1993年(平成5年)
創価ルネサンス・勝利の年
25年3月31日
1・24~3・21 北・南米訪問
 1993年(平成5年)、池田先生の北・南米指導は57日間に及んだ。1月24日のアメリカ・ロサンゼルスに始まり、訪れた地域は6カ国9都市。途中、日付変更線と赤道、そしてアンデスの峰をいずれも数度にわたって越えるという、壮大な平和旅だった。
 初めて訪れたのは、コロンビア、アルゼンチン、パラグアイ、チリの4カ国。どの国でも広布の発展の礎が刻まれた。アルゼンチンでは世界青年平和文化祭を開催。50カ国・地域目の海外訪問となったチリでは、第1回の総会が行われ、「一人も残らず、大満足、大勝利、大福運の人生を」と励ましを送った。
 各国の友は、それぞれの地で信頼を地道に広げてきた。どの地にあっても、先生は一人と絆を結び、尊い足跡をたたえた。この間、国家・州からの勲章や顕彰、また名誉市民の称号、さらに大学からの名誉学術称号が、先生に授与された。平和・文化に寄与する先生の行動を高く評価してのものだった。
 共に平和のために行動する識者との再会や新たな出会いも多くあった。先生はアメリカ・カリフォルニア州の名門クレアモント・マッケナ大学で記念講演。講評したのが、2度のノーベル賞受賞で知られるライナス・ポーリング博士だった。博士は91歳だったが、講演を聴くため、飛行機と車を乗り継いだ。
 博士は断言した。
 「仏法で説く菩薩の境涯こそが、人類を幸福にします。悩める人に真心をこめて手を差し伸べる行動こそ、今、世界に必要なものです」
 「私たちには創価学会があります。そして宗教の本来の使命である平和の建設に献身される池田SGI会長がおられます」
 1月30日、“人権の母”ローザ・パークス氏をアメリカ創価大学ロサンゼルス・キャンパス(当時)に迎えた。氏は語った。
 「会ってすぐに、これほどまでに親しみを覚え、『友人だ』と実感できる人には会ったことがありません」
 さらに、「きょう会長にお会いしたことによって、『世界平和』への活動という新しい側面が、私の人生に開けてきたような気がします」とも述べた。
 2月9日、新聞記者として独裁政権と戦い、「世界人権宣言」の起草に尽くしたブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁と、リオデジャネイロの空港で初めての出会いを刻む。総裁は2時間も前から先生の到着を待った。周囲が別室で休むように勧めると総裁は語った。
 「私は、94年間も池田会長を待っていたのです。1時間や2時間は何ともありません」
 先生との出会いから7カ月後、総裁は生涯の幕を閉じる。亡くなる直前まで、先生との対談集の作成に取り組んだ。両者の対談集『二十一世紀の人権を語る』は、95年(同7年)2月11日、戸田先生の生誕95周年の日に発刊された。
 対談集は、総裁の言葉で結ばれた。
 「池田会長の存在は、人類の歴史に残り、その運動は時代とともに広がりゆくことでしょう。そして21世紀は、新たなヒューマニズムが実現された時代として、人類の歴史に深く刻まれることになるでしょう」

ローザ・パークス氏を池田先生が歓迎(1993年1月30日、アメリカ創価大学ロサンゼルス・キャンパス〈当時〉で)

リオデジャネイロの空港に到着した池田先生とアタイデ総裁が出会いを刻む(1993年2月9日)

8・6  小説「新・人間革命」起稿
 池田先生が執筆を続けた小説『人間革命』の連載は、1993年(平成5年)2月11日、恩師・戸田先生の生誕93周年の日に完結した。続編となる『新・人間革命』の執筆を開始したのは8月6日。恩師と最後の夏を過ごした軽井沢だった。
 広島への原子爆弾投下から48年のこの日、先生は長野研修道場に、平和活動家・ラダクリシュナン博士を迎えた。博士は会見前、マハトマ・ガンジーが暴力を否定し、“「魂の力」は原子爆弾よりも強い”と話していたことに触れ、語った。
 「この、誰もが持つ『魂の力』を引き出し、平和を生み出していく。これこそ池田先生が進めておられる運動です」
 会見で先生は、一枚の原稿用紙を手に取り、紹介した。こう記されていた。
 「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」
 『新・人間革命』の冒頭だった。後年、博士は語っている。
 「私が『人類の暗黒の日』と考えていた、この8月6日に、いわば、民衆一人一人の人生の軌跡をもって、創価学会の真実の歴史をとどめようとされていることに深い感動を覚えました」
 先生は『新・人間革命』第1巻の「はじめに」に記した。
 「私が、『人間革命』の続編として、『新・人間革命』の執筆を思いたったのは、先生亡き後の広宣流布の世界への広がりこそが、恩師の本当の偉大さの証明になると考えたからである。また、恩師の精神を未来永遠に伝えゆくには、後継の『弟子の道』を書き残さなければならないとの思いからであった」
 全30巻の原稿を脱稿したのは、2018年(同30年)の8月6日だった。同年9月8日、全30巻の連載が完結。この日、先生は「あとがき」につづった。
 「小説『新・人間革命』の完結を新しい出発として、創価の同志が『山本伸一』として立ち、友の幸福のために走り、間断なき不屈の行動をもって、自身の輝ける『人間革命』の歴史を綴られんことを、心から念願している」

小説『新・人間革命』第1巻の冒頭が記された直筆原稿

◆年表◆
1993年
【1993年(平成5年)創価ルネサンス・勝利の年】
  
 〈1月24日〉
 北・南米訪問(〜3月21日。アメリカ、コロンビア、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、チリ)
アメリカのクレアモント・マッケナ大学で「新しき統合原理を求めて」と題し記念講演。ライナス・ポーリング博士が講評(1月29日)。“アメリカ公民権運動の母”とたたえられるローザ・パークス氏と会談。「ローザ・パークス人道賞」を受賞(30日)
コロンビア共和国から「サン・カルロス大十字勲章」を大統領府で受章(2月8日)
ブラジルのリオデジャネイロ連邦大学から名誉博士号を受ける(2月11日)。ブラジル文学アカデミーの「在外会員」に就任。「人間文明の希望の朝を」と題し記念講演。同アカデミーのアウストレジェジロ・デ・アタイデ総裁と会見(12日)。後に対談集『二十一世紀の人権を語る』を発刊
アルゼンチン国立ローマス・デ・サモーラ大学から名誉博士号と法学部名誉教授の称号を受ける。「『世界市民』育成の流れを」と題し謝辞を述べる(2月17日)
パラグアイ共和国から「国家功労大十字勲章」を外務省で受章。国立アスンシオン大学から哲学部名誉博士号を受ける(2月22日)
パラグアイより、空路、チリ共和国へ。チリが池田先生の50カ国・地域目の訪問国となる。機中からは、夕陽を浴びて黄金に輝くアンデスの山並みが見え、「荘厳な 金色に包まれ 白雪の アンデス越えたり 我は勝ちたり」「仏勅の 世界広布の 国々は 五十ケ国の チリなるかな」との和歌を詠む(2月23日)
ブラジルのサンパウロ大学から名誉客員教授称号を受ける(代理 2月26日、ブラジル)
  
 〈2月11日〉
 小説「人間革命」全12巻の聖教新聞連載が完結。通算1509回
  
 〈4月6日〉
 マレーシアのアズラン・シャー国王を迎賓館に表敬訪問(東京)
  
 〈4月24日〉
 東京富士美術館開館10周年記念「巨匠ゴヤの名作(四大版画集)」展を鑑賞
  
 〈5月8日〉
 アジア訪問(~19日。フィリピン、香港)
フィリピンのフィデル・ラモス大統領とマラカニアン宮殿で会見(10日)。香港創価幼稚園を初訪問(15日)
  
 〈8月6日〉
 小説「新・人間革命」の執筆を開始。広島への原爆投下から48年にあたる日に、師弟語らいの天地・長野で筆を執る。その冒頭には「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」と記す
  
 〈9月12日〉
 インド「創価菩提樹園」のオープンに際し、メッセージを贈る〈池田先生のインド初訪問の折にブッダガヤの大地に納めた「東洋広布」の石碑を2015年、同園に移設・埋納〉
  
 〈9月15日〉
 北米訪問(~10月4日。アメリカ、カナダ)
ハーバード大学で「21世紀文明と大乗仏教」と題し2度目の記念講演。同大のジョン・ケネス・ガルブレイス名誉教授らが講評。ボストン21世紀センター(現・池田国際対話センター)を設立(9月24日)
カナダSGIのモントリオール総会(9月28日)。海外初開催の「現代世界の人権」展(SGI主催)モントリオール展の開幕式(29日)。バンクーバー総会(10月1日)
  
 〈10月19日〉
 チリ共和国から「チリ功労大十字勲章」を受章(東京)
  
 〈10月24日〉
 東京牧口記念会館の開館式
  
 〈11月5日〉
 エルサルバドル共和国から「ホセ・マティアス・デルガード国家大十字勲章 銀章」を受章(東京)
  
 〈11月18日〉
 聖教新聞で小説「新・人間革命」の連載を開始
  
 〈12月19日〉
 国連のブトロス・ブトロス=ガリ事務総長と会見(東京)
  
※9月、学会は、仏意仏勅の広宣流布を進める唯一の和合僧として、日寛上人書写の御本尊を全世界の会員に授与していくことを決議・制定した