| 釈尊③ 24年8月6日 |
| 悪魔の誘惑 己心の内における激しい葛藤 ウルヴェーラーの苦行林から出た釈尊は、いかにして成道に至ったのか。「仏陀」の章には、その経緯がつづられていく。 ――苦行をやめた釈尊は、近くを流れるネーランジャラー川(尼に連禅河)で身を洗い清めた。 しかし、岸に上がることすらままならないほど、体は衰弱しきっていた。 村の娘であるスジャーターが差し出した乳粥を口にして、命をつなぎ、体力を回復した釈尊は、新たな覚りの道を歩み始める―― ![]() それまで釈尊と一緒に苦行に励んできた修行者たちは、釈尊が食事する姿を見て、「彼は努め励むのを捨てて、ぜいたくになった」と非難したと仏伝にある。 当時、修行者の間で称揚されていた苦行を捨てるということが、どれほど勇気のいることであったか。 釈尊は、強い信念のもと、あえて周囲の誹謗をものともせず、真実の道程へと足を踏み出したに違いない。 ――ネーランジャラー川を渡たって、ガヤー(後のブッダガヤ)まで至ると、枝を広げていた一本の樹(菩提樹)の下に座った。 “たとえ自分の体が干上がったとしても、正しい覚りを得るまでは、この組んだ足を解くまい” そう心に誓うと、呼吸を整え、思念を凝らした。静寂の中で時折、木の葉が風に揺れて乾いた音を立てた―― さまざまな仏伝に、“瞑想に励む釈尊を悪魔が誘惑した”という話が出てくる。誘惑の方法は仏伝によって異なるが、悪魔が優しく語りかけたとするものもある。 「仏陀」の章には、こうある。 「悪魔は、まず生命の危機を説き、生きることを促がしたあと、バラモンの教えに従がっていれば、そんな苦労をすることなく、多くの功徳を積むことができると説得する。 そして、釈尊のやっていることは、無意味であると語るのである」 欲望への執着、飢えや眠気が、釈尊の心を襲う。体力を消耗する中で、死への恐怖もやってきた。 さらには、“こんなことをしても、結局、覚りを得ることはできないのではないか”といった底知れぬ不安や疑惑にも、心をさいなまれたことだろう。 執拗に迫り来る魔が、求道の心を悩乱させる。しかし釈尊は、一歩も後退しなかった。 悪魔の誘惑――それは、己心における煩悩の働きにほかならないことを、釈尊は鋭く見抜いていた。 “勇者は勝つ。私は戦う。敗れて生きるより、戦って死ぬ方がましである!” 悪魔は“つけ込こむ隙がない”と、立ち去った。誘惑を退けた釈尊の心は、穏やかさを取り戻した。 瞑想を深めていく釈尊の精神は、世俗の欲を離れて澄み渡り、やがて、不動な境地が確立された。 満天には無数の星が瞬たき、静寂が辺りを包んでいた。 |