| 法華経 ① 25年11月11日 |
| 大乗仏教の興起 “新たな正法”を模索する運動 紀元前のインドでは王朝の興亡がたびたびあった。 インド初の統一国家マウリヤ朝は、アショーカ王の死後に衰亡した。治乱の末、紀元後になると、中央アジアを含む北インドをクシャーナ(クシャン)朝が支配するように。南インドではサータヴァーハナ(アーンドラ)朝が勢威を振るうようになった。 これらの王朝では、東西諸国との交易を盛んにして異文化交流が積極的に進められる中、仏教も保護され、僧院や仏塔が多く建立されたと伝わる。 仏教は国王や都市の富裕層などの庇護のもと、バラモン教(ヒンズー教)などの諸宗教との緊張関係を保ちつつ、いくつもの部派に分かれながらインド全体に教線を拡大していく。 各部派では経と律を伝承しつつ、釈尊の教えを理論化・体系化した論を精緻に発展させた。また、釈尊を讃仰する仏教徒によって、数々の仏伝文学や釈尊の過去世の物語である「ジャータカ(本生譚)」なども生まれた。紀元前後のころからは、それまで口頭伝承されてきた仏教経典が、書写されて伝承されるようになったと考えられている。 こうした仏教の展開の中で、極めて畏敬された釈尊は、いつしか超人的な存在と見なされるようになる。各部派ではおおむね、出家修行者が目指すのは、「阿羅漢果(修行を完成した聖者の境地)」を得て涅槃に入ることだとされた。 やがて紀元前後のある時、仏教は画期を迎える。この頃に興起したと考えられる、「大乗(「偉大な乗り物」の意)」と自称する革新的な運動の出現である。 大乗の思想を担った人々は、新たな経典を編さんしつつ、自らを「菩薩」と称し、それまでの出家修行者が目指した阿羅漢果ではなく、釈尊と同じ仏の境地を求め、一切衆生を救済する「利他」の実践を重んじた。それはまた、自らの覚りに安住することなく、一切衆生の幸福を目指して教えを説いた、釈尊という原点に回帰する運動であったともいえよう。 大乗運動の起源については、いまだ明らかではない。近年、国内の研究では、教団の分裂(破僧)の定義変更に端を発するという視点や、大衆部の出家者が初期大乗経典の形成に関与したという視点がある。また、口頭伝承から筆写伝承に移行する中で思想的深化が生じ、新たな経典が創作されたという視点なども提示されているが、単一の淵源を持つ運動であったのかどうかを含めて議論が続けられており、結論は出ていない。 新たに編さんされた大乗の経典では、“従来の正法が滅びる時代に、より救済力の優れた教えが興隆する”という主張が生まれた。大乗の思想を担った人々には、仏教教団が分裂し、それらの教えが形骸化しているという危機意識があったのかもしれない。 “新たな正法”を模索する運動は、多種多様な大乗経典を生み出していく。 ![]() 写真は、ペトロフスキー本をはじめ各種の法華経写本を収めた「ロシア科学アカデミー東洋古文書研究所所蔵梵文法華経写本(SI P/5他)――写真版」から。白樺の樹皮や貝葉(ターラ樹の葉)、紙などに書写された仏典を「写本」という。これまで創価学会と東洋哲学研究所は共同事業として「法華経写本シリーズ」刊行を推進。法華経の原典研究に寄与している 最高峰の仏典の誕生 あらゆる人々を仏の境涯へ 大乗の経典は、それ以前に民衆に親しまれていた仏伝文学や仏教説話の要素を取り入れていた。また、あらゆる事物が固定的な実態を有しないと捉える「空」の思想などが、初期仏典を基礎として発展していった。 仏教学者の中村元博士は、大乗経典について、「戯曲的構想をとりながら、その奥に深い哲学的意義を寓意させ、しかも一般民衆の好みに合うように作製された宗教的文芸作品」(『中村元選集〔決定版〕第21巻 大乗仏教の思想』春秋社)と表現している。 後にインドの大乗仏教は、仏教思想家(論師)のナーガールジュナ(竜樹、2世紀)の思想を基礎に置く「中観派」と、ヴァスバンドゥ(世親〈天親〉、5世紀)の思想を代表とする「瑜伽行唯識派」という二大潮流へと展開していくことになる。とはいえ、インドに残る碑文のうち、5~6世紀より前に大乗の教団に言及するものは発見されていない。インドにおける仏教の主流は、長らく伝統的な部派教団が担っていたのだろう。 かつて池田先生と対談集を編んだインドの仏教学者ロケッシュ・チャンドラ博士は、大乗仏教の重要な要素として三点を挙げた。すなわち、衆生を救済するという「誓願」、その誓願を果たすために功徳を他者に振り向ける利他行為としての「回向」、そして、未来の成仏を保証する「授記」である。 “仏は釈尊一人ではない。釈尊が成道する前に菩薩としての修行に励んだように、修行をすれば誰もが仏の境地に至ることができる”――大乗経典が示すこうした主張は、伝統的な仏教の側からすれば、革命的な考え方であったはずだ。 池田先生は、大乗の思想を担った人々について、こう語った。 「“いかなる困難があろうとも、釈尊の歩んだ道を自分も進もう!”と決意し、誓願した人々です」「大乗の人々は、釈尊の原点に立ち返りました。生き生きとして、幸福への軌道に民衆を導いた釈尊の精神のルネサンス(再生、復興)を図ったのです」(対談集『東洋の哲学を語る』) こうした大乗の経典編さん運動の中で、とりわけ万人救済の精神が横溢する、最高峰の英知が結集された経典が誕生した。それが「法華経」である。 「如我等無異(我が如く等しくして異なること無からしめん)」――法華経に示された経文からは、“あらゆる人々を釈尊と等しい仏の境涯へ高めたい”という、やむにやまれぬ民衆救済の熱情が胸に迫ってくる。大乗仏教の精髄とされるゆえんである。 一切衆生の幸福を願い、法を説き続けた釈尊の真意が、余すところなく明かされた最勝の仏典。法華経はやがて、中央アジアを経て中国にもたらされ、韓半島・日本へ流布されていく。 法華経の思想の卓越性はどこにあるのか。次回はその点を見たい。(続く) [VIEW POINT]大法師 大乗の経典には、法が説かれる場所を敬い、法を説く者(法師)を仏と同様に尊重するよう促すような言葉が、それまでの経典と比べて多く見られるようになります。 大乗仏教の精髄である法華経でも、法師品の中で、釈尊滅後の悪世に現れる「法師」の使命が幾重にも強調されています。“菩薩が衆生を救うため、あえて清浄の大果報を捨てて、悪世での妙法弘通を選び取ったのだ”“ただ一人のために、たった一言でも妙法を語るならば、その人は如来(仏)の使いなのだ”と――。 「御義口伝」には、妙法を唱える日蓮大聖人とその一門こそが「法師の中の大法師」(新1026・全736)であり、如来の「真実の御使い」(新1027・全736)であると仰せです。池田先生は講義の中で述べました。「法華経の真髄である題目を唱えに唱え、智慧と慈悲と勇気を湧き出しながら社会に貢献する創価学会員こそ、直系の『大法師』でありましょう」 苦悩の現実の中で、宿命に屈することなく広布の使命に生き抜く。師弟共戦で進む私たち創価の同志の胸中には、仏の大願に連なり、妙法を全世界へ語り広げるという後継の誇りが深く脈打っています。 ![]() |