1986年(昭和61年)「人材育成の年」 24年7月19日 |
「白樺会」の集い![]() 北海道研修道場内で命を育む白樺の林(1994年8月、池田先生撮影) 看護に従事する女子部(当時)の「白樺グループ」が発足したのは、1969年(昭和44年)6月6日。「白樺」の名称を贈ったのは、池田先生である。 「白樺」の木は、生命力が強いことで知られる。伐採後の荒れ地や山火事の後などでも真っ先に育ち、後に生えてくる木々を守ることから「パイオニアツリー(先駆樹)」「ナースツリー(保護樹)」としても名高い。“生命の守り手として職場の第一人者に”との師の期待を胸に、白樺の友は出発した。 結成から17年を経た86年(同61年)、婦人部(当時)に進出した白樺グループ出身の友らが“婦人部にも白樺を”と祈り抜く中で、「白樺会」が誕生した。 結成式となる記念勤行会は、3月21日に行われた。集いがまさに開始する時、先生は会場後方から入場。友の歓声が響く中、先生の導師で勤行が行われた。 席上、先生は何度も「大事な人たちだ」と語り、日々の労苦をねぎらった。また、「生命を こよなく愛し 慈しむ あゝ白樺の 悲母に幸あれ」と和歌を詠み、生命尊厳の世紀をつくりゆく友を心から称賛した。 2020年(令和2年)、新型コロナウイルス感染症の流行が世界的に拡大し、パンデミックが起こった。医療現場では、依然として徹底した感染対策のもとで診療が行われている。その中で、白樺のメンバーは日夜、患者を支えるため奮闘を重ねている。 一昨年、「白樺会」「白樺グループ」が一体となって新出発した。先生はかつて白樺の友に、「病める人/心の傷ついている人を/私の使命感として/私は堕落させない」との言葉を贈った。多くのメンバーが自己の使命を確認する指針である。 ラダクリシュナン博士と会談 「第1回群馬青年平和文化祭」の折、池田先生がラダクリシュナン博士と会談(1986年9月7日) 1986年(昭和61年)9月7日、池田先生とインド・ガンジー研究評議会議長のニーラカンタ・ラダクリシュナン博士が初めて会談した。 博士は「世界に平和と希望の光を広げているSGIの活動および“平和と価値創造の指導者”SGI会長の指導力に対し、心からの賛同と尊敬の意を表したい」と。先生は深い理解に感謝しつつ、平和に貢献する自らの決意を力強く語った。 ガンジー研究の第一人者として知られる博士だが、ガンジーと直接の出会いはない。研究を通して、具体的な“ガンジー像”を形成した。その“ガンジー像”が、池田先生の姿と重なった。博士は、『池田大作――偉大なる魂』『池田大作――師弟の精神の勝利』など、先生に関する評伝を次々と執筆した。 93年(平成5年)8月6日、両者は長野研修道場で語らった。この日は、広島原爆投下の日であり、先生が小説『新・人間革命』を起稿した日である。博士は述懐している。 「私が『人類の暗黒の日』と考えていた、この8月6日に、いわば、民衆一人一人の人生の軌跡をもって、創価学会の真実の歴史をとどめようとされていることに深い感動を覚えました」 二人は語らいをさらに進め、対談集『人道の世紀へ――ガンジーとインドの哲学を語る』に結実した。 その中で、博士は「師匠は弟子の行動のなかに生き続ける(中略)永遠性に向かって創造的に生きる時、師匠と弟子は不二になる。私はそう信じています」と述べた。先生は応えた。 「弟子は、どんな苦難も乗り越えて、断じて勝たねばならない。『師弟不二』の実践こそ、人間精神の最も偉大な発露であり、人間として最も崇高な姿です」 第7回「世界青年平和文化祭」 ![]() 「第7回世界青年平和文化祭」で青年たちにレンズを向ける池田先生(1986年10月5日、愛知県体育館で) 10月5日は「中部青年部の日」。1986年(昭和61年)のその日、愛知県体育館(ドルフィンズアリーナ)で開催された「第7回世界青年平和文化祭」が淵源である。 同文化祭の開催が発表されたのは、83年(同58年)4月、池田先生が出席して行われた愛知県総会の席上である。 前年の82年(同57年)、4月に岐阜で「第1回中部青年平和文化祭」、10月に三重で第2回の文化祭が行われた。年に2回の大行事を成功させた中部青年部の奮闘を、先生は心から喜んだ。そして、次なる前進の目標として、「世界青年平和文化祭」の開催が決定したのである。 文化祭が迫った86年9月、先生は群馬で開かれた青年平和文化祭に、中部青年部の代表を招待した。文化祭の終了後、先生は中部青年部に「一緒に帰ろう」と伝言を。同じ新幹線に乗り、上野駅まで移動した。その間、青年たちのもとに、先生から次々と激励が。師の慈愛に、“自分たちの手で新時代を!”と、青年たちは固く誓った。 「第7回世界青年平和文化祭」は、4000人を超す青年の熱演が光った。先生は文化祭を記念し、「天高く 愛知の空に 響きたる 平和と文化の 勝鬨嬉しや」など3首の和歌を贈った。 さらに翌87年(同62年)3月、先生は長編詩「幸の風 中部の空」を詠み、中部青年部をたたえた。 「おお 君ら青年の力で/新しき時代の朝は開かれ/世界広布第二章の銅鑼は/高らかに打たれた/いざや 進もう!/われらには 恐れるものは何もない」 「師と共に」との一念が燃えている限り、我らの前進に行き詰まりはない――池田先生と共戦の歴史を刻んできた中部青年部の絶対の確信である。 ◆年表◆ 1986年 【1986年(昭和61年)人材育成の年】 〈1月10日〉 神奈川指導(~15日) 〈3月21日〉 婦人部の看護師のグループ「白樺会」の勤行会。「生命を こよなく愛し 慈しむ あゝ白樺の 悲母に幸あれ」と和歌を贈る(東京) 〈5月1日〉 関西指導(~6日。大阪) 5・3「創価学会の日」を記念する関西代表幹部会(2・3日) 〈5月6日〉 中部指導(~8日。愛知) 〈5月31日〉 第1回静岡県本部長会 〈6月9日〉 創価大学敷地内に新築した東洋哲学研究所の開館式(東京) 〈6月14日〉 関西指導(~22日。京都、奈良、兵庫、大阪) 京都広布30周年の記念勤行会(15日)。奈良広布満30年の記念勤行会(17日)。関西戸田記念館落成10周年を祝賀する記念勤行会(18日、兵庫) 〈6月22日〉 中国指導(~25日。広島) 広島広布30周年の記念勤行会(23日) 〈6月25日〉 中部指導(~29日。愛知) 岡崎支部結成25周年の記念勤行会(27日) 〈8月8日〉 ストックホルム国際平和研究所のフランク・ブラッカビー所長と会談(東京) 〈9月7日〉 第1回群馬青年平和文化祭 インドのガンジー研究の第一人者であるN・ラダクリシュナン博士と会談(群馬)。後に対談集『人道の世紀へ――ガンジーとインドの哲学を語る』を発刊〈博士は『池田大作――偉大なる魂』など池田思想研究の成果も多数出版〉 〈9月10日〉 ケニア口承文学協会から「ケニア口承文学賞」と「会員」の称号が贈られる(代理 ケニア) 〈10月2日〉 中部指導(~6日。愛知) 第7回SGI総会(4日)。第7回世界青年平和文化祭(5日) 〈11月7日〉 中部指導(~8日。愛知) 11・18「創価学会創立記念日」を祝賀する中部代表者会議(7日) 〈11月8日〉 関西指導(~13日。京都、大阪) 第1回京都青年平和文化祭(9日) 〈12月6日〉 フランス「ル・モンド」紙の元極東総局長、ロベール・ギラン氏と会談(東京) 〈社会の動き〉4月、ソ連・チェルノブイリ原子力発電所で爆発事故 |