| 法華経 ③ 26年1月6日 |
| 虚空会の儀式 誰が仏滅後の弘通を担うのか 池田先生は、釈尊が仏法を説いた意義について、こう語っている。 「それは、すべての衆生を自身と同じく仏となさんがためであった」「このすべての衆生が釈尊とまったく同じく仏になることができるのだという原理は、『法華経』によって初めて明らかにされたのです」(『池田大作全集』第12巻) 大乗仏教の精髄の経典である法華経。前回は、法華経28品(章)の前半(迹門)・後半(本門)で説かれている、二乗・悪人・女人の成仏や久遠実成といった主要な法理について取り上げた。 今回は、法華経が説く、もう一つの大きなテーマについて見ていきたい。すなわち、釈尊の民衆救済の誓願を受け継ぎ、釈尊の滅後に妙法流布の使命を担うのは一体、誰なのかという“後継”の問題である。具体的には、法師品第10以降から、それは展開されていく。 まず法師品では、「如来現在猶多怨嫉。況滅度後」と、釈尊在世に比べて仏滅後の難がはるかに厳しいことを示した上で、そうした苦難に屈することなく法華経を弘めていくよう勧めている。さらに、仏滅後に妙法弘通を担う者が、仏の使いであることも明かされている。 続く見宝塔品第11の冒頭では、種々の宝で飾られた巨大な宝塔が、大地から涌現して虚空(空中)に浮かぶ。その塔の中から、過去の仏である多宝仏が、釈尊の説いた法華経が真実であることを証明する場面が説かれる。 驚く聴衆を前に、釈尊は娑婆世界の国土を浄化して、十方世界から自らの分身である仏を集めると、宝塔の中に入って多宝如来とともに座した。 そして、大勢の聴衆を虚空に引き上げ、「誰か、この娑婆世界で、広く法華経を説く者はいないか。私はもう長くは生きていない。法華経の弘通を託したいのだ」と呼びかけた。ここから嘱累品第22までの物語は、虚空が舞台となるので「虚空会」「虚空会の儀式」と称する。 見宝塔品で釈尊は、妙法を永遠に流通して一切衆生を救済しゆく「令法久住」こそが、諸仏の願いであると明かした。そして、仏滅後に法華経を弘通することが至難であることを、六つの難しいことと九つの易しいことの対比(六難九易)によって強調した上で、聴衆たちに、滅後弘通を誓願するよう重ねて勧める。 勧持品第13に至ると、ここからは、釈尊の要請を受けて声聞や菩薩たちが滅後の弘通を誓うシーンが説かれていく。 ここでまず、声聞の弟子たちは、悪世の娑婆世界は人心が乱れているため、他の国土において布教することを望んだ。 これら声聞と対比する形で示されるのが、不退転の境地に至った「菩薩」たちの誓願である。 菩薩たちは仏の心にかなうよう、滅後の悪世で弘通の使命を果たしゆく誓いを「師子吼」するのだ。“われらは迫害を耐え忍び、不惜身命で妙法を流布していきます”と――。 ![]() インド創価学会本部で水面に浮かべられた蓮の花。師弟不二の心で人類救済に立ち上がり、妙法を弘めゆく創価の地涌の人華は、今や世界中で咲き薫っている 大地から涌出する菩薩 広宣流布を誓願して躍り出る 勧持品で、菩薩たちが釈尊に述べる誓願は、二十行(四句で一行)からなる偈文(詩の形の経文)として記されている。この「二十行の偈」の中では、悪世に法華経を弘める者への迫害の様相が説かれており、この迫害者たちを、後に中国の妙楽大師は三種に分けて「三類の強敵」と適示した。 そして、従地涌出品第15の冒頭では、見宝塔品で十方世界から分身仏とともに集められた多数の菩薩たちが、釈尊滅後の娑婆世界において法華経を弘めることを申し出る。 釈尊は、これらの菩薩たちに滅後の弘通を託すだろう――そう誰もが思うような場面で、釈尊が放った一言は衝撃的であった。 「止みね。善男子よ」。菩薩たちの申し出を制止した釈尊は、この娑婆世界に膨大な数の菩薩たちがいて、釈尊滅後の妙法流布の使命を担うことを宣言する。 その時、大地が割れて、無数の菩薩たちが涌出した。それぞれが金色に輝く立派な姿で、数え切れないほどの眷属(仲間)を率いていた。上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩をリーダーとする、大地から涌現したこれら無数の菩薩たちを「地涌の菩薩」という。 会座の聴衆にとっては疑問であった。“これらの見たこともない大菩薩たちは、一体どこから来て、いかなる由来で出現したのか”と。聴衆を代表して質問した弥勒菩薩に対して、釈尊は驚くべきことを明かす。「これら地涌の菩薩たちは、久遠の昔より、私がこの娑婆世界で教化し続けてきたのである」 しかし弥勒は納得しない。「世尊は、出家して初めて覚りを得てから40年余り。その短期間で、無数の菩薩を教化したとは到底、信じられません」。この疑問を発端として、続く如来寿量品第16で、仏の生命が永遠常住であるという重大な法理が明かされていく。その内容は前回で取り上げた通りだ。 そして、如来神力品第21において、地涌の菩薩たちが釈尊滅後の法華経流布を誓うと、釈尊は彼らに法華経を託す。この時、釈尊は、仏のあらゆる教えが法華経の中に全て包含されていることを強調している。ここに至って、釈尊滅後において、万人成仏のために法華経を弘通する主役が、地涌の菩薩であることが鮮明になったのだ。 池田先生はつづっている。 「地涌の菩薩とは、悪世に妙法を弘めることを託された最も尊い菩薩たちです。地涌の菩薩は、広宣流布を誓願し、躍り出たのです。学会員は、皆、この地涌の菩薩なのです」(『未来の希望「正義の走者」に贈る』) 苦悩が渦巻く現実世界で、釈尊に代わって妙法を弘め、人々を救済していく――。法華経に記された“地涌の菩薩”の一大絵巻には、まさに現実に生きる一人一人が主役と輝く、民衆仏法の息吹が満ちあふれている。(続く) [VIEW POINT]地涌の特質 法華経には、地涌の菩薩に具わる、さまざまな優れた特質が示されています。「志念は堅固」「常に智慧を勤求」「難問答に巧み」「其の心に畏るる所無く」「忍辱の心は決定」――固い決意を貫く人であり、智慧と確信あふれる対話の達人であり、恐れなき勇気と、不屈の忍耐力がある人である、と。また、「世間の法に染まらざること 蓮華の水に在るが如し」とも説いています。厳しい濁世の現実社会にあって苦悩に染まらず信心を貫く姿を、泥水の中から清らかな花を咲かせる蓮華に象徴させているのです。 御書には、「よくよく心を鍛えられた菩薩なのであろう」(新1608・全1186、通解)とあります。地涌の菩薩が悪世の迫害に打ち勝ち、妙法を弘通していけるのは、はるか久遠の昔から師のもとで修行して、鍛え抜かれているから。この確信を胸に、「我、地涌の菩薩なり」との誇りで、いかなる試練にも屈することなく広布に励んでいるのが、全世界の創価の同志です。 「地涌の菩薩のさきがけ」(新1790・全1359)の自覚で民衆救済に生き抜かれた日蓮大聖人に直結する創価三代の師弟。そこに連なり、世界中で妙法を語り広げる同志の連帯こそ、仏意仏勅の地涌の教団なのです。 |