師弟の「闘魂」を青年に託したい
2022年01月19日
池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の“師弟の足跡”がとどめられている。本連載では、年譜を一年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる“学会の原点”を確認していく。第1回は、「前進の年」と銘打たれた1960年(昭和35年)を掲載する。

「5・3」第3代会長就任

第3代会長に就任する池田先生(1960年5月3日、東京・日大講堂で)

「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮を執らせていただきます!」
1960年(昭和35年)5月3日、32歳の池田先生の師子吼が、東京・両国の日大講堂に轟いた。第3代会長が誕生し、広布の新たな幕が開けた。
51年(同26年)5月3日、戸田先生は第2代会長就任に際し、「私は、広宣流布のために、この身を捨てます! 私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は、私の手でいたします」と宣言した。「われわれ」ではなく「私の手で」との“一人立つ誓い”を叫んだ。
師匠に呼応する池田先生の大闘争によって、恩師の生涯の願業である75万世帯を成就。戸田先生が58年(同33年)4月2日に逝去し、世間が“学会は空中分解する”と騒ぐ中にあっても、池田先生は、ただ一人の総務として立ち、学会の実質的な舵取りを担いながら、友の心に希望の灯をともし続けた。
第3代会長就任式で、池田先生は、戸田先生の七回忌までに300万世帯の折伏を成し遂げることを誓った。
それからわずか2年後の62年(同37年)11月には300万世帯が達成され、その後も創価学会は仏法を根底とした平和・文化・教育の団体として発展を遂げていく。
創価の師匠が示してきた“広布の魂”は、人に頼むのではなく、一人立つ誓いを燃やし、誓願を果たすために徹し抜く不惜身命の実践であった。
第3代会長就任60周年を刻んだ2020年(令和2年)、先生は池田門下の青年部に呼び掛けた。
「地涌の師弟にみなぎる闘魂を、時代の荒波に敢然と立ち向かう頼もしき後継の青年たちに、私は託したいのだ」

「7・16」沖縄初訪問

1960年7月18日、池田先生㊥は「ひめゆりの塔」を訪れ、追善の祈りをささげた
会長就任の以前から、池田先生が心に期していたのは、戦争の不幸の歴史を刻む沖縄をいち早く訪れ、沖縄から世界平和の潮流を起こしていくことだった。
先生が初めて沖縄の地を踏んだのは、1960年(昭和35年)7月16日のこと。この日は、日蓮大聖人の「立正安国論」提出から、ちょうど700年の日に当たっていた。
「私は、沖縄を『立正安国』の模範の天地に築き上げたかった。もっとも苦しみをなめたところが、もっとも幸せにならねばならない。なる資格があるし、必ずなっていく――これが仏法である」と、初訪問の思いを述べている。
7月17日、沖縄支部結成大会に出席した先生は、「日本、世界の幸福と繁栄に貢献するのが学会の使命」と強調。
「文証」「理証」「現証」の三証に言及し、「この三つのなかで、一番大切なのは現証です。現実の生活のうえに、功徳の実証を示し、皆さんが幸福になることが、最大の証明です」と沖縄の同志に指針を示した。
さらに、支部結成を祝う寄せ書きには、「沖縄の同志よ団結せよ」と書きとどめた。
18日には、南部戦跡を視察し、友に語り掛けた。
「沖縄は広宣流布の“要石”だ。この美しき天地を、永遠の平和の要塞にしていこう」「最も悲惨な戦場となったこの沖縄を、最も幸福な社会へと転じていくのが私たちの戦いだ」
先生の初来島以来、沖縄の同志は故郷を“平和の要塞”に転じる闘争を展開してきた。
その原点である7月16日は、師弟の平和の精神が輝く「沖縄原点の日」となっている。

「10・2」世界広布の第一歩

東京・羽田の空港からハワイに向けて出発する池田先生(1960年10月2日)

10月2日は「世界平和の日」。池田先生が初めて海外訪問に出発した日だ。
この日、先生は羽田の東京国際空港から、最初の訪問地ハワイへ出発。上着の内ポケットには、第2代会長・戸田先生の写真が納められていた。
戸田先生は逝去の直前、池田先生にメキシコに行った夢を語った。
「行きたいな、世界へ。広宣流布の旅に……」「君の本当の舞台は世界だよ。世界は広いぞ」「世界に征くんだ」
初の海外訪問の日を「2日」としたのは、戸田先生の命日に当たるからだ。池田先生は恩師の分身として、世界広布の第一歩をハワイの地に印したのである。
当時はまだ、日常生活の中で“世界”を実感できる場面は少なかったが、池田先生は「世界広布」の理想を同志に訴えてきた。同年10月5日付の聖教新聞1面に初めて「世界広布の第一陣」との見出しが大きく紙面を飾り、全同志に新たな広布の息吹が送られた。
先生はアメリカ、カナダ、ブラジルの3カ国9都市を歴訪。移動距離は地球一周余りに当たる4万数千キロに及んだ。行く先々で、目の前の一人を全魂を注いで励ました。24日間の訪問で、2支部17地区が結成され、先生の手によって、世界広布の種子が植えられた。
以来62星霜――。先生はこれまで54カ国・地域を訪問。現在、広布の大河は世界192カ国・地域へと広がり、地涌の連帯は全地球に希望を届けている。
先生は、初の海外訪問を振り返りながら、“世界広布の要諦”を述べている。
「一人でも同志がいるならば、万里の彼方であろうと、草の根を分けても尋ね当て、励ましたかった。一つの泉から川が生まれるように、その一人から世界平和の大河がつくられる」

◆年表◆
1960年
〈5月3日〉
創価学会第3代会長就任式(東京・日大講堂)
戸田先生の遺言である300万世帯達成を4年後の七回忌までの目標として掲げる

〈5月8日〉
関西総支部幹部会(大阪)
以後、北海道(22日)、九州(29日、福岡)、東北(6月4日、福島)、中部(10日、愛知)、中国(12日、岡山)の総支部幹部会に相次ぎ出席
新会長誕生による歓喜のなか、弘教の大波を起こす

〈6月26日〉
第3回学生部総会(東京)
「恩師・戸田先生の思想を世界に宣揚、実現してほしい」と期待

〈7月16日〉
沖縄指導(~18日)
沖縄支部結成大会(17日)
沖縄戦の戦跡を訪ね、犠牲者に追善の題目を送る(18日)

〈7月22日〉
第2回婦人部大会(東京)
「信心とは行き詰まりとの戦いであり、唱題第一で幸福境涯を築こう」と語る

〈7月30日〉
男子部の人材育成グループ「水滸会」の野外研修(千葉)

〈7月31日〉
女子部の人材育成グループ「華陽会」の野外研修(千葉)

〈8月5日〉
夏季講習会(~8日。静岡)
以後、夏の伝統行事として御書講義、質問会等を通し、人材育成に取り組む

〈8月26日〉
北海道指導(~29日)
会長就任後初めて戸田先生の故郷・厚田村を訪問

〈9月23日〉
青年部第3回全国体育大会「若人の祭典」(東京・国立競技場)

〈10月2日〉
北・南米訪問(~25日。アメリカ、カナダ、ブラジル)
初の海外歴訪。ニューヨークで国連本部を視察(14日)
移住者として北南米の各地に点在し、差別や貧困に悩む草創の友を励ます
24日間で3カ国9都市を巡る激闘により、アメリカ総支部、ブラジル、ロサンゼルス支部をはじめ、ハワイ、サンフランシスコなどに17地区を結成

〈11月1日〉
千葉支部結成大会
以後、前橋(4日)、沼津(7日)、甲府(9日)、松本(10日)、長野(11日)、富山(12日)、金沢(13日)、山形(22日)、南秋田(23日)、岩手(24日)、水戸(26日)などの支部結成大会へと全国を駆ける

〈11月6日〉
第9回男子部総会
「男子部の発展が平和実現の力であり、苦楽を共にし前進を」と語る(神奈川)

〈11月18日〉
牧口先生の十七回忌法要(東京)

〈11月20日〉
第8回女子部総会(東京)
「真実の幸福は生涯、自行化他の信心を貫くなかにある」と語る

〈12月3日〉
九州・関西・四国・中国指導(~8日。大分、大阪、徳島、岡山)
大分(4日)、徳島(6日)で支部を結成
中国本部落成入仏式(7日、岡山)