| 釈尊④ 24年9月2日 |
| 梵天勧請 己心にみなぎる不退の意志 釈尊が成道した年齢は諸説あり、30歳とも、35歳とも考えられている。 仏伝によると、ガヤー(後のブッダガヤ)にある菩提樹下で正覚を得た釈尊は、しばらくその場で足を組んだまま瞑想にふけり、何日間も法楽に浸っていたという。 通りかかった2人の商人が、釈尊の姿を見て食物を供養し、帰依した逸話もある。 成道の直後、森羅万象が「縁りて起こる」という、釈尊が覚り得た深遠な法理それ自体には、いまだ名もない。 瞑想する釈尊は、その法理の内実を吟味しながら、洞察を進める中で、徐々に教法としての形を整えていたのかもしれない。 この時、釈尊の心を占めたのは、“この法を、世間の人々に説くべきか否か”という深い葛藤であった。 大悟を遂げた釈尊の胸の内には、無上の大法――「生命の法」がまぎれもなく実像を結んでいたに違いない。 しかし仏伝は、説法をためらう釈尊の心中を、“私が真理を説いたとて、誰も理解できないのではないか”“欲望の闇に覆われた世の人々には、深遠で難解なこの大法を見ることすらできないだろう”などと描写する。 「釈尊は孤独を感じた」。池田先生は「仏陀」の章で釈尊の心中をそう捉え、「未聞の法を得た者のみが知る、『覚者の孤独』であった」と記している。 ある仏伝には、釈尊のもとに現れた悪魔が、“覚ったものは、自分のものだけにすればよい”“なぜ他人に教える必要があるのか”などと、語りかけてくる様子も描かれている。 「仏陀」の章は、「この時も悪魔が現れ、釈尊を苦しめたとされる」とつづる。 ――それは、法を説くことを思いとどまらせようとする、己心の魔との戦いと解せる。魔は、仏陀となった釈尊に対しても、心の間隙を突くようにして競い起こり、さいなみ続けた。 「仏」だからといって、特別な存在になるわけではない。苦悩も、魔の誘惑もある。この魔と間断なく戦い続ける勇者が「仏」なのである―― 法を説くことを逡巡する釈尊だったが、その前に梵天が現れ、再三、説法を勧めるという話が仏伝にある。 梵天とは、仏法を守護する諸天善神だが、元来、古代インドで尊崇された、世界の創造原理が人格化した神である。 “苦悩に憂い沈む民衆のためにも、立て、勇者よ! 世間を遊行し、どうか法を説きたまえ! 覚る者はいるはずだ”――。「梵天勧請」として知られるエピソードである。 「仏陀」の章には、「それは、自己の使命を自覚し、遂行しようとする釈尊の、不退の意志の力を意味しているといえよう」とある。 かくして、未聞の大法を一切衆生に説くことを決心した釈尊は、瞑想から立ち上がった。“この深遠なる真理を、私はまず誰に説くべきだろうか……” ![]() 初転法輪 慈悲の行としての仏教の誕生 仏伝によれば、かつて釈尊が師事した2人の仙人が最初に思い浮かんだが、2人とも、すでにこの世を去っていると知った。 ならばと、次に釈尊が思いついたのが、苦行に努めていた時の5人の修行仲間たちだった。 “彼らなら、私の教えを理解できるに違いない”。旧友たちがいるバーラーナシー(ベナレス)近郊の鹿野苑(ミガダーヤ)まで、ガヤーから200キロ以上はあった。 それでも釈尊は遠路をものともせず、ガンジス川を遡上するように北西へと歩みを進めたとされる。 仏伝では、鹿野苑にいた5人が、かなたから来る、かつての修行仲間である釈尊の姿を目にしたときの様子を、こう示す。 「堕落して苦行をやめたゴータマだ」「近づいてきても、あいさつするのはよそう。立って迎える必要もない」。 旧友たちは釈尊へ、さげすむような視線を投げつけていただろう。 その時の場面を「仏陀」の章は、このようにつづっている。 「釈尊は堂々としていた。彼が歩み寄り、笑みを浮かべて話しかけると、思わず五人は立ち上がっていた。 無視することのできない、吸引力ともいうべき力が、その声にはあった」 釈尊は彼らに、自ら大悟を得たことを語った。 それでも5人は“努力をやめ、ぜいたくな暮らしに走ったあなたが、どうして覚ることができようか”と、重ねて非難したと、仏伝に示されている。 そこで釈尊は言い放つ。「あなたたちは今まで、私がこのように光り輝く姿を見たことがあっただろうか」 ――釈尊の目には、大確信の光がみなぎり、その姿は、威厳と自信と誇りにあふれていた。 釈尊の「人間の輝き」を前にして、ついに5人の修行者は仏陀の教えを求める決心をした―― 釈尊は教えを説くため、鹿野苑の地で、5人の修行者たちと托鉢をしながらの生活を始めたと仏伝にある。 ――釈尊が覚知した法は、あまりにも偉大である。そのため釈尊は、5人が分かるように理論を組み立て、平易な実践論とし、彼らの機根に即して、具体的に法を語っていった。 それゆえ、この時の教えは多分に随他意的であった―― 「初転法輪」といわれる釈尊最初の説法。多くの仏伝では、快楽主義と苦行・禁欲主義の両極端によらない「中道」の生き方を教え、基本となる苦諦・集諦・滅諦・道諦の四つの真理(「四諦」)を示したとある。 そして、そのための修行法(「八正道」)を説いたとされる。 やがて、5人のうちの1人であるコーンダンニャ(憍陳如)が教えを理解して覚りを開き、残りの4人も、次々と覚りを開くことができた。 ――釈尊が覚った法は、釈尊だけに限らず、万人が覚ることのできる法であることが実証された。 それは、自利にとどまらない、慈悲の行としての仏教の誕生を意味していた――(続く) [VIEW POINT]勇者の思索 仏伝で描かれる、成道直後の釈尊が瞑想の中で抱いた“人々に法を説くべきか”“誰も理解できないのでは”という、現実を見据えた葛藤。 末法においてただお一人、人々の悪縁となる魔性の正体を見抜いた日蓮大聖人もまた、“その真実を叫ぶべきか否か”と、立宗宣言に至るまでに深く葛藤されました。 その御心情は「開目抄」に克明に記されています。 ――民衆を不幸に陥れる謗法の真実を明かせば、障魔が競い起こることは必然だ。一方、言わなければ、無慈悲ゆえに後生は必ず無間地獄に堕ちることも経文に明らかである。 言うか、言わざるか――。大聖人は「二辺の中にはいうべし」(新70・全200)と、大難が起こることを覚悟の上で、妙法流布を開始されました。 正法弘通に伴って予期される魔性の嵐。 それでも、民衆救済のために一人、立ち上がる決意をされた大聖人の壮絶な精神闘争。 池田先生は「全宇宙に瀰漫する魔軍を完全に破ることの険しさに思いをめぐらした、真実の勇者ならではの真剣な思索」と語っています。 大難必定の前途を覚悟の上で、広布に勇み立つ創価学会員の胸中には、御本仏の忍難弘通の大闘争に連なる誇りが輝いています。 |