| 池田先生と東京戸田記念講堂 25年6月10日 |
| いかに厳しい状況でも 突破口は必ずある! 東京・豊島区巣鴨にそびえ立つ師弟の宝城・東京戸田記念講堂。同講堂の開館は1979年(昭和54年)6月3日。師弟を分断しようとする嵐の渦中、池田先生は神奈川文化会館、東京の立川文化会館とともに、この講堂で共戦の友を励まし、飛翔の時をつくった。先生と同講堂の歴史を紹介する。 ![]() 2017年4月、池田先生は重要な歴史を刻んできた東京戸田記念講堂を訪れ、その正面をカメラに収めた。同講堂は今も、全国から多くの友が集い、誓いを新たに出発する師弟の殿堂として輝き続ける 地域の灯台に JR巣鴨駅を出て、巣鴨駅前商店街を抜けると、東京戸田記念講堂の姿が見える。ベージュ系のタイルと黒みかげ石が調和した、堂々たる威容。ここが本部幹部会など、学会の主要行事の舞台となってきた。 同講堂は、地域の灯台の役割も担う。地元商店街と連携し、大規模地震を想定した避難訓練を実施。創価グロリア吹奏楽団の演奏会や企画展示会なども開かれ、近隣住民の交流の場ともなっている。 地元の豊島の同志は毎週、駅から同講堂までの道を清掃し、美化活動に取り組む。地域との連帯の絆は年々深まり、毎年の学会創立の月・11月には、同講堂近くの沿道に三色旗がはためき、地域の祝意で鮮やかに彩られる。 本物の弟子を 現在の東京戸田記念講堂は、1990年(平成2年)11月に新装された2代目。初代は、79年(昭和54年)6月3日に開館した。池田先生が第3代会長を辞任してから、わずか1カ月あまりのことである。 当時、宗門は“会合で指導してはいけない”“聖教新聞に出てはいけない”などと、先生の行動を制限した。先生は3日の落成式への出席を控え、前日2日の夜、神奈川・鶴見、東京・板橋の功労者宅を訪れた後、同講堂に足を運んだ。 「戸田先生の魂を打ち込むために来たよ!」――先生の力強い声が響く。「この戸田記念講堂ができて、戸田先生はきっと喜んでくださるだろう」 講堂2階の大広間では、豊島区と北区の合唱団とオーケストラが開館記念勤行会で披露する曲の練習をしていた。先生は「やあ!」と声をかけると、場内にあったピアノへ向かい、「月の沙漠」と“大楠公”を演奏した。力強く、優しい旋律は、その場にいた友を奮い立たせた。 3日の落成式に、先生は祝福のメッセージを寄せた。 「待ちに待った東京戸田記念講堂の落成、誠におめでとうございます」「東京戸田記念講堂を軸として大いなる福運と大いなる広宣流布と大いなる団結をしていっていただきたいことを心から念じつつ、私のメッセージとします。私も必ずたびたびまいります」 「東京戸田記念講堂」との名称を提案したのは、池田先生である。同講堂が立つ豊島区にはかつて、初代会長の牧口先生と共に、第2代会長の戸田先生が投獄された東京拘置所があった。戸田先生が中野の豊多摩刑務所に移ったのは出獄4日前のことである。 池田先生は、開館当時の思いを随筆に書き残している。 「いかに厳しき状況下にあっても突破口は必ずある。鉄格子の中からでも戦える。牧口先生を思え! 戸田先生を忘れるな! 断じて師弟の魂の松明を消すな! これが私の炎の決意であった」 「ここには、恩師がおられる。『大作、戦おうじゃないか!』と、先生の師子吼が耳朶に響いてくる。ここを“戸田塾”として、本物の広布の弟子をつくってみせる。この師のもとから、全東京へ、関東へ、日本全国へ、全世界へと、正義と勝利の大波を起こしてみせる!」 ![]() 1979年6月2日、東京戸田記念講堂の落成式前日に、池田先生が同講堂を初訪問。翌日に向けて練習をしていた合唱団、オーケストラの友らを励ました 威風堂々の指揮 開館した6月から半年間で、池田先生は18回、東京戸田記念講堂を訪問。ロビーや廊下、時には屋上など、講堂内のあらゆる場所で、記念撮影や懇談の機会を設けた。 ある友には「生きるか死ぬか、その時に、“このために生きよう”と思えるのが『希望』だよ」と。母が重い病を抱える女性には、「センチメンタルになってはいけない。どんなに悲しくても、明るく祈りきっていくんだよ」と包み込むように。事業に悩む壮年には、「大桜」との揮毫を贈った。先生は同講堂で出会った一人一人と魂の絆を結んでいった。 79年6月24日、先生は近隣の商店街に足を運び、“会館がお世話になります”と丁重にあいさつした。率先して近隣を大切にする師の姿は、地域を愛し、地域に貢献する豊島の伝統として、今に受け継がれる。 同年11月16日、本部幹部会が同講堂で開催された。幹部会の途中から出席した先生は、上着を脱ぎ、扇子を手に、壇上の中央に立った。久しぶりに見る師の姿に、参加者からは会場を揺るがす大拍手が起こった。 「今日は、学会歌の指揮を執ります。『威風堂々の歌』にしよう」 第3代会長辞任後、初めての指揮だった。皆、込み上げる思いを歌に託し、盛んに手をたたいた。先生の力強い舞は、皆に呼びかけていた。 ――大東京よ、立ち上がれ! ――全同志よ、立ち上がれ! 師弟を分断する宗門の悪僧らの謀略が渦巻く中、この日、東京の凱歌の行進が再び始まったのである。 ![]() 第3代会長辞任後、初めて学会歌の指揮を執る池田先生。逆境を乗り越え、勝利の峰へ! 東京から凱歌の行進が再び始まった(1979年11月、東京戸田記念講堂で) さあ、出発しよう 90年(平成2年)11月16日、新装オープンしたばかりの東京戸田記念講堂で、学会創立60周年を祝賀する本部幹部会が開催された。 席上、先生はベートーベンが幾多の苦悩を突き抜けて歓喜の境涯に至った生涯を語りつつ、呼びかけた。 「仏法もまた“勝負”である。勝負である以上、当然、敵もいる。困難につぐ困難もある。しかし、それら一切に勝ちきってこそ、真実にして永遠の幸福はある。広宣流布もある。ゆえに『断じて勝利を!』と、私は声を限りに訴えたい」 さらに、こう提案した。「創立65周年(1995年)、創立70周年(2000年)には盛大に、『第九』の合唱を行ってはどうだろうか」 翌12月、宗門は「第九」をドイツ語で歌うことは外道礼賛であり、謗法であると言いがかりをつけてきた。「第2次宗門事件」が表面化した瞬間だった。 振り返れば、学会が宗門から「魂の独立」を果たし、世界宗教として雄飛する起点は、同講堂で行われた東京総会を兼ねた本部幹部会にあったのだ。 広布の重要な歴史が幾重にも刻まれる東京戸田記念講堂。四半世紀にわたって、池田先生が筆を執った小説『新・人間革命』は、同講堂での本部幹部会の場面で締めくくられた。先生は最終章につづった。 「さあ、共に出発しよう! 命ある限り戦おう! 第二の『七つの鐘』を高らかに打ち鳴らしながら、威風堂々と進むのだ」 講堂には牧口、戸田、池田の三代会長の肖像が掲げられる。門下の前進と勝利を断固と見守っている。 |