1973年(昭和48年)
「教学の年(青年の年)」
23年02月15日
「4・11」創価女子学園入学式

創価女子学園(現・関西創価学園)での第2回蛍友祭で、学園生を温かく励ます(1981年11月15日、大阪・交野市で)

創価女子学園(現・関西創価学園)の設立が発表されたのは1969年(昭和44年)7月。前年には男子校の創価学園が東京・小平市に開校していた。池田先生は早くから、関西の地にも創価の学びやをつくろうと心に定めていた。
73年(同48年)、先生は創価教育の城を盤石なものにするべく、いっそう力を注いだ。3月、東京の創価学園で初の記念講演を行うと、4月には創価大学の入学式に初めて出席。そして同月11日、大阪・交野市に開校した創価女子中学・高校の、第1回入学式に足を運んだ。
席上、先生は、“他人の不幸のうえに自分の幸福を築かない”との信条を培っていこうと呼びかけた。「皆さんのささやかな実践は、そのまま人類の平和への軌道に通じ、やがて、地球をも覆う力をもつはずであると、私は確信したい」と、“平和な社会の建設”という、学園生の深き使命を強調した。
この日、先生は生徒たちと卓球やテニスをし、翌日も、食堂で昼食を囲みながら交流した。さらに4日後には、再び関西学園を訪れ、語らいのひとときを設けた。12月に訪問した際には、校門に立って、朝、登校する生徒たちを迎えたことも。先生は“創立者として、この生徒たちのために生命を削ろう。一切を注ぎ込もう”との思いで、手づくりで関西学園の建設に汗を流したのである。
開校から9年後の82年(同57年)、東西の創価学園は、共に男女共学に移行した。90年(平成2年)3月、関西の学園生が作成した原案に、先生が全面的に加筆した、関西創価中学・高校の新校歌「栄光の旗」が誕生。「ともに誓いを 果たさむと/世界を結べや 朗らかに」――関西校の在校生・同窓生は、創立者への誓いを胸に、朗らかに前進する。

「10・24」社会部 団地部 農村部 専門部が結成

第1回「農村・団地部勤行集会」でピアノを演奏し、友に希望を送る(1977年2月17日、東京・信濃町で)

1973年(昭和48年)10月24日、東京・日大講堂で行われた本部幹部会で、池田先生は、翌年のテーマを「社会の年」とすることを提案した。
同月6日、オイルショックの引き金となる、第4次中東戦争が勃発。社会全体が不況の暗雲に覆われようとしていた。
幹部会の席上、時代の闇を照らす“希望の灯台”の使命を担う、社会部、団地部、農村部(現・農漁光部)、専門部の設置が発表された。
以来、各部の友は、“信心を根本に、社会、地域に貢献していくことこそ仏法者の姿”と、使命の場所で地道な実践を重ねていった。先生は、「仏法即社会」の体現者として立ち上がったメンバーを励まし続けた。
75年(同50年)9月、社会部の合同グループ指導会に出席。戸田先生の「“信心は一人前、仕事は三人前”してこそ、本当の学会員だ」との言葉を紹介しながら、“自分が、この会社を守っていこう! 必ず発展させてみせる! 皆を幸福にしていこう!”という気概の大切さを語った。
2年後の77年(同52年)2月2日には、同部の勤行集会に参加し、忍耐強く、信頼を築いていく姿勢の大切さを訴えている。
同月17日、先生は第1回「農村・団地部勤行集会」に足を運んだ。地域の発展を願い奔走する同志に、こうエールを送った。「心の力は偉大です。何があっても負けない、強い、強い信心の一念があれば、一切の環境を変えていくことができる」
結成から50年――各部の友は、地域、社会の課題に敢然と挑みながら、“希望の灯台”として、信頼の輪を大きく広げている。

「11・28」ルネ・デュボス博士と会談

デュボス博士は対談で、仏法の理念に深い理解を示した(1973年11月28日、東京・旧聖教新聞本社で)

「若いあなたは、このような対話を、さらに広げていってください」――1973年(昭和48年)5月、池田先生との対談を終えた、歴史学者のアーノルド・J・トインビー博士は、先生にメモを託した。そこには、世界最高峰の学識者たちの名が記されていた。
その一人が、米国ロックフェラー大学の教授などを務めた、著名な細菌学者であるルネ・デュボス博士だった。同年11月、東京の旧聖教新聞本社を訪れた博士夫妻と先生との会見が実現した。
博士は、抗生物質の先駆的研究者であるとともに、医学の分野にとどまらず、地球環境の保護にも尽力していた。
対談の中で、博士は訴えた。「環境問題へのアプローチは、物質主義的であってはならない。人間主義的なアプローチが、まだまだ足りないと思います」
科学の分野で、人間性の回復を主張する博士らしい視点であった。そして、先生と博士は、21世紀を“生命の世紀”としなければならないという点で合意した。
対談から約2カ月後、博士から著書『内なる神』が先生に届けられた。添えられた手紙には、「本書の精神は“人間革命”というあなたの思想と、必ずや一致するものと思う」と記されていた。
先生は、昨年5月の「随筆『人間革命』光あれ」で、博士が提唱した著名な標語「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー(地球規模で考え、地域で行動する)」を引用し、こう述べている。
「道がいかに遠く険しくとも、一人ひとりが今いる場所で信念の行動を起こすことが、地球全体を変えゆく希望となるのだ」
環境問題や感染症が人類共通の難題として立ちはだかる今、解決への道は、私たち一人一人の行動にかかっている。

◆年表◆
1973年
〈1月1日〉
アメリカのニクソン大統領あてにベトナムとの停戦を訴える書簡を認める

〈1月3日〉
初の「五年会」総会(静岡)

〈4月9日〉
創価大学の第3回入学式。「創造的人間たれ」と題し講演

〈4月11日〉
創価女子中学校・高等学校の第1回入学式。
「良識・健康・希望」の門出に、と語る(大阪)

〈5月8日〉
欧州訪問(~27日。フランス、イギリス、オランダ)
フランスのパリ本部でメンバーを激励(9日)
パリ大学ソルボンヌ校を訪問(11日)
「ヨーロッパ会議」の設立を発表(13日)
イギリスでトインビー博士の自宅を訪問。2年越し、約10日間40時間に及ぶ対談となった
終了後に博士は、アウレリオ・ペッチェイ氏など数人の名をメモに書き、“お会いしていただいても、決して時間の無駄にはならない私の友人”と伝言した(15日~19日)
博士との対話は後に対談集『21世紀への対話』として結実。指導者、知識人等に影響を与え続けている

〈6月4日〉
中部・関西指導(~8日。静岡、滋賀、福井、岐阜、愛知)
福井県幹部会(5日)
岐阜県文化祭・幹部会(7日)

〈6月10日〉
群馬・高原スポーツ大会で記念撮影

〈6月17日〉
茨城県スポーツ祭で記念撮影

〈7月7日〉
映画「人間革命」の完成試写会に原作者として出席し、製作スタッフを慰労(東京)
9月中旬に公開。映画「続・人間革命」は76年6月に公開

〈7月13日〉
創価大学の第2回滝山祭で「スコラ哲学と現代文明」と題し講演

〈8月11日〉
ハワイ訪問(~20日)
マウイ会館の開所式(15日)
北・中・南米各国の代表者会議。「パン・アメリカン連盟」の結成(18日)

〈8月25日〉
創価大学の第1回夏季大学講座(~26日)
「文学と仏教」と題し2日間にわたり講演

〈9月7日〉
北海道指導(~10日)
「厚田村民の集い」に招かれ参加(8日)
第1回北海道青年部総会(9日)

〈9月12日〉
初の埼玉県幹部総会

〈9月13日〉
関西・中国指導(~21日。大阪、岡山、島根、鳥取)
’73山陰郷土まつり(16日、島根)
第1回鳥取県幹部総会(17日)

〈10月24日〉
第168回本部幹部会。社会部、団地部、農村部、専門部を結成(東京)

〈11月6日〉
第1回栃木県幹部総会

〈11月9日〉
関西・四国指導(~15日。大阪、愛媛、徳島、香川)
第1回愛媛県幹部総会(11日)
第1回徳島県幹部総会(13日)

〈11月28日〉
アメリカの細菌学者、ロックフェラー大学医学研究所のルネ・デュボス博士と会談(東京)

〈12月15日〉
関西指導(~18日。大阪)
第36回本部総会(16日)