| アジアへ② 26年4月7日 |
| 弘教の必死の戦い 仏典漢訳の使命を担った人々 西北インドから中央アジア諸国を経て中国へともたらされた仏教の経典は、後漢時代の紀元2世紀ごろから本格的に漢訳されるようになる。 やがてそれは、中国における国家的な一大事業となり、仏典翻訳は次々と進められていったのだった。 とはいえ、異域で編さんされた仏典の深遠な思想や、高度な概念を深く理解し、そこから自国の言語に翻訳・展開していく――それは、現代を生きる私たちには想像もできないほどの難事業であったに違いない。 紀元前後に中国へ仏教が伝わってから、仏典漢訳が本格化する後漢時代までを見るだけでも、100年以上の隔たりがある。仏教という新たな思想が中国の人々に受け入れられるには、その後も長い時間を経なければならなかった。 池田先生は、「名も知られない西域仏教僧や、また漢人仏教信者の求法・弘教の必死の戦いがあったことを、われわれは想起すべきだと思う」と語っている。 いずれにしても、中国における仏典の翻訳は経典の流入に伴って進み、主要な仏典の漢訳は11世紀ごろの北宋時代まで続いたとされる。 この間、中国の王朝は、後漢から三国時代を経て西晋、五胡十六国時代、南北朝時代、そして隋・唐という統一王朝の成立まで、目まぐるしい変遷をたどったが、そうした動乱の世にあって、仏教は国家や王侯貴族の庇護を受けながら、中国全土に広まっていった。 さて、中国における仏典翻訳の最初期に、その使命を担ったのは、西域からやって来た仏教者たちであったことは前回で取り上げた。 そうした訳経僧の中でも、とりわけ白眉とされているのが、中国・後秦において活躍した鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)である。羅什三蔵とも呼ばれ、4世紀半ばに生まれて5世紀初頭に没した生涯が伝わる。 鳩摩羅什が訳出した仏典の流麗な漢訳文は、いずれも優れた名文として知られている。その翻訳もさることながら、何より、インドで大乗思想を発展させた竜樹(ナーガールジュナ)に始まる中観派の哲学を踏まえて、仏教思想の精髄を中国へ確かに伝えたというところに、彼の最大の功績もあるだろう。 とりわけ、鳩摩羅什の漢訳『妙法蓮華経』は、後に東アジアで広く親しまれるようになり、後世の文学や芸術などにも多大な影響を与えるものとなった。 なお、鳩摩羅什より後代に活躍した中国の訳経僧に、7世紀の唐の玄奘がいる。現在、中国における訳経史の区分としては、鳩摩羅什より前の訳経を「古訳」、鳩摩羅什から玄奘より前までを「旧訳」、玄奘以降を「新訳」と呼ぶ。 中国仏教史の画期とされている鳩摩羅什の訳経。ただし、そこに至るまでの彼の生涯の道筋は、決して平たんなものではなかった。 ![]() 鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品の写本が出土した中国・新疆ウイグル自治区のベゼクリク千仏洞(トルファン市郊外) 訳経僧・鳩摩羅什 運命の試練を乗り越える中で 鳩摩羅什の生誕地は、シルクロード要衝のオアシス都市・亀茲(〈きゅうじ〉とも読む。現在の新疆ウイグル自治区・クチャ)である。インド出身の貴族の父と、亀茲国の王族である母との間に生まれた彼は、幼少期に仏道を志し、母と共に北インド罽賓国(カシュミール)を訪れ、ここで修行に励んだと伝わる。 その後、10代の鳩摩羅什は、故郷・亀茲国への帰路の途中、さらなる修行のために疏勒国(カシュガル)にとどまった折に、大乗論師の須利耶蘇摩と運命的な出会いを果たした。 一説には、須利耶蘇摩から仏法宣揚の使命を託されたともされる。 鳩摩羅什が各国を遍歴して学んだことは、仏教だけではなかった。天文学や数学をはじめ、万般にわたる勉学に精励したようだ。秀抜なる彼の才は、若くして、その名を西域諸国や漢土にまで轟かせることとなった。 しかし、その後の彼の人生は、数奇な道をたどる。 西暦382年ごろ、五胡十六国の一つである前秦の王・苻堅が、鳩摩羅什を手に入れるため、呂光の軍勢を西域に送って亀茲国を討たせた。これにより、鳩摩羅什は呂光の軍勢にとらわれてしまう。ところが、呂光の軍勢が前秦の王都・長安まで帰る途中、涼州の姑臧(現在の甘粛省)にとどまっていたところ、呂光は前秦が滅びたことを知った。 故国を失った呂光は、姑臧の地に後涼を建国。そのまま鳩摩羅什もとどまることになり、以後、彼は長らく異国の地で、思うに任せない不遇な日々を過ごすことになる。 401年、後秦の王・姚興は後涼を討つと、鳩摩羅什を、国師の礼をもって長安の都に迎え入れた。 ときに亀茲を出てから十数年。乱世の辛酸を味わった鳩摩羅什は、すでによわい50を超えていた。しかし、ここから逝去まで10年ほどの間で、彼は仏典翻訳者として、その才能を大きく開花させていくことになるのだ。 池田先生は、鳩摩羅什の波瀾万丈な人生に触れつつ、語っている。 「人生には運命の試練が必ずある。順調のみの人生のなかに、真の勝利は生まれないし、成功もない。逆境を、また運命の試練をどう乗り越えて、大成していくかである。 逆境こそ、成長と前進への最大の道であり、そのなかにこそ、本当の人生の偉業が成し遂げられることを、とくに若き青年部諸君は忘れてはならない」 こうして鳩摩羅什は、国王の庇護のもと、多くの漢訳に従事していく。代表的なものに『妙法蓮華経』『維摩経』『大品般若経』『大智度論』などがある。その生涯において彼が翻訳に尽力した経典は、『開元釈教録』によると74部384巻という膨大なもの。仏の心を余すところなく伝えようとした、彼のほとばしる熱情を感じずにはいられない。(続く) [VIEW POINT]法華経の名訳 “勤行の法華経は、なぜ鳩摩羅什の漢訳文を用いるのでしょうか”――SGIの友が、かつて池田先生に質問したことがあります。先生は、ユーモアあふれる掛け合いで海外の同志の心を包み込んだ上で、このように答えました。「鳩摩羅什が訳した法華経を用いているのは、それが現在までのところ、最もすばらしく、最も法華経の心を伝えているものだからです」 日蓮大聖人は、「羅什一人だけが、教主釈尊の経文に自分の考えを入れなかった人」(新1382・全1007、趣意)とたたえられました。まさしく、鳩摩羅什による法華経の“名訳”には、仏の覚りの真意が余すところなく説かれています。この確信に立ち、「生命尊厳」「万人尊敬」という法華経の慈悲の心を、草の根の対話によって全世界に広げてきたことこそが、創価学会の歩みにほかなりません。 日々、勤行・唱題に励みながら、折伏によって慈悲の精神を社会に広げる。その実践はまさに、法華経の心を現実の上で示していることになるのです。信心根本に、苦悩の人々を救い、宿命転換のドラマを演じる私たちは、一人一人が法華経の心を自ら体現する現代の“名訳家”である――その誇りで前進していきましょう。 |