1972年(昭和47年)「地域の年」 23年01月24日 |
「1・29~2・1」沖縄を訪問![]() コザ市(現・沖縄市)での記念撮影会で、未来っ子たちを温かく励ます(1972年1月30日) 1972年(昭和47年)5月、沖縄は日本に返還された。本土復帰を前に、沖縄社会には希望と不安が入り交じっていた。 この年の1月29日、池田先生は3年ぶりに沖縄を訪問した。復帰後の沖縄を真の「幸福島」に変えるのは、一人一人の宿命転換にかかっていると、“一対一の激励行”を開始。到着直後から会館周辺を回り、同志と懇談を重ねていった。 翌30日、先生はコザ市(現・沖縄市)へ向かい、2500人の友と記念撮影を行った。先生は何度も参加者に語りかけ、同志と絆を結んだ。コザ会館(当時)にも足を運び、基地の街で奮闘する友に希望を送った。 31日には那覇市民会館で記念撮影会が開催され、3000人の友が集った。撮影の後、有志が郷土芸能を披露した。男子部による獅子舞が始まると、先生も鉢巻きを締め、太鼓を脇に抱え、トーン、トーンと勢いよく打ち鳴らした。“断じて負けるな! 恐れるな! 我らは師子の舞うがごとく、断じて沖縄の栄光を勝ち取るのだ!”との師の一打一打に、出演者も参加者も心が震えた。皆が師弟共戦の決意を固めた。 その後、先生は、当初訪問する予定のなかった名護へと向かう。名護会館の建設用地には2000人の同志が集まっていた。名護では、琴の演奏や踊りなどが披露され、最後に全員で「春が来た」を大合唱。師弟勝利の凱歌が轟いた。 師匠の渾身の激励行によって、一人一人の心に希望の灯がともったのである。 「沖縄を平和の幸福島とする日まで、ともどもに力の限り、前進しよう」――沖縄の同志は、先生の呼びかけを胸に、幸福楽土の建設へまい進してきた。本土復帰から半世紀、沖縄社会に“幸と友情の大輪”が咲き薫っている。 「5・5~9」トインビー博士と対談 ![]() 1回目の対談を終え、付近の公園を散策する池田先生とトインビー博士(1972年5月、イギリス・ロンドンで) 1969年(昭和44年)秋、池田先生のもとに、20世紀を代表するイギリスの歴史学者、アーノルド・J・トインビー博士から一通の書簡が届いた。 「貴殿を英国にご招待し、現在、人類が直面している諸問題に関して、2人で有意義に意見交換できれば幸いです」――先生との対談を望む手紙だった。 博士は67年(同42年)に来日した際、創価学会について、日本の識者から話を聞いていた。日蓮仏法を根幹に、民衆に根差し、社会建設に取り組んでいるという事実に心を引かれた。 また、日本の他の宗教と異なり、学会が権力に迎合しない点にも着目。一方で、学会に対する、いわれなき中傷も耳にしていた。しかし、博士は本質を見抜き、むしろ、悪口罵詈を乗り越えて進む「生きた宗教」として、いっそうの関心を寄せたのである。 博士の要望を受け、対談が実現したのは72年(同47年)5月5日。場所はロンドンにある博士の自宅だった。 「待っていましたよ」と語る碩学に、先生は、「この対談が、21世紀に生きる多くの人びとにとって、なんらかの問題解決への糸口となるならば、望外の幸せです」と応じた。 宗教、科学、マスコミ論、都市論等々――多岐にわたるテーマを2人は論じ合い、多くの点で、意見の一致をみた。特に、戦争は絶対悪であり、二度と起こしてはならないという信念は強く共鳴した。対談は足かけ2年、計40時間に及び、往復書簡を幾度も交わした。 2人の対談集『21世紀への対話』は、人類が直面する諸課題を克服する知恵が詰まった“智の光源”である。これまで31言語に翻訳され、各国の識者が愛読。大学、高校の教材としても普及している。 「9・26」初めての名誉市民称号 ![]() 南米ペルーの首都リマ市から「特別名誉市民」称号が授与。池田先生は市庁舎の芳名録に筆を走らせた(1974年3月25日) 世界各地から、池田先生に贈られた名誉市民称号(名誉州民・最高賓客等を含む)は800を超える。最初の授与は、1972年(昭和47年)9月だった。 この秋、米バークレー市やサンタモニカ市をはじめ、世界の32の州や都市から、名誉市民などの称号が贈られた。サンタモニカ市にはアメリカの中心会館があり、同市長は、苦悩にあえぐ人々が、仏法によって蘇生していく姿を目の当たりにしていた。その指導者を称賛したいと、市長自ら来日し、先生に直接、授与を行ったのだ。 先生への名誉市民称号の授与は、仏法哲学を胸に、地域で信頼を広げる同志にとって、師弟勝利の証しでもあった。 74年(同49年)3月、先生は8年ぶりにペルーを訪れた。66年(同41年)の訪問の際は、学会への誤解や偏見が根強かった。ペルーの同志は“不屈の心”で社会貢献を重ね、良き市民として範を示していった。 そして74年3月、首都リマ市から特別名誉市民の称号が先生に贈られる。この時、先生は芳名録に決意を記した。 「私は今日より リマ市民となった。私は今日より リマのために働く。私は今日より その責任を持った。そして私は 誰よりもペルーとリマの益々の発展と興隆を祈る人生でありたい」 “地域の発展”こそ、国境を超えた民衆共通の願いである。先生は、「世界市民」として、縁したすべての地域の発展を祈り、行動を起こし続けた。 「人類が直面する地球的課題への挑戦として、世界市民、寛容、人権尊重の旗を掲げてこられた」――一昨年、米公民権運動発祥の地・モンゴメリー市から贈られた名誉市民の宣言書には、先生の平和行動への共感の言葉が刻まれている。 ◆年表◆ 1972年 〈1月29日〉 沖縄指導(~2月1日) コザ会館の開館式(1月30日) 〈3月11日〉 関西・中部指導(~15日。滋賀、岐阜、京都、福井) 岐阜本部落成入仏式(11日) 〈4月5日〉 民音の世界バレエ・シリーズ「パリ・オペラ座バレエ団」東京公演を鑑賞 〈4月29日〉 欧州・アメリカ訪問(~5月28日。フランス、イギリス、アメリカ) フランスでパリ本部開館式(5月1日) イギリスで20世紀を代表する歴史学者、アーノルド・J・トインビー博士の自宅を訪問し、人類の直面する諸問題について対談。話題は生命論、歴史、哲学、政治、未来文明、幸福論、医学、仏法など多岐にわたり、対話の継続、書簡の交換、再会を約す(5日~9日) ケンブリッジ大学(7日)、オックスフォード大学(10日)を訪問 アメリカで第9回全米総会(21日) 〈6月16日〉 関西・四国指導(~22日。大阪、香川、徳島、高知、京都) 香川(18日)、高知(20日)で記念撮影会 〈7月6日〉 創価大学第1回滝山祭 〈7月9日〉 東北指導(~16日。宮城、山形、秋田、岩手) 山形(10日)、岩手(14日)で記念撮影会 〈9月3日〉 九州指導(~10日。福岡、鹿児島、宮崎) 福岡(5日)、鹿児島(7日)で記念撮影会。宮崎でメンバーと懇談し記念撮影(8日) 〈9月14日〉 中国指導(~18日。岡山、広島、島根、鳥取) 広島(15日)、島根(17日)で記念撮影会 〈9月26日〉 アメリカの3都市(バークレー市、ソノーマ市、ディクソン市)から名誉市民称号が贈られる 初めての「名誉市民」称号となる 〈10月12日〉 池田先生が発願主となって建立寄進した正本堂の完成奉告大法要(静岡) 〈11月6日〉 関西指導(~10日。滋賀、京都、奈良、大阪) 滋賀(6日)、奈良(8日)で記念撮影会 |