1989年(昭和64年・平成元年)
行学・前進の年
24年10月8日
真の雄弁は全てをかけた正義への戦い
池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の“師弟の足跡”がとどめられている。本連載では、年譜を1年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる“学会の原点”を確認していく。第32回は、「行学・前進の年」と銘打たれた1989年(昭和64年・平成元年)を掲載する。

5・20~6・22 欧州への平和旅
イギリス・ロンドン郊外にあるタプロー・コート総合文化センターに、友の歓声が広がった。1989年(平成元年)5月21日、池田先生の2年ぶり12回目となるヨーロッパ歴訪の折、平和・文化運動の新たな拠点の開所式が行われた。
先生はテープカットに臨み、メンバーと勤行・唱題。開所に至るまでの友の奮闘をたたえ、記念撮影も行われた。先生は“人々に親しまれる素晴らしき「文化の城」に”と提案。同センターは平和に関する展示や家族祭を開催するなど、地域に愛され、発展を遂げていく。
13日間のイギリス滞在中、先生はオックスフォード大学、ロンドン大学で教育交流を。さらにサッチャー首相、アン王女らと会談した。22日のサッチャー首相との会見では、同センターの開所に触れ、「文化財や自然の保護にも十分に心を砕き、意義ある施設としていく所存です」と述べた。
翌23日、イギリス最高会議に出席した先生は、信仰の大切な基本として、「仏法は道理」という点を強調した。
「私どもはどこまでも社会人であり、一市民である。ゆえに自分自身の『仕事』と『生活』を大切にしていただきたい。また『家庭』を大切に、そして『隣人』を大切にしていただきたい。良き市民として、良き国民として、この現実の社会の中で、模範の人間道を歩みとおしてほしい。『正しい信心』による『正しい生活』を――。これが皆さま方への、私の心からのお願いである」
28日には、タプロー・コート総合文化センターで第1回SGI欧州総会が開かれた。先生は青年会長として立ち上がった思いを「自らがひとたび、この大地を踏みしめたからには、大聖人の『地涌の義』の仰せのごとく、“必ずや、地涌の勇者を陸続と輩出せずにはおかない”との決意であり、確信であった」と語り、後継の友へ期待を寄せた。
6月1日、平和旅の舞台はスウェーデンへ。世界43カ国目の訪問国となった。翌日、カールソン首相と会見。先生は、「私たち人類は、自らの手で変革できない不確かな運命に支配されるべきではない。未来は、私たち自身が決定していくものである」との首相の言葉を紹介しながら、平和への思いを共有した。
3日、スウェーデン文化会館の開館式でメンバーを激励。4日には、5カ国の友の笑顔が輝いた第1回SGI北欧総会に出席した。5日、グスタフ国王を王宮に表敬訪問し、「国民と共に歩む」伝統に敬意を表した。
スウェーデンでの諸行事を終え、フランスへ出発すると、7日にミッテラン大統領と会見。「青年に対する指導者の責任」について意見交換し、レジスタンスの思い出、読書などを話題に語らった。
9日はパリ第5大学を訪れ、学長らと懇談。10日、創価教育同窓の友との出会いを喜び、一人一人の活躍に心からの期待を寄せた。14日には、フランス学士院芸術アカデミーの招きを受け、学士院会議場で、「東西における芸術と精神性」と題して記念講演を行っている。
15日、6年ぶりとなるスイスへ。16日には、先生に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から「人道賞」が贈られた。17日の第2回スイス総会では、「それぞれの人生の、それぞれの道で、自分らしい『勝利者』になってこそ、幸福はある」と訴えた。
18日、再びフランスへ。19日の各部代表者会議では、「ビクトル・ユゴー文学記念館」の設立構想が発表された。
21日、日本に帰国する前、先生は欧州各国の代表と勤行し、こう語った。
「どんな時も、たくましく自分自身の中に喜びを見つけていく、広宣流布の『楽しい前進』をお願いしたい」
1カ月にわたる欧州4カ国歴訪の平和旅は、各国の要人・識者と語らいを重ね、文化交流を広げながら、メンバー一人一人と魂の絆を結ぶ激励行であった。

1989年5月21日、池田先生がイギリスのタプロー・コート総合文化センターの開所式に出席。子どもたちと庭園を散策した

8・24 全国への衛生中継が開始
1989年(平成元年)8月24日、創価の友が心を一つに新たな前進を開始した。衛星中継が始まったのである。電話回線を使っての音声中継の時代を経て、主要会館の大画面に映像も流れるようになった。
この日に行われた第1回「東京総会」で、池田先生は権威に抗ったトマス・モア、坂本龍馬の生涯に触れ、信仰の勝利者としての生き方を論じた。
「雄弁――広布の世界にも、真の雄弁の人が必要である。あらゆる場、あらゆる相手、あらゆる問題に、明快に正義を主張し、だれをも納得させていく力量がなければ、時代に後れをとる」
「真の雄弁は、口先ではない。知性のみでもない。胸と腹と頭と、全身全霊をかけた正義への戦いである。ゆえに雄弁は組織の力に寄りかかった甘えからは生まれない。一対一の抜きさしならない百戦錬磨から生まれる」
師匠の声、表情に触れ、全国に喜びが伝播した。中継を結ぶ会館が各地に広がっていくと、離島の友はこう感動を語った。「池田先生のスピーチを同時に聞けるので、学会本部と距離のあることも忘れてしまいます」
衛星中継は、翌90年(平成2年)暮れに勃発した第2次宗門事件を勝ち越える原動力となる。先生は全ての同志と対話する思いで正邪を明快に語っていった。
先生は衛星中継の意義について、「数百万の同志が、全国津々浦々の会館に集い、広宣流布を誓い合う『本幹』の衛星中継は、六万恒河沙の地涌の菩薩が雲集した、あの荘厳なる虚空会の儀式にも通じようか」と。さらに、「私は、『本幹』を、永遠に“勇気の源泉”に、“歓喜の光源”にしようと、毎回、全力投球で取り組んできた」と強調した。
現在、衛星中継は、インターネットでの中継へと発展。日本そして海外に、師匠の心が幾重にも広がっている。

池田先生が映像を通信衛星へ送る中継車の前で、夜空を仰ぎながら語らう(1990年8月24日、東北池田記念墓地公園で)

◆年表◆
1989年
【1989年(昭和64年・平成元年)行学・前進の年】

〈1月28日〉
中部・関西指導(~2月4日。愛知、大阪)

〈3月22日〉
核戦争防止国際医師の会(IPPNW)のバーナード・ラウン共同会長(アメリカ)と会談(東京)。もう一人の共同会長、ミハイル・クジン会長(ソ連)とも10月13日に会談(大阪)

〈4月5日〉
東京富士美術館で「微笑の国・タイ王国――プーミポン・アドゥンヤデート国王陛下御撮影特別写真展」開会式。同展は前年2月に国王を表敬訪問した折に提案し、実現をみた

〈5月20日〉
欧州訪問(~6月22日。イギリス、スウェーデン、フランス、スイス)
イギリスでタプロー・コート総合文化センターの開所式(5月21日)。マーガレット・サッチャー首相と首相官邸で会見(22日)。アン王女をバッキンガム宮殿に表敬訪問(25日)。第1回SGI欧州総会(28日)
スウェーデンでイングバル・カールソン首相と首相官邸で会見(6月2日)。スウェーデン文化会館の開館式(3日)。第1回SGI北欧総会(4日)。カール16世グスタフ国王を王宮に表敬訪問(5日)
フランスでフランソワ・ミッテラン大統領とエリゼ宮で会見(7日)。フランス写真博物館を訪れ、同館初の「名誉館員」の称号を受ける(12日)。フランス学士院で「東西における芸術と精神性」と題し記念講演(14日)
スイスで国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から「人道賞」を受賞(16日)

〈8月24日〉
第1回東京総会。全国の会館への衛星中継が開始

〈10月4日〉
第10回SGI総会(東京)

〈10月5日〉
イギリスの童画家ブライアン・ワイルドスミス氏と会談(東京)。その後、池田先生の創作童話『雪ぐにの王子さま』など4編のさし絵を同氏が担当し、1990年から92年にかけて発刊

〈10月7日〉
オーストリアのフランツ・フラニツキ首相と会見(東京)

〈10月11日〉
パグウォッシュ会議のジョセフ・ロートブラット会長と会談(大阪)。後に対談集『地球平和への探究』を発刊

〈10月18日〉
京都記念幹部会

〈10月23日〉
国連本部で「戦争と平和展」(SGIなどが主催、国連軍縮局が後援)が開幕。開幕式に先立ちデクエヤル国連事務総長から「特別顕彰」を受ける(代理 アメリカ)。同展は94年まで世界各国を巡回

〈11月26日〉
国際写真センターの創設者・理事長のコーネル・キャパ氏と対談(東京)。後に東京富士美術館と同センターが写真展「キャパ&キャパ」を開催

〈12月7日〉
コロンビア共和国から「国家功労大十字勲章」を受章(東京)

〈12月10日〉
アルゼンチン・タンゴの巨匠オスバルド・プグリエーセ氏と会談(東京)。後にタンゴの曲が献呈される

〈社会の動き〉
1月、天皇陛下が崩御。皇太子明仁親王殿下が皇位を継承し即位。「昭和」から「平成」と改元。11月、ベルリンの壁が崩壊。12月、米ソ首脳会談(マルタ会談)