1992年(平成4年) 創価ルネサンスの年 25年2月26日 |
1・28~2・22 アジアへの平和旅 1992年(平成4年)は「創価ルネサンスの年」と定められた。「ルネサンス」とは、フランス語の「再生」「復興」という意味。宗門から「魂の独立」を果たし、学会は新たな前進を開始した。 この年の1月28日、池田先生のアジア平和旅が香港から始まる。翌29日、香港SGI最高会議が行われた。席上、同SGIの「仏法ルネサンス宣言」が採択された。先生は「信心即生活」「仏法即社会」の着実な実証を示す香港の友に温かな励ましを送った。 翌30日、香港中文大学から「最高客員教授」称号が授与される。先生は「中国的人間主義の伝統」をテーマに記念講演を行った。 31日、平和旅の舞台はタイへ。先生は2月1日に最高会議、2日に代表者会、3日に各部代表者会議に出席し、「良き市民」として活躍する友をたたえた。 4日、プーミポン国王を表敬訪問。国王御撮影の特別写真展が各国で感動を広げた模様を伝え、心と心を結ぶ芸術の力などについて語り合った。 5日、タイ広布31周年を記念する総会に出席し、翌6日にインドへ。12日間の滞在で、ベンカタラマン大統領、シャルマ副大統領らと会談。また、ガンジー記念館の招へいで、インド国立博物館講堂で「不戦世界を目指して――ガンジー主義と現代」と題して講演。非暴力デリー会議から最高特別会員称号が、国際科学文化・意識センターからはグローバル意識開拓賞が贈られている。 17日、先生は再び香港へ。諸行事を終えた22日、今度は沖縄へと旅立った。 世界宗教へと本格的な飛翔を開始するため、先生は動きに動き、語りに語り抜いた。その不惜身命の闘争によって、創価ルネサンスの幕は開かれたのである。 ![]() 1992年2月15日、インド・ニューデリーでメンバーを励ます池田先生 2・25~27 第一回SGIアジア総会 沖縄研修道場に友の笑顔が幾重にも広がった。1992年(平成4年)2月25日から27日の3日間、池田先生と15カ国・地域の代表が出席して、「第1回SGIアジア総会」が開催された。 総会1日目の25日、開幕の意義を込めた勤行会が行われた。先生は訴えた。 「大聖人の仰せどおりに、『自行化他』の実践をしているのは創価学会である。仰せどおりに、社会の中で人々を救っているのは創価学会である。仰せどおりに、世界広宣流布を実現してきたのは創価学会である。学会にこそ『無二の信心』『正しき信心』『深き信心』がある」 2日目の26日、先生はインドでのアジア総会や文化祭の開催を提案。また、ニューデリーに“菩提樹園”を建設する構想も発表された。 3日目の最終日、アジア総会ならびに平和音楽祭が、本部幹部会、沖縄県総会の意義を込めて行われた。音楽祭では、マレーシア、インドネシア、フィリピン、シンガポールの友らが出演。喜びの歌と舞が会場を沸かせた。 先生は太鼓を手にリズムを取り、笑顔で友を見つめた。フィナーレでは、本土復帰の年に生まれた20歳のメンバーを中心に構成された「復帰っ子合唱団」が登場。感極まった参加者が立ち上がり、カチャーシーを舞った。 先生はスピーチで、「学会員は皆、沖縄の魂のごとく、第一級の国際人として、新しいルネサンス、新しい宗教改革、新しい大航海時代の大舞台に出航していきたい」と呼びかけた。 総会終了後、野外記念交歓会が行われた。先生は同志の輪の中に入り、共に舞った。交わる笑顔と笑顔。固く結ばれた心と心の絆。人間共和という創価の真実の姿が、そこにあった。 ![]() 第1回SGIアジア総会の折の野外記念交歓会。池田先生が祝福の紙吹雪を(1992年2月27日) 11・24 小説『人間革命』を脱稿 執筆開始から28星霜。連載回数は1509回に上った。1992年(平成4年)11月24日、池田先生は小説『人間革命』全12巻を脱稿した。その最後に、先生はこう記した。 「わが恩師 戸田城聖先生に捧ぐ 弟子 池田大作」 『人間革命』の完結は、池田先生が戸田先生との誓いを果たした、勝利の証しにほかならなかった。 戸田先生との師弟不二の青春の中で、池田先生は恩師の真実を書き残す決意を固める。64年(昭和39年)12月2日、沖縄で執筆を開始する。 65年(同40年)1月1日付に掲載された連載第1回の「黎明一」。戸田先生が、東京・中野の豊多摩刑務所を出獄する場面が描かれた。 戸田先生も、聖教新聞紙上に『人間革命』を連載している。その最後は、自らの獄中の悟達で締めくくられた。池田先生が、恩師の出獄から書き始めたことには、続編の意義も込められている。 池田先生は、地方指導や海外への平和旅の折にも、小説の構想を練り、原稿に向かった。体調を崩し、ペンを握ることができない日には、口述をテープに吹き込んだ。香峯子夫人が口述を筆記することもあった。 最終回の掲載は、93年(平成5年)2月11日。恩師の生誕93周年のこの日、先生は「あとがき」をブラジルの地で記す。そして、わずか半年後の8月6日、『新・人間革命』の執筆を開始。65歳から新たな言論戦を自らに課したのである。 その闘争は25年にわたって続き、2018年(同30年)に完結。『人間革命』と合わせ、通算7978回となる連載回数は、恩師との約束を果たすために戦い続けた未曽有の壮挙である。 ![]() 原稿用紙にペンを走らせる池田先生(1990年4月24日、旧・聖教新聞本社で) ◆年表◆ 1992年 【1992年(平成4年)創価ルネサンスの年】 〈1月28日〉 アジア訪問(~2月22日。香港、タイ、インド) 香港中文大学の最高客員教授称号を受け、「中国的人間主義の伝統」と題し記念講演(1月30日) インドのガンジー記念館で「不戦世界を目指して――ガンジー主義と現代」と題し記念講演(2月11日)。ラマスワミ・ベンカタラマン大統領と大統領府で会見(14日) 香港のデイビッド・ウィルソン総督と総督府で会談(2月19日) 〈2月25~27日〉 第1回SGIアジア総会。アジア15カ国・地域の代表が参加(沖縄) 〈3月26日〉 ハーバード大学のヌール・ヤーマン文化人類学部長と会談(東京)。トルコ出身の博士と、後に対談集『今日の世界 明日の文明――新たな平和のシルクロード』を発刊 〈4月5日〉 バイオリニストのユーディー・メニューイン氏と会談(東京) 〈4月8日〉 中国の江沢民総書記と迎賓館で会見(東京) 〈4月24日〉 チェコスロバキアのバーツラフ・ハベル大統領と迎賓館で会見(東京) 〈5月2日〉 ハーバード大学のハービー・コックス応用神学部長と会談(創価大学)。後に対談集『二十一世紀の平和と宗教を語る』を発刊 〈5月22日〉 英訳『法華経』を完成させたアメリカ・コロンビア大学教授で翻訳家のバートン・ワトソン博士と会談(兵庫)。1973年の初会談で池田先生から提案を受け、鳩摩羅什訳の英訳となった〈博士は2004年に英訳『御義口伝』も完成させ、池田先生が序文を綴る〉 〈6月4日〉 南アフリカのフレデリック・デクラーク大統領と会見(東京) 〈6月8日〉 欧州・中東訪問(~7月5日。ドイツ、オーストリア、エジプト、トルコ、イタリア) オーストリア共和国から「オーストリア科学・芸術名誉十字章勲一等」を文部省で受章(6月10日) トルコのアンカラ大学から名誉社会科学博士号を受け、「文明の揺籃から新しきシルクロードを」と題し記念講演(6月24日) イタリア・フィレンツェ市が世界一級の文化人に贈る「フィオリーノ金貨」をヴェッキオ宮殿で受ける(6月30日) 〈7月1日〉 フランス共和国から「芸術・文化勲章オフィシエ章」を文化省で受章(代理 フランス) 〈7月29日〉 ハワイ大学教授のマジッド・テヘラニアン博士と会談(東京)。イラン出身でイスラム教徒の博士と、後に対談集『二十一世紀への選択』を発刊 〈10月12日〉 中国訪問(第8次。~17日) 中国社会科学院から名誉研究教授称号を受け、「21世紀と東アジア文明」と題し記念講演(14日)。日中国交正常化20周年を記念する東京富士美術館所蔵「西洋絵画名作展」の開幕式(15日) 〈10月14日〉 コロンビア共和国から「コロンビア国会特別大十字勲章金章」を受章(代理 コロンビア) 〈11月3日〉 モスクワ大学のヴィクトル・A・サドーヴニチィ総長と会談(創価大学)。後に対談集『新しき人類を 新しき世界を――教育と社会を語る』『学は光――文明と教育の未来を語る』『明日の世界 教育の使命――二十一世紀の人間を考察する』を発刊 〈11月19日〉 チリのパトリシオ・エイルウィン大統領と会見(東京)。後に対談集『太平洋の旭日』を発刊 〈11月24日〉 小説『人間革命』全12巻を脱稿。原稿に「一九九二年 十一月二十四日 午前十時〇分 人間革命 十二巻 完結せり わが恩師 戸田城聖先生に捧ぐ 弟子 池田大作」と記す 〈12月22日〉 ケニアのナイロビ大学から名誉文学博士号を受ける(創価大学) 〈社会の動き〉 4月、ボスニア紛争。アメリカでロス暴動。6月、ブラジルのリオデジャネイロで地球サミット。10月、天皇陛下が初の中国訪問。 |