| 釈尊⑬ 25年6月3日 |
| 自帰依・法帰依 困難に揺るがない不動の自己を 釈尊がたどる生涯最後の弘教の旅路。弟子のアーナンダ(阿難)と二人で竹林村に滞在していた折、釈尊は死にひんする大病を患うも、力を奮い起こして克服した。 この時、釈尊は、自らの余命がいくばくもないことをアーナンダに告げたという。愛弟子は、不安と悲しみに襲われたに違いない。釈尊は、こう励ましている。 「強く生きよ。強くなるんだ。自分が弱ければ、どうして幸福になれようか。悩める人を救っていけようか」(「仏陀」の章) 釈尊は、アーナンダに対して、「今も、またこれからも、自らを島とし、自らを頼りとして、他人を頼りとせず、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあれ」と説いたとされる。 雨期のたびに洪水に見舞われた古代インドにあって、水没しない小高い「島(洲)」は、まさに確かな“よりどころ”を象徴していよう。この「自帰依・法帰依」の教えは、釈尊が繰り返し説いたものである。 他者に依存して救いを待つのではなく、絶対の正法をよりどころとし、いかなる困難にも揺るがない不動の自己を確立せよ――これこそ、自身の入滅の近きを知った釈尊が、弟子に望んだことであっただろう。どこまでも個人の尊厳と主体性を重んじる、人間主義の宗教の根幹が垣間見える。 釈尊は、この地にしばらく滞在した後、アーナンダを伴って遊行の旅に再び出発する。各地で法を説いて歩き、やがてパーヴァー(波婆)に至った。 ここで、釈尊の教えを聞いて歓喜した鍛冶職人のチュンダ(純陀)が、真心で料理を供養した。仏伝は、この時、釈尊が激しい下痢をしたと記す。 苦痛に耐えながらも、釈尊はクシナーラー(拘尸那城)を目指して旅を続けた。出発の地である霊鷲山から見て北西に位置するその町は、故郷のカピラヴァットゥ(迦毘羅衛国)までの道筋にある。死期を悟っていた釈尊の胸に、望郷の念が去来していたのかもしれない。 クシナーラーの城壁の近くまで来た時、釈尊は、「私は疲れた。横になりたい」と言って、一対のサーラ(沙羅)の樹の間に寝床を敷くように、アーナンダに頼んだ。仏典は、釈尊が頭を北に向け、右脇を下につけて、足の上に足を重ねた姿で横になったと叙述する。この時、サーラの双樹(沙羅双樹)には時ならざる花が開いたとも記す。 アーナンダは釈尊から離れると、人知れず、むせび泣いた。 「私には、まだまだ学ばねばならないことがある。それなのに、わが師は間もなくこの世を去ってしまう……」 釈尊は、悲嘆する愛弟子を傍らに呼び、こう言葉をかけた。 「アーナンダよ、長い間、よく私に仕えてくれた……」 ![]() 仏の入滅 怠りなく励み、修行を完成させよ 「過去の世にも正しく覚りを開いた人々がおり、その尊師たちにも弟子がいた。未来の世にもまた、正しく覚りを開く人々が現れ、最上の弟子がいるであろう。私にとってのアーナンダのように」 師への随順を貫いてきた愛弟子にとって、これ以上ない誉れの言葉である。アーナンダは涙を拭い、後継の誓いを新たにしたに違いない。 やがて、釈尊の入滅が近いことを知った町の人々が、釈尊のもとを訪れ、悲涙の中に礼をささげ、帰っていった。この折、異教の遍歴行者であるスバッダ(須跋陀羅)が“釈尊に会って教えを請いたい”と、やって来た。師の体を気遣うアーナンダが拒んだが、それでも引かないスバッダと、押し問答になる。 その時、釈尊は「やめなさい、アーナンダよ」と声をかけた。「スバッダを拒んではならない。聞かれたことには、何でも答えよう」 命を削るような、釈尊の最後の布教。感激したスバッダは、その場で帰依を申し出た。彼は釈尊の、最後の直弟子となったのだ。 「……アーナンダよ」。伏した釈尊が口を開いた。「弟子のあなたたちは後に、こう思うかもしれない。『私たちの師はもういないのだ』と。それは違う。私が説いてきた教えこそ、わが亡き後、あなたたちの師となるのだ」 そして釈尊は、集まった弟子たちに、「後に疑念が生じて、聞いておけばよかったと後悔しないよう、聞きたいことは何でも聞きなさい」と語りかけた。3度、繰り返したが、声を出す者はいない。 「仏陀」の章は、この場面を「臨終を前にして、なお、自分たちを教え導こうとする師の心に、弟子たちは感涙を抑えるのに精いっぱいであった」と描写する。 ようやくして、アーナンダが、「弟子のうちに、誰一人として、疑いを抱く者などおりません」と答えると、釈尊は言った。「何も疑いが生じていない。そうであれば、修行者は皆、退転せず、正しい覚りに達するであろう」 そして「仏陀」の章では、仏の入滅について、こうつづる。 ――釈尊は、最後の力を振り絞るようにして言った。 「全ては過ぎ去ってゆく。怠りなく励み、修行を完成させなさい……」 こう告げると、釈尊は静かに目を閉じた。そして、息絶え、安らかに永久の眠りについた。 「世尊!……」 弟子たちは、口々に彼を呼んだ。 サーラの双樹の淡い黄色の花が、風に舞い、釈尊の体の上に散った。これが、人間・仏陀の、偉大なる「人類の教師」の最期であった―― 仏典では、仏の入滅に際して、諸天や弟子らが哀悼の偈を唱えたとも伝える。 成道から半世紀近くを、民衆救済にささげた比類なき覚者。最期の瞬間まで法を説き、80歳にして、その尊き生涯の幕を下ろしたのである。 (「釈尊」にまつわる連載は今回まで。次回からは仏典の継承について、たどっていく予定です) [VIEW POINT]弟子の誓い 釈尊が入滅し、多くの人々が嘆き悲しむ中、年老いて出家した一人の仏弟子が、周囲の弟子たちにこう言ったとされます。「嘆く必要はない。我らは世尊の圧迫から解放されたのだ。もう悩まされることもない。今後は欲するままに振る舞おうではないか」。手のひらを返すような態度に、あぜんとした弟子がいたでしょう。師の教えを正しく残さなければならないと、決意した弟子もいたに違いありません。 日蓮大聖人は「祈禱抄」で、仏弟子たちが師・釈尊の入滅を前にして、「法華経の敵」に対する闘争心を表明し、果敢な法戦を誓う場面をつづられています。弟子の決意を聞いて釈尊は喜び、「善きかな、善きかな」(新592・全1351)と弟子を褒めたたえました。さらに弟子たちは、“師が喜ばれるなら”と、一人一人、広布の誓いを述べていったと仰せです。 池田先生は語りました。「燃えたぎる闘魂――『戦う心』『戦いぬく師子の心』によってこそ、仏法の正義の命脈は受け継がれていく」と。師匠の広布の大願を、わが大願と定めて生き抜くことが、師恩に報いる道です。“師のために”と誓う人の胸中には、いかなる障魔にも負けない不屈の闘魂が涌現するのです。 |