1991年(平成3年) 平和と拡大の年 25年1月31日 |
1月 湾岸戦争解決へ緊急アピール 1991年(平成3年)2月1日付の聖教新聞に大きな見出しが掲げられた。 「SGI会長 湾岸戦争への緊急アピール」「手遅れにならないうちに――一日も早い停戦を」 この前日、香港で開かれたSGIアジア会議総会の席上、池田先生は、湾岸戦争の早期終結へ向けて、緊急アピールを発表。国連主導による一日も早い「停戦」と「対話」による解決を提案し、緊急安全保障理事会などの開催を呼びかけた。 90年(同2年)8月2日、イラクがクウェートに侵攻。国連の安全保障理事会はイラクに対して撤退勧告を行い、経済制裁を決定した。だが、イラクは応じず、アメリカは多国籍軍を編成。91年1月17日、イラクへの空爆を行い、湾岸戦争が勃発した。 池田先生は、戦争が始まる3日前の1月14日にも、ローマクラブのホフライトネル会長をはじめ、5人の識者らとの共同提案を、イラクのフセイン大統領へ送っていた。 SGIアジア会議総会で、先生は緊急アピールについて、「どこまでも、平和を願う人類の一員として、また生命の尊厳を根本とする仏法者として、やむにやまれぬ心情から行うものであり、いかなる政治的立場に立つものでもない」と語った。 2月24日、多国籍軍は地上戦を開始。100時間ほどでクウェートは解放され、3月に停戦協定が締結された。 同年8月、日本とアメリカの友が集った会合で、先生は戦争回避と早期終結への行動を積み重ねた思いを語った。 「祈らずには、いられない。行動せずには、いられない。同志のために、人間のために、平和のために――。それが『仏法者』の心である」 ![]() 1991年1月31日、湾岸戦争への緊急アピールを採択したSGIアジア会議総会(香港で) 1月・4月・9月 海外で大学講演 人間主義の哲学を世界に発信してきた池田先生は、1991年(平成3年)、海外の大学で3回の講演を行った。 1月30日、マカオ・東亜大学(現・マカオ大学)で「新しき人類意識を求めて」と題して講演。マカオは東洋と西洋の異なる文明・文化が共存して、調和できることを示していると述べ、「人類の調和を考える貴重な先例」とたたえた。 さらに、仁・義・礼・智・信の「五常」をモットーに掲げる同大学の建学の精神を通して論を展開。「世界は、互いの主権を尊重しつつも、自国中心主義を乗り越えて『人類益』『人類主権』を志向していかねばならない転換期を迎えている。その意味で、世界市民の条件は、まさにこのエゴイズムの超克にある」と訴えた。 4月21日には、フィリピン大学の経営学部の卒業式に出席し、「平和とビジネス」をテーマに講演を行った。「もしビジネス人が事業に左右され、『企業の論理』や『資本の論理』しか眼中にないとするならば、行き着く先は、利潤をめぐる争いであり、それはしばしば戦争の誘因にさえなってきました」と述べ、平和構築に貢献するための「公正」の精神について語った。 また、9月26日には、アメリカ・ハーバード大学で「ソフト・パワーの時代と哲学――新たな日米関係を開くために」と題して記念講演。歴史を動かす力の軸足が、軍事力や経済力などの「ハード・パワー」から、文化や価値観などの「ソフト・パワー」に移りつつあるとの時代状況を踏まえ、“内発的な促し”こそが、ソフト・パワーの時代を切り開く鍵であると強調した。 仏法の視座に基づく信念の言葉は、時を超え、平和建設への光を放っている。 ![]() ハーバード大学ケネディ政治大学院のウィナー講堂で池田先生が講演(1991年9月26日) 11・29 在東京アフリカ外交団からの栄誉 1990年(平成2年)末、第2次宗門事件が表面化した。世界から称賛される池田先生に怨嫉した宗門は、学会組織の破壊を狙った「創価学会分離作戦(C作戦)」を企てる。91年(同3年)11月28日には、学会に「破門通告書」なる文書を送付した。 「通告書」が学会に届いた29日、宗門との決別を寿ぐように、在東京アフリカ外交団26カ国の総意で、池田先生に「教育・文化・人道貢献賞」が贈られた。授賞式には19カ国の大使(大使代理)等とANC(アフリカ民族会議)の駐日代表が出席。アフリカ諸国の大使、大使館代表がそろっての訪問は、異例中の異例だった。 団長のガーナ大使は、SGIは人類の理想を共有する“世界市民の集い”であると述べ、先生は「実に、どの点から見ても、“真の世界市民”であり、日本にとって“最高の大使”です」と語った。 先生は謝辞で、人間の尊厳と平等を守るため、創価学会が戦ってきたことに触れ、「人間の自由を奪い、人間を差別し、人間の尊厳を冒そうとする傲慢な勢力は絶対に許してはならない。決して妥協しない――これが私どもの一貫した精神であります」と語った。 宗門は学会員への御本尊下付停止など、信教の自由を踏みにじる暴挙を重ねた。だが、学会は微動だにしなかった。「魂の独立」を果たした学会は、世界宗教へと大きく飛翔していった。先生は小説『新・人間革命』第30巻〈下〉「誓願」の章につづっている。 「“人権の勝利”へ、新しい時代の幕が、この日、厳然と開いたのである。各国大使の心こもる祝福は、堂々と『魂の独立』を果たした創価の未来に寄せる、喝采と期待でもあった」 ![]() 1991年11月29日、在東京アフリカ外交団からの栄誉に、謝辞を述べる池田先生(都内で) ◆年表◆ 1991年 【1991年(平成3年)平和と拡大の年】 〈1月9日〉 ニューヨークの国連本部で行われた「部分的核実験禁止条約」の改定会議に「包括的核実験禁止条約を望む」と題するアピールを寄せる 〈1月12日〉 湾岸戦争回避のためイラクへ向かうデクエヤル国連事務総長に平和的解決を期待する電報を送る 〈1月14日〉 世界の賢人5人と共にイラクのサダム・フセイン大統領にあてて、湾岸危機打開に向けての緊急アピール「勇気ある戦争回避の道を」を送る〈共同提案者は、作家のチンギス・アイトマートフ氏、物理学者のバーナード・べンソン氏、ローマクラブ会長のリカルド・ディエス=ホフライトネル氏、ユネスコ事務局長のフェデリコ・マヨール氏、ノーベル文学賞作家のウォレ・ショインカ氏〉 〈1月27日〉 香港・マカオ訪問(~2月2日) 海外初の創価幼稚園となる香港創価幼稚園の起工式(1月28日)。マカオ・東亜大学(後のマカオ大学)で名誉教授称号を受け、「新しき人類意識を求めて」と題し記念講演(30日)。SGIアジア会議総会(香港)の席上、湾岸戦争の早期解決に向けて、緊急アピール「手遅れにならないうちに――一日も早い停戦を」を発表(31日) 〈2月3日〉 世界平和祈念勤行会(沖縄) 〈3月17日〉 創価大学池田記念講堂落成式 〈4月18日〉 ソ連の国家元首として初めて来日したゴルバチョフ大統領と迎賓館で会見(東京) 〈4月19日〉 フィリピン訪問(~23日) フィリピン大学で「平和とビジネス」と題し記念講演。名誉法学博士号を受ける(21日)。コラソン・アキノ大統領とマラカニアン宮殿で会見(22日) 〈5月3日〉 小説「人間革命」の聖教新聞での連載を11年ぶりに再開(第11巻「大阪」の章) 〈6月4日〉 欧州訪問(~7月1日。ドイツ、ルクセンブルク、フランス、イギリス) 統一ドイツのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー初代大統領と大統領官邸で会見(6月12日)。フランスのアラン・ポエール上院議長と会談(20日)。フランスのヴィクトル・ユゴー文学記念館の開館式に創立者として出席。ローマクラブのリカルド・ディエス=ホフライトネル会長と会談、後に対談集『見つめあう西と東――人間革命と地球革命』を発刊(21日)。イギリスのジョン・メージャー首相と首相官邸で会見(26日) 〈7月19日〉 タイ王国から「タイ王冠勲章勲一等」を受章(東京) 〈9月22日〉 アメリカ訪問(~10月4日) ハーバード大学を訪問し、ニール・ルデンスタイン学長と会談。同大で「ソフト・パワーの時代と哲学――新たな日米関係を開くために」と題し記念講演。国際問題研究センター所長のジョセフ・ナイ教授らが講評(9月26日) 〈10月10日〉 学会創立70周年の開幕を祝う小田原記念音楽祭(神奈川) 〈10月15日〉 兵庫池田文化会館を初訪問 〈10月20日〉 中部文化友好祭(愛知) 〈11月10日〉 日本・トルコ友好文化の集い(創価大学) 〈11月16日〉 千葉文化友好祭(千葉) 〈11月29日〉 在東京アフリカ外交団(団長=ガーナ大使)から26カ国の総意として、池田先生の世界平和への貢献を讃える「教育・文化・人道貢献賞」が贈られる(東京) 〈11月30日〉 創価ルネサンス大勝利記念幹部会。「『人間のための宗教』を勇んで世界へ」とスピーチ(東京) ※11月29日、宗門から学会本部に「破門通告書」が届く。創価学会は宗門の差別主義、権威主義の鎖を断ち切り、世界宗教への飛躍を開始した。通告書の日付11月28日は創価学会にとって「魂の“独立記念日”」となった 〈社会の動き〉 1月、米主導の多国籍軍がイラクへの攻撃を開始。7月、米ブッシュ大統領とソ連ゴルバチョフ大統領が第1次戦略兵器削減条約に調印。12月、ソ連邦崩壊 |