1987年(昭和62年)「平和・地域の年」
24年8月7日
北・中米の平和旅

ポーリング博士㊧を歓迎する池田先生(1987年2月24日、創価大学ロサンゼルス分校〈当時〉で)

1987年(昭和62年)2月1日、池田先生はアメリカ、ドミニカ共和国、パナマを巡る平和旅へ出発した。1カ月に及ぶ北・中米訪問は、創価教育の城の誕生から始まった。アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス市近郊の創価大学ロサンゼルス分校(当時)である。
先生は創大が開学した時から、アメリカにも大学をつくる構想を周囲に語ってきた。同月3日、ロス分校の開所式で訴えた。
「創価大学の理想を自身の理想として継いでいこう、また新しき伝統を築き上げようという『決意』と『意志』があって初めて、ロス分校は真のロス分校になることを銘記していただきたい」
翌4日、新生のキャンパスに、ノーマン・カズンズ氏を迎えた。評論誌「サタデー・レビュー」の編集長を務めた、アメリカを代表するジャーナリストである。池田先生との対談で、氏は語った。
「人生の最大の悲劇は死ではない。生きながらの死です。生あるうちに、自らの中で何かが死に絶える。これ以上に恐ろしい人生の悲劇はありません」
先生は博士の思想に仏法との共通項を見いだし、深い共感を語った。
「仏法は『一生成仏』と説く。一生をかけて自己を完成させていかねばならない。若くして完成するのではない」
二人は、同月末にも再び対談。氏が発刊した著書を巡って、「国家」「権力」「人間」について語り合った。その後も続けられた語らいは、対談集『世界市民の対話』に結実している。
8日、先生は海外40カ国目の訪問となるドミニカ共和国へ。9日、ホアキン・バラゲール大統領と会見。先生の世界の平和・文化・教育への貢献をたたえ、「クリストバル・コロン大十字勲章」が授与された。
また、ドミニカ会館を初訪問。日本から移住し、ドミニカ広布の草創を開拓した友をたたえ、「一人ももれなく『多幸の人生』『栄光の人生』『長寿の人生』を享受せられんことを祈っております」と励ました。
17日には、3度目のパナマ訪問へ。エリク・アルトゥロ・デルバイエ大統領と会見し、同国の最高勲章「バスコ・ヌニェス・デ・バルボア勲章」を受章した。
24日、創価大学ロサンゼルス分校で、ライナス・ポーリング博士との初めての会談に臨む。史上、ただ一人、単独で「化学賞」「平和賞」という二つのノーベル賞を受けた「現代化学の父」である。博士は、サンフランシスコの自宅から800キロもの道のりを、先生に会うために駆けつけた。
会談では、平和・不戦への思いが語り合われた。先生が「未来を担いゆく世界の青少年へ何かメッセージを」と望むと、博士は応じた。
「世界の青年は平和のために努力を。人類の得た富が、軍備のために流用されていくことを防ぐことほど重要なことはない」
二人は後に、対談集を発刊。博士は、先生が93年(平成5年)にアメリカのクレアモント・マッケナ大学で講演した折、講評者として登壇し、語った。
「菩薩の行動にこそ人間としての美しき証しがあり、分断を超えて共感を結びゆくカギもあります。そして、悩める民衆を救済し、平和に寄与しゆくところに、宗教本来の重要な役割があるべきであります。しかしながら、そうした崇高なる使命とは裏腹に、宗教が常に戦争の因を築いてきたというのが、歴史の悲しい事実であります」
さらに、こう続けた。
「しかし、私たちには、創価学会があります! そして宗教の本来の使命である平和の建設に献身される池田SGI会長がおられます!」
2001年(同13年)、アメリカ創価大学(SUA)オレンジ郡キャンパスが開学。教室棟の一つは、博士とエバ夫人の精神をとどめるため、ポーリング夫妻棟と名付けられた。創立の理念、池田先生に共鳴した知性たちの期待を胸に、平和建設の若人たちが羽ばたいている。

ソ連・フランス訪問

モスクワでの「核兵器――現代世界の脅威」展の開幕式で(1987年5月25日)

「日本は、原爆が投下された世界唯一の国である。ゆえに、その悲惨さ、残酷さを、今後も、全世界を駆け巡り、訴え続けていく決意である」
1987年(昭和62年)5月25日、モスクワで始まった「核兵器――現代世界の脅威」展。開幕式であいさつに立った池田先生の烈々たる宣言が会場に響く。
「それが、日本人として、また平和主義者、仏法者としての使命であり、責任であり、義務であるとともに、偉大なる権利でもあることを確信する」
同展は14カ国17都市目の開催。各界の識者がメッセージを寄せた。国連のデクエヤル事務総長は、「地球的な破壊を取り除くことは人間の良心が要請する道」であるとし、同展の意義を訴えた。
翌26日、先生はソ連のニコライ・ルイシコフ首相と会談。次の訪問国・フランスではジャック・シラク首相と会見し、アラン・ポエール上院議長とも意見交換を行った。臨時大統領を2度務めたフランス政界の重鎮であり、反ナチ・レジスタンスの闘士でもある議長が、先生の闘争をたたえて語った。
「私は世界がナチに支配されることを恐れ、戦った。また、フランスとドイツの和解・交流のために奔走してきた。今、SGI会長は、核の脅威と戦い、平和のために奮闘しておられる。現代にあって、これ以上、尊い行動はない」
パリでは、欧州やアフリカのメンバーと語らい、平和の大道を進みゆくことを約し合った。先生は滞在中、広布の理想に生きる各国の友に長編詩を贈った。フランスの同志には、こう詠んだ。
「君よ あなたよ/仏法とは行動だ/絶えざる行動の波を起こし/日々新しき開拓の歴史をつづる/価値創造の実践の哲学者たれ」

◆年表◆
1987年
【1987年(昭和62年)平和・地域の年】

〈2月1日〉
北・中米訪問(~28日。アメリカ、ドミニカ共和国、パナマ)
アメリカで創価大学ロサンゼルス分校の開所記念祝賀会(3日)。ジャーナリスト、思想家でカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のノーマン・カズンズ教授と会談(4日)。後に対談集『世界市民の対話――平和と人間と国連をめぐって』を発刊
ドミニカ共和国から「クリストバル・コロン大十字勲章銀章」を受章(9日)。サントドミンゴ自治大学から法律政治学部名誉教授称号を受ける(10日)
パナマ共和国から「バスコ・ヌニェス・デ・バルボア勲章グラン・オフィシアル章」を受章(19日)
アメリカでノーベル化学賞・平和賞受賞者のライナス・ポーリング博士と会談(24日)。“現代化学の父”とも称される博士とは、後に対談集『「生命の世紀」への探求――科学と平和と健康と』を発刊

〈4月16日〉
関西指導(~21日。大阪、兵庫)

〈4月21日〉
中部指導(~23日。愛知)

〈5月11日〉
九州指導(~14日。福岡)

〈5月24日〉
ソ連〈第4次〉・フランス訪問(~6月8日)
「核兵器――現代世界の脅威」展モスクワ展の開幕式(5月25日)。クレムリンでニコライ・ルイシコフ首相と会談(26日)
フランスのジャック・シラク首相(兼パリ市長)とパリ市庁舎で会見(6月1日)。第1回SGI欧州アフリカ諸国会議(6日)

〈7月3日〉
東北指導(~7日。宮城、山形)
第1回東北幹部記念総会(4日、宮城)。新生・山形第1回幹部大会(6日)

〈7月27日〉
北海道指導(~8月4日)
北海道広布開拓30周年記念幹部会(8月2日)

〈9月20日〉
中部指導(~22日。愛知)
中部広布35周年を祝賀する各部代表者会議(20日)

〈9月22日〉
関西指導(~28日。大阪、兵庫)
関西広布35周年を祝賀する関西記念幹部大会(25日、大阪)。兵庫青年平和文化祭(27日)

〈10月1日〉
東京富士美術館で「フランス革命とロマン主義展」の開幕式〈同展は「フランス革命・人権宣言200年記念公式行事第1号」となる〉

〈10月16日〉
九州指導(~23日。福岡)
第8回SGI総会(17日)。第8回世界青年平和文化祭(18日)


〈社会の動き〉12月、米ソが中距離核戦力(INF)全廃条約に調印