心を心として準備に奔走した。私との絶妙な呼吸で、全青年部も一丸となって大回転を始めた。
 先生は、常々言われていた。
 「一日一日が真剣勝負だ。連絡に時間がかかるようでは、組織は死んでいる」
 「いざという時、広宣流布の戦場に駆けつけられるか、どうかだ」
 今のように携帯電話もなければ、メールもない。だが、「3・16」の連絡は、電光石火で日本列島を駆け巡った。
 首都圏から五千人、静岡県を中心に千人が集い、さらに、各方面の代表も参加することになった。即座に、輸送の体制も万全を期した。
 先生は、青年たちが来客の指導者の人格や振る舞いを見て、何かをつかみ、何か勉強できるという思いであられることを、私は深く直感していた。
 私も、世界の国家指導者や識者をお迎えする時は、必ず青年たちと歓迎している。それも、この戸田先生の精神を受け継いでのことである。
  
 「長州は、吉田松陰という良き師を得たゆえに、人材が躍り出て活躍した。青年は、良き指導者を得れば、どのようにでも変わる」とは、深き戸田先生の指導である。
 緊急の大結集となったが、師のもとに馳せ参じる誇りは、大きかった。愚痴や文句など、微塵もなかった。
 これが、草創からの学会精神である。異体同心の法理である。青年部の魂である。
 そしてまた弟子を思う師の慈愛は、あまりにも深かった。
 当日、暗く寒い早朝から集って来る青年たちに、体が芯から温まる「豚汁」をふるまおうと、先生は直々に細かく手を打ってくださった。
 参加者には「椀と箸を持参せよ」と徹底された。先生の心づくしの豚汁は、今でも黄金の思い出となっている。
  
 私は、ただ戸田先生の体調だけが心痛であった。
 体力が落ち、歩行も覚束なかった。それでも「指揮を執る」と決意されていたのだ。
 私は、先生に安心して動いていただけるよう、手作りの「車駕」の製作を進めた。
 念頭にあったのは、あの五丈原の戦いで、病篤き大英雄・諸葛孔明が車に乗って指揮を執った故事である。
 式典前日の三月十五日、私は、立派に出来上がった車駕を、先生に見ていただいた。
 先生は厳しく叱責された。
 「大きすぎる。これでは、戦闘の役には立たぬ!」
 思いもよらぬ言葉に、担当の青年は愕然とした。
 追い打ちをかけるように、冷笑を浴びせる愚昧な幹部もいた。私に対する嫉妬である。
 しかし、私は、叱られて、ありがたかった。
 師が弟子の真心をわかってくださらぬわけがない。
 “こんなに多忙で、材料もないなか、青年部が、こんなに大きく立派な車駕を、私のために作ってくれた……”
 先生は心で泣いておられた。本当は驚き、嬉しかったのである。皆の真剣さと大きく育った姿を喜ばれ、「ありがとう」と言うよりも、むしろ叱った格好を見せたのである。
  
 ◇ ◆ ◇
  
 戸田先生は言われた。
 「注意することも、励ますことも、すべて仏の境界へ向かって、その人を高めていくためである。これが、学会の人材育成の根幹である」と。
 私が先生から学んだ、人材育成の要諦がある。
 一、訓練=トレーニング 
 二、擁護=サポート
 三、指導=ガイダンス
 四、教授=ティーチング 
 以上の四点である。
 つまり、学会精神を体得させるためには、実践のなかで「訓練」していくことだ。
 疲れている時などは温かく「擁護」して、希望と自信を与えることだ。
 問題があれば、行き詰まらないように、正しい方向を示して「指導」することだ。
 理解できていない事柄は、丁寧に基本を「教授」する。
 当然、その人の個性や状況で力点は変わるだろう。いずれにしても、薫陶なくして人材は成長しないのだ。
 この方程式は不滅である。
 ゆえに師の教えを真っ直ぐに受け止め、その通りに行動を起こした青年が、勝利者なのである。
  
 ◇ ◆ ◇
  
 先生が楽しみにされていた式典は、当日の朝、首相からの一本の電話で急変した。
 外交上の問題が突発したという理由で、欠席を伝えてきたのだ。
 ――周囲の政治家の妨害が原因だったと判明するのは、後日のことである。
 先生は、急な欠席を詫びる首相に厳しく言われた。
 「青年を騙すことになるではないか!」「詫びるなら、青年に対してだ!」
 無作の人間指導者の叫びであられた。先生は、待っている六千人の青年たちが愛おしくてならなかったのだ。
 「よし! 戦う!」
 衰弱した体を押して、青年有志が真剣に担ぐ、あの「車駕」に乗られ、烈々と、若人たちを励ましてくださった。
 その雄姿は、生死を超えて激戦の指揮を執り続けた、“妙法広布の諸葛孔明”であられた。
  
 ◇ ◆ ◇
  
 首相の名代である夫人、娘婿であり首相秘書官の夫妻らを迎えて、式典が厳かに幕を開けた。六千人の若人が、大講堂の前庭を埋めた。
 司会は、私である。
 若き首相秘書官が、来賓として挨拶に立たれた。折り目正しく深々と礼をされた。
 「義父(岸首相)は、かねてから戸田先生を敬愛しておりました。昨夜も、皆様方とお会いして、祖国の再建について、ぜひとも、語り合いたいと申しておったのです」
 当時、秘書官は三十三歳。
 「この信仰をされている人たちは若い人が非常に多いですね。みんな明るい顔をしておられるということで、私も若いものですから、非常に感銘を受けました。将来に向かって伸びていく宗教ですね」との感想も語られていた。
  
 ◇ ◆ ◇
  
 痩せられた戸田先生が、悠然たるお姿でスピーチに臨まれた。そして、己心の大確信を師子吼されたのである。
 「創価学会は、宗教界の王者である!」――と。
 それは、獄中で地涌の菩薩の使命を覚知され、敗戦の焦土から、ただ一人、広宣流布の戦いを開始された大偉人の大勝利宣言であった。
 第二代会長として、生涯の願業である七十五万世帯の大折伏をば、誓願通りに成し遂げられた。
 先生は、獄死した牧口初代会長の弟子として、“妙法の巌窟王”となりて厳然と仇を討ち、偉大な師の勝利を打ち立てられたのである。
 学会は、民衆勝利の“日本の柱”となった。
 学会は、宗教界、思想界、精神界の王者とそびえ立ったのだ。
  
 この式典から満一年の三月十六日。私は恩師を偲び、青年たちに万感の心を語った。
 「この日を、広宣流布への記念の節にしていこう。青々とした麦のような青年の季節たる三月に、師のもとに青年部が大結集したことに、不思議な意義があるんだよ」
 さらに、私は、二周年の三月十六日には、創価学会は、「3・16」「4・2」そして「5・3」と、連続勝利のリズムで、永遠に勝ち進むことを宣言したのである。
 勝つことこそが、後継の最大の証しであるからだ。
 仏典には、仏の尊称として「戦勝」「勝導師」「勝陣」「健勝破陣」等々と説かれている。すべてを勝ち切っていく最強最尊の人間王者こそが、「仏」なのである。

広布史
 「七十五万世帯達成する」――1957年(昭和32年)12月13日付の聖教新聞は報じた。恩師・戸田先生が掲げた、この75万世帯の弘教という願業を心に刻み、広布推進の原動力となったのが、池田先生であった。先生はつづっている。
 「弘教七十五万世帯は、師弟の誓願であった」「もし師弟の誓願が達成できていなければ、『3・16』の式典――あの後継の大儀式は完成されなかった」
 58年(同33年)3月16日、男女青年部の精鋭6000人が集結し、“広宣流布の記念式典”が行われた。終了後、戸田先生は池田先生に語った。「我々は、戦おうじゃないか!」
 池田先生は述懐する。
 「その烈々たる気迫は、炎となって、私の体に今も燃え続けている。永遠に燃え続けるであろう。この『戦おうじゃないか!』の一言を、私はあらためて青年部の諸君に、また“永遠の青年”であるわが同志に贈りたい」
 先生は毎年、巡り来る「3・16」に、後継の青年へ広布のバトンを託した。30周年を刻む88年(同63年)3月には、長編詩「青は藍よりも青し」を発表。「君よ 君たちよ/新たなる第二の『七つの鐘』を頼む」と詠んだ。
 第2次宗門事件の嵐が吹き荒れた、35年前の91年(平成3年)3月16日、先生は「『魂の炎のバトン』を君たちに」とのメッセージを贈った。
 「青年よ、ちっぽけな世の波騒を見おろしながら、大胆に生きよう。何ものも恐れず、壮快に動こう。堂々と真実を叫ぼう。
 君が燃えなければ、時代を覆う生命の闇は燃やし尽くせない。君が走らなければ、正義の炎は、人々のいのちに届かない。君自身が、一個の『炎の走者』と立ち、動き、祈り、語り始めること、そこに3・16の本義があるのだ」
 翌92年(同4年)の「3・16」を記念する集いでは、先生はこう語っている。
 「広宣流布への本因の決意に立ち返り、心を合わせて、新たにスタートしていく。高まる春の足音とともに、広布も、そして人生も、『いよいよ、これからだ』と、大空を仰いで前へ進む――『3・16』は、永遠の“始まり”の日であり、永遠の“希望”の日である」
 私たちが今、「3・16」の意義を知ることができるのも、恩師の心を胸に刻み、恩師を宣揚し続けた池田先生がいたからだ。限りない感謝を胸に広布に立ち上がる――その“戦う生命”に、「3・16」の精神は脈動していく。