1976年(昭和51年) 「健康・青春の年」 23年06月21日 |
歌声の轟くところに勝利の太陽が 「4・16」札幌創価幼稚園入園式 ![]() 札幌創価幼稚園の第1回入園式の翌日も、池田先生は通園バスに乗り、園児たちと触れ合った(1976年4月17日) 戸田先生が、創価教育を実践する幼稚園の建設について言明したのは、1955年(昭和30年)1月のことだった。 池田先生と共に訪問した高知で、「学会は学校をつくらないのですか」との同志の質問に、恩師はこう答えた。 「今につくります。幼稚園から大学まで。一貫教育の学校をつくる。必ず、日本一の学校にするよ!」 池田先生は、創価学園、創価大学を開校し、恩師から託された創価一貫教育の構想を一つ一つ実現していった。 牧口先生、戸田先生ゆかりの地である北海道に創価幼稚園を開設することは、池田先生の悲願だった。74年(同49年)9月、北海道を訪れた際、札幌市豊平区に幼稚園を建設することが決まり、設立準備委員会が発足したのである。 待望の入園式を翌日に控えた76年(同51年)4月15日、創立者・池田先生は、札幌創価幼稚園を初訪問。教職員の労をねぎらいながら懇談を行った。 16日の入園式では、園児を出迎えるため、園の玄関に立った。先生の胸には、“札幌創価幼稚園を世界一の幼児教育の城に”との情熱が燃えていた。 式典で先生は、園児と一緒に入場し、園児側に着席。泣き出す子がいれば、抱き上げて、自分の膝の上に座らせた。部屋を移動する際は、自らマイクを握り、にぎやかな園児たちを誘導した。 帰る際には一緒にバスに乗り、通園状況も自身の目で確認。教職員たちは、創立者の振る舞いを生命に焼き付けた。 以来、先生は9度にわたり札幌創価幼稚園を訪れ、原点を刻んだ。 香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル、韓国で、創価教育を実践する幼稚園が開設され、人間主義の人材の裾野は世界中に大きく広がっている。 「7・18」「人間革命の歌」完成 ![]() 真剣勝負で「人間革命の歌」の作曲に取り組む(1976年7月18日、東京・信濃町で) 「新しい学会歌が必要だ。タイトルは『人間革命の歌』にしよう」「歌詞は『君も立て 我も立つ……』から始めようと思う」――1976年(昭和51年)7月1日、池田先生は移動の車中で、同行する幹部たちに語った。 「7・17」を目前に、新たな歌を完成させ、本部幹部会で発表しようと考えていた。7月17日は、57年(同32年)の「大阪事件」で、事実無根の容疑により不当逮捕された先生が出獄し、関西の同志と共に、創価の正義の勝利を誓い合った日だった。 タイトルを「人間革命の歌」と決めたのは、一切は人間革命に始まるとの思いからだった。先生は、歌の制作に取り組むに当たってこう述べた。「私は、戸田先生を偲び、心で対話しながら、師弟の共戦譜となる『人間革命の歌』の制作に取り組もうと思っているんだよ」 18日の本部幹部会では、歌詞のみが発表された。同志は、聴いただけで、勇気が湧くのを覚えた。 折しも、一部のマスコミなどによる学会攻撃が激しくなり、宗門の僧たちの中にも、僧俗和合を破壊する画策が始まっていた。先生は、愛する同志が何ものにも負けない闘魂を燃え上がらせる、勇気の歌、生命の讃歌を作ろうとしていた。 修正が重ねられ、完成したのは18日の午後8時40分だった。発表後、「人間革命の歌」は、全国の同志の団結と前進の原動力となっていく。 76年8月5日には、長編詩「母」をもとにした「母」の歌も発表されている。 先生はつづっている――「学会歌は決意と共にある。ゆえに、その歌声の轟くところに、勝利の太陽が昇るのだ」 社会の“分断の闇”を明るく照らすのは、創価の友情のハーモニーである。 「8・18」創大通信教育部 スクーリングを参観 ![]() 創価大学で行われた、通信教育部の第1回夏期スクーリングで、通教生を激励(1976年8月18日、東京・八王子で) 北は北海道、南は沖縄まで、老若男女が日曜の創価大学に集まっていた――。1976年(昭和51年)5月16日、通信教育部の開学式である。 創立者・池田先生は、開学式に出席ができず、事前に長文のメッセージをテープに録音していた。力強い声が会場である体育館に響いた。 「皆さん方は“創価教育体現の第一期生”であると申し上げておきたい!」 通信教育部の開設は、創価教育の父である先師・牧口先生、さらに恩師・戸田先生の悲願の結実だった。 05年(明治38年)、牧口先生は「大日本高等女学会」を設立。女性の通信教育に力を注いだ。しかし、日露戦争後の不況で事業から手を引かざるを得なくなる。 45年(昭和20年)の終戦直後、戸田先生は、学びたくても学べなかった青少年のため、通信教育に着手。好評を博したものの、戦後のインフレで撤退を余儀なくされた。 池田先生は、先師、恩師の理想を心に抱き、創大の通信教育部を開設したのである。 76年8月15日、初の夏期スクーリングが始まり、4日目の18日に創立者として授業を参観。「通信教育は、創価教育の父・牧口先生の一つの理想であり、皆さんこそ、その体現者」「私も、同じ苦学の道を歩んで来た一人」と期待を寄せた。 以来、池田先生は、通信教育部の学生、教職員に真心のエールを送り続けてきた。 創価大学本部棟の正面に立つ「学光の塔」。その碑文に、先生の言葉が刻まれている。 「『学は光、無学は闇。知は力、無知は悲劇』/これ、創価教育の父・牧口常三郎先生の精神なり。/この『学光』を以て永遠に世界を照らしゆくことが/我が創価の誉れある使命である」 ◆年表◆ 1976年 〈4月16日〉 札幌創価幼稚園第1回入園式。式後、スクールバスに同乗して園児らを自宅まで送る(北海道) 〈5月5日〉 関西鳳雛会、関西未来部の記念勤行会。5月5日を「創価学会後継者の日」とすることを発表(大阪) 〈6月5日〉 副会長室会議で3・5「壮年部結成記念日」、8・24「壮年部の日」を決定(東京) 〈7月18日〉 第201回本部幹部会(東京)。席上、「人間革命の歌」の歌詞を発表。さらに推敲を重ね、作曲を行う。「君も立て 我も立つ/広布の天地に 一人立て」と始まるこの歌は、苦難に立ち向かう同志の心を鼓舞し、瞬く間に全国、世界各地に広がる 〈7月23日〉 中部指導(~27日。愛知、三重) 女子部「青春会」の第1回総会を祝す勤行集会(23日、愛知) 三重記念館開館記念勤行会(23日、三重) 学生部夏季講習会(26日、三重) 〈8月5日〉 婦人部の集いで自作の詩に女子部員が作曲した「母」の曲を発表(創価大学) 〈8月18日〉 創価大学通信教育部の第1回夏期スクーリングの授業を参観、学生を激励 〈8月19日〉 九州指導(~27日。鹿児島) 鳳雛会結成10周年記念大会(20日) 第202回本部幹部会 鳳雛グループ結成10周年記念大会(22日) 〈8月28日〉 ’76神奈川県文化祭 〈8月29日〉 ’76埼玉県文化祭 〈9月5日〉 ’76東京文化祭(創価大学) 〈9月14日〉 静岡指導(~20日) 東海研修所(現在の静岡研修道場)内の牧口園で牧口先生の胸像(15日)、戸田先生の歌碑(16日)の除幕式 〈9月24日〉 関西・中部指導(~10月6日。大阪、京都、和歌山、三重) 第1回「世界平和の日」記念勤行会(10月2日、大阪) 〈11月2日〉 青年部の「輸送班」を発展・拡充させた人材グループに「創価班」の名称を贈る 〈11月10日〉 中部・北陸・関西指導(~20日。愛知、滋賀、石川、富山、大阪、静岡) 牧口先生の三十三回忌法要、創価学会創立46周年記念行事(18日、大阪) |